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	<title>映画批評なら映画ジャッジ！ &#187; 感映画批評</title>
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	<description>最新映画の批評が満載！批評家による映画批評を参考にされて、良い映画を見て頂く為のサイトです。</description>
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		<title>ニューイヤーズ・イブ</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 21:24:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[ニューイヤーというのは、万人に平等に希望の光を注いでくれる魔法なのだ。（点数　70点） (C)2011 NEW LINE PRODUCTIONS, INC. 大晦日のニューヨークを舞台に、妊婦が、末期がんの老人が、ロックスターが、15歳の少女が、レコード会社の御曹司が、自転車便の配達係が、腕利きの女性シェフが、引きこもりのコミック画家が、タイムズスクエアの副会長……等々が、東奔西走する群像エンタテインメント。喜怒哀楽を詰め込んだ、総勢18人のエピソードがランダムに描かれていく。 ある者は夢をつかむために、ある者は絆を取り戻そうと、ある者は恋を成就させるために、ある者は過去を清算しようと、ラストチャンスに懸ける。なぜ、ラストチャンスなのか？　それは、今日が1年で最後の日、そう、大晦日だからだ。期限が区切られていると行動を起こす。それが人間という生き物だ。しかも、除夜の鐘を聞きながらしんみりと迎える日本の大晦日と違い、アメリカのそれは――タイムズスクエアの活況が示すように――派手に祝福する文化がある。踏ん切りを付けるにはうってつけなのだ。 ほほ笑ましかったのは、何ひとつ達成できていない「今年の目標リスト」を、残りわずか半日で達成しようとする女性重役秘書のエピソードだ。大晦日が備える“馬力”は、彼女のエピソードに集約されている。それまで封印されていた「勇気」と「決断力」が解き放たれ、彼女は水を得た魚のように泳ぎ続ける（行動し続ける）。 失敗が許される免罪符的な1日でもある。なぜなら、万が一、行動を起こした結果、不本意な出来事が待ち受けていたとしても、それは今日までの話にすぎない。時計の針が０時を回れば、あらゆる人生のリセットボタンが押されるのだ。つまり、ニューイヤーというのは、万人に平等に希望の光を注いでくれる魔法なのだ。 ロバート・デ・ニーロ、ヒラリー・スワンク、ハル・ベリーらオスカー受賞者を筆頭に、サラ・ジェシカ・パーカー、ミッシェル・ファイファー、ザック・エフロン、アシュトン・カッチャー、アビゲイル・ブレスリン、キャサリン・ハイグルなど、“豪華キャストのフルコース”ともいえる競演は、映画好きであるほどゾクゾクするはずだ。 監督は『プリティ・ウーマン』のゲイリー・マーシャル。ご都合主義的な展開も少なくないが、つまらぬアラを指摘する作品ではない。大事なのは、リアリティうんぬんではなく、一つひとつのエピソードのなかに、琴線に触れるメッセージがあるということ。ほっこりと優しい気分になれる１本だ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ニューイヤーというのは、万人に平等に希望の光を注いでくれる魔法なのだ。（点数　70点）</p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/12/newyaers.jpg" border="0" /><br />
(C)2011 NEW LINE PRODUCTIONS, INC.
</p>
<p>大晦日のニューヨークを舞台に、妊婦が、末期がんの老人が、ロックスターが、15歳の少女が、レコード会社の御曹司が、自転車便の配達係が、腕利きの女性シェフが、引きこもりのコミック画家が、タイムズスクエアの副会長……等々が、東奔西走する群像エンタテインメント。喜怒哀楽を詰め込んだ、総勢18人のエピソードがランダムに描かれていく。</p>
<p><span id="more-13240"></span></p>
<p>ある者は夢をつかむために、ある者は絆を取り戻そうと、ある者は恋を成就させるために、ある者は過去を清算しようと、ラストチャンスに懸ける。なぜ、ラストチャンスなのか？　それは、今日が1年で最後の日、そう、大晦日だからだ。期限が区切られていると行動を起こす。それが人間という生き物だ。しかも、除夜の鐘を聞きながらしんみりと迎える日本の大晦日と違い、アメリカのそれは――タイムズスクエアの活況が示すように――派手に祝福する文化がある。踏ん切りを付けるにはうってつけなのだ。</p>
<p>ほほ笑ましかったのは、何ひとつ達成できていない「今年の目標リスト」を、残りわずか半日で達成しようとする女性重役秘書のエピソードだ。大晦日が備える“馬力”は、彼女のエピソードに集約されている。それまで封印されていた「勇気」と「決断力」が解き放たれ、彼女は水を得た魚のように泳ぎ続ける（行動し続ける）。</p>
<p>失敗が許される免罪符的な1日でもある。なぜなら、万が一、行動を起こした結果、不本意な出来事が待ち受けていたとしても、それは今日までの話にすぎない。時計の針が０時を回れば、あらゆる人生のリセットボタンが押されるのだ。つまり、ニューイヤーというのは、万人に平等に希望の光を注いでくれる魔法なのだ。</p>
<p>ロバート・デ・ニーロ、ヒラリー・スワンク、ハル・ベリーらオスカー受賞者を筆頭に、サラ・ジェシカ・パーカー、ミッシェル・ファイファー、ザック・エフロン、アシュトン・カッチャー、アビゲイル・ブレスリン、キャサリン・ハイグルなど、“豪華キャストのフルコース”ともいえる競演は、映画好きであるほどゾクゾクするはずだ。</p>
<p>監督は『プリティ・ウーマン』のゲイリー・マーシャル。ご都合主義的な展開も少なくないが、つまらぬアラを指摘する作品ではない。大事なのは、リアリティうんぬんではなく、一つひとつのエピソードのなかに、琴線に触れるメッセージがあるということ。ほっこりと優しい気分になれる１本だ。</p>
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		<title>永遠の僕たち</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 13:17:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[「死」を見つめることで、「生」を考えさせる作品でありながら、このうえなく切ないラブストーリーでもある。（点数　90点） 上映時間はわずか90分、5600秒。『ミルク』（2008年）のガス・ヴァン・サント監督は、この限られた時間に「生きること、愛することの尊さ」を密閉した。ぜい肉のない必要最低限の描写で、「死」というテーマと対峙した、世にも美しいラブストーリーだ。風変わりな脚本も、瑞々しい映像や繊細な音楽も、すべてがこの美しいパズルを完成させるために不可欠なピースである。 交通事故で両親を失った少年イーノック（ヘンリー・ホッパー）は、高校を中退後、怠惰な日常を送っていた。彼の唯一の友人は、彼にしか見えない日本人特攻隊員の幽霊ヒロシ（加瀬亮）だけ。アカの他人の葬式に潜入する趣味があるイーノックは、ある葬式で少女アナベル（ミア・ワシコウスカ）と出会う。彼女は癌で闘病中だったが、ある日の検査で癌が再発していることが発覚し……。 イーノックとアナベル。葬式で知り合った、「死」が共通点のふたりだが、そのベクトルはまったく異なる。アナベルは「死」を間近に感じながらも、自然界の美しさに魅了される心の持ち主。一方のイーノックは、両親の死を経て、死を恨み、生きることを諦めてしまっている。 ふたりにとっては、お互いが必然。自分に足りない部分を補ってくれる凹と凸のような関係だ。アナベルとの交流を通じて、イーノックは「生」に目覚め、アナベルは「死」を受け入れていく。 初めは変質者のようにしか見えなかったイーノックだが、物語が進むうちに、少しずつそのトラウマと哀しみが見えてくる。映画の冒頭と最後で主人公の印象がこれほど変わる映画も珍しい。しかし、彼がひた隠しにしてきた「心の叫び」が、人生で初めて本気で好きになった、しかも余命いくばくもない異性によって露になっていく点が、この映画の泣けるところであり、美しいところである。 幽霊であるヒロシの可視化は、いかにも「映画（＝虚構）」らしい演出といえよう。しかも、奇をてらった&#8221;お飾り&#8221;としてではなく、「戦死した特攻隊員」という設定を通じて、少しずつヒロシ自身の「無念さ」もあぶり出していく。哀しい最期を迎えたはずのヒロシ。彼はなぜイーノックに寄り添い続けていたのだろうか？　鑑賞後にそんなことを考えてみるのも一興だろう。 「死」を見つめることで、「生」を考えさせる作品でありながら、このうえなく切ないラブストーリーでもある。ラスト３分のイーノック。彼の表情を見ていたら涙が止まらなかった。説明的になりそうな一歩手前で引く演出の鮮やかさが、生の息吹を引き立てる。イーノックがアナベルにもらった一番のプレゼントは「生きる喜び」だったに違いない。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「死」を見つめることで、「生」を考えさせる作品でありながら、このうえなく切ないラブストーリーでもある。（点数　90点）</p>
<p align="center">
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</p>
<p>上映時間はわずか90分、5600秒。『ミルク』（2008年）のガス・ヴァン・サント監督は、この限られた時間に「生きること、愛することの尊さ」を密閉した。ぜい肉のない必要最低限の描写で、「死」というテーマと対峙した、世にも美しいラブストーリーだ。風変わりな脚本も、瑞々しい映像や繊細な音楽も、すべてがこの美しいパズルを完成させるために不可欠なピースである。</p>
<p><span id="more-13210"></span></p>
<p>交通事故で両親を失った少年イーノック（ヘンリー・ホッパー）は、高校を中退後、怠惰な日常を送っていた。彼の唯一の友人は、彼にしか見えない日本人特攻隊員の幽霊ヒロシ（加瀬亮）だけ。アカの他人の葬式に潜入する趣味があるイーノックは、ある葬式で少女アナベル（ミア・ワシコウスカ）と出会う。彼女は癌で闘病中だったが、ある日の検査で癌が再発していることが発覚し……。</p>
<p>イーノックとアナベル。葬式で知り合った、「死」が共通点のふたりだが、そのベクトルはまったく異なる。アナベルは「死」を間近に感じながらも、自然界の美しさに魅了される心の持ち主。一方のイーノックは、両親の死を経て、死を恨み、生きることを諦めてしまっている。</p>
<p>ふたりにとっては、お互いが必然。自分に足りない部分を補ってくれる凹と凸のような関係だ。アナベルとの交流を通じて、イーノックは「生」に目覚め、アナベルは「死」を受け入れていく。</p>
<p>初めは変質者のようにしか見えなかったイーノックだが、物語が進むうちに、少しずつそのトラウマと哀しみが見えてくる。映画の冒頭と最後で主人公の印象がこれほど変わる映画も珍しい。しかし、彼がひた隠しにしてきた「心の叫び」が、人生で初めて本気で好きになった、しかも余命いくばくもない異性によって露になっていく点が、この映画の泣けるところであり、美しいところである。</p>
<p>幽霊であるヒロシの可視化は、いかにも「映画（＝虚構）」らしい演出といえよう。しかも、奇をてらった&#8221;お飾り&#8221;としてではなく、「戦死した特攻隊員」という設定を通じて、少しずつヒロシ自身の「無念さ」もあぶり出していく。哀しい最期を迎えたはずのヒロシ。彼はなぜイーノックに寄り添い続けていたのだろうか？　鑑賞後にそんなことを考えてみるのも一興だろう。</p>
<p>「死」を見つめることで、「生」を考えさせる作品でありながら、このうえなく切ないラブストーリーでもある。ラスト３分のイーノック。彼の表情を見ていたら涙が止まらなかった。説明的になりそうな一歩手前で引く演出の鮮やかさが、生の息吹を引き立てる。イーノックがアナベルにもらった一番のプレゼントは「生きる喜び」だったに違いない。</p>
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		<title>マネーボール</title>
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		<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 21:50:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[ビリー最大の成果といえる「データに基づいた新たな価値の創出」は、あらゆる業界や組織のマネージメントに置き換えることができるだろう。（点数　75点） (C)Columbia TriStar Marketing Group, Inc. All rights reserved. 少しの疑いも持たないまま、常識、ルール、モラル、セオリー、既製のシステムなどを“最善”“最良”のものとして受け入れることに警鐘を鳴らした映画――それが『マネーボール』である。 元メジャーリーガーのビリー・ビーン（ブラッド・ピット）は、アスレチックスのＧＭ（ゼネラルマ・ネージャー）に就任する。チームは優秀な選手を雇うことのできない貧乏球団で、とてもワールドシリーズ優勝を狙える状態にない。ビリーは、データ分析能力に優れたピーター・ブランド（ジョナ・ヒル）をパートナーに指名し、野球というゲームと選手の評価基準を一から見直した。ところが、選手の獲得法や試合での起用法を巡って、球団スタッフや監督と対立することになり……。 弱小球団アスレチックスのＧＭであるビリーは、野球の戦い方、選手の評価のあり方を問い正す。たとえば、ホームラン数や打点数よりも、出塁率や長打率の高さを重視する。ホームランや打点は華こそあれ、出塁率や長打率に優先されるほどの価値はない、というわけだ。 日本の野球ではおなじみの「送りバント」も、イチロー選手が得意とする「盗塁」も、決まれば盛り上がる「ヒットエンドラン」も、自滅行為として封印する。かつて高校球児であった筆者にしてみれば、「えっ、オレたちがしてきた野球は何だったの？」と文句のひとつも言いたくなる戦略である（ビリーも実際に球団スタッフや監督、選手たちの反感を買う）。 しかし、これこそが、ビリーとピーターが膨大な統計データを分析したうえで導き出した理論（マネーボール理論）にほかならない。アスレチックスは、球界での評価は今ひとつでも、マネーボール理論上は価値の高い選手をお手頃な価格で獲得し、彼らの能力が発揮されやすい形での起用法を試みる。 その結果、アスレチックは、シーズン中に驚異的な20連勝を飾る。これまでの常識を覆すやり方で、ビリーが旧態依然とした「根拠なき野球戦略」に風穴を開けた瞬間だ。ビリー最大の成果といえる「データに基づいた新たな価値の創出」は、あらゆる業界や組織のマネージメントに置き換えることができるだろう。 映画は、アスレチックスが常勝軍団に生まれ変わるプロセスを最大の見どころとしながらも、ビリーとピーターの関係、ビリーと球団の関係、ビリーと娘の関係という３つのストーリーをていねいに編み込むことで、従来の「成功」の定義を塗り替えることにも成功している。新しい「成功」の定義とは、「ワールドシリーズ優勝」という分かり易いものではなく、「自分の信念と情熱を貫き通せるか」という、極めて個人的かつ内的なものである。 経済映画のジャンルにカテゴライズされてもおかしくない『マネーボール』だが、多くの元野球選手をキャスティングすることで、野球の試合も「本物のメジャーリーガーがプレーしているみたい！」と思うほど自然に描いている。 移籍先が決まらず不安を抱える選手の様子や、トレード通達を受けた際の選手の反応など、厳しいプロスポーツの世界に生きる男たちの悲哀を描いた点も好感度「大」。多角的な視点から学びを得られる秀作といえるだろう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>ビリー最大の成果といえる「データに基づいた新たな価値の創出」は、あらゆる業界や組織のマネージメントに置き換えることができるだろう。（点数　75点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/10/money.jpg" border="0" /><br />
(C)Columbia TriStar Marketing Group, Inc. All rights reserved.
</p>
<p>少しの疑いも持たないまま、常識、ルール、モラル、セオリー、既製のシステムなどを“最善”“最良”のものとして受け入れることに警鐘を鳴らした映画――それが『マネーボール』である。</p>
<p>元メジャーリーガーのビリー・ビーン（ブラッド・ピット）は、アスレチックスのＧＭ（ゼネラルマ・ネージャー）に就任する。チームは優秀な選手を雇うことのできない貧乏球団で、とてもワールドシリーズ優勝を狙える状態にない。ビリーは、データ分析能力に優れたピーター・ブランド（ジョナ・ヒル）をパートナーに指名し、野球というゲームと選手の評価基準を一から見直した。ところが、選手の獲得法や試合での起用法を巡って、球団スタッフや監督と対立することになり……。</p>
<p><span id="more-13200"></span></p>
<p>弱小球団アスレチックスのＧＭであるビリーは、野球の戦い方、選手の評価のあり方を問い正す。たとえば、ホームラン数や打点数よりも、出塁率や長打率の高さを重視する。ホームランや打点は華こそあれ、出塁率や長打率に優先されるほどの価値はない、というわけだ。</p>
<p>日本の野球ではおなじみの「送りバント」も、イチロー選手が得意とする「盗塁」も、決まれば盛り上がる「ヒットエンドラン」も、自滅行為として封印する。かつて高校球児であった筆者にしてみれば、「えっ、オレたちがしてきた野球は何だったの？」と文句のひとつも言いたくなる戦略である（ビリーも実際に球団スタッフや監督、選手たちの反感を買う）。</p>
<p>しかし、これこそが、ビリーとピーターが膨大な統計データを分析したうえで導き出した理論（マネーボール理論）にほかならない。アスレチックスは、球界での評価は今ひとつでも、マネーボール理論上は価値の高い選手をお手頃な価格で獲得し、彼らの能力が発揮されやすい形での起用法を試みる。</p>
<p>その結果、アスレチックは、シーズン中に驚異的な20連勝を飾る。これまでの常識を覆すやり方で、ビリーが旧態依然とした「根拠なき野球戦略」に風穴を開けた瞬間だ。ビリー最大の成果といえる「データに基づいた新たな価値の創出」は、あらゆる業界や組織のマネージメントに置き換えることができるだろう。</p>
<p>映画は、アスレチックスが常勝軍団に生まれ変わるプロセスを最大の見どころとしながらも、ビリーとピーターの関係、ビリーと球団の関係、ビリーと娘の関係という３つのストーリーをていねいに編み込むことで、従来の「成功」の定義を塗り替えることにも成功している。新しい「成功」の定義とは、「ワールドシリーズ優勝」という分かり易いものではなく、「自分の信念と情熱を貫き通せるか」という、極めて個人的かつ内的なものである。</p>
<p>経済映画のジャンルにカテゴライズされてもおかしくない『マネーボール』だが、多くの元野球選手をキャスティングすることで、野球の試合も「本物のメジャーリーガーがプレーしているみたい！」と思うほど自然に描いている。</p>
<p>移籍先が決まらず不安を抱える選手の様子や、トレード通達を受けた際の選手の反応など、厳しいプロスポーツの世界に生きる男たちの悲哀を描いた点も好感度「大」。多角的な視点から学びを得られる秀作といえるだろう。</p>
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		<title>ツレがうつになりまして。</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Nov 2011 20:33:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[大切なパートナーとの観賞をオススメしたい。（点数　75点） (C) 2011「ツレがうつになりまして。」製作委員会 かつて花粉症がじわじわと国民病として台頭してきたように、近い将来、うつ病もまた国民病になってしまうのか？　 そんな推測すら「当たらずといえども遠からず」な気配が漂う今日このごろ、細川貂々のベストセラーコミック原作の映画『ツレがうつになりまして。』は、多くの人が漠然としか把握していない「うつ病」について、正しい情報を伝えるという啓蒙的役割を果たしている。 高崎晴子（宮崎あおい）は、まじめで完璧主義の夫のツレ（堺雅人）、そしてイグアナのイグと暮らしている。 ある日、体調を崩したツレが病院でうつ病（心因性うつ病）の診断を受ける。 ツレの変化にまったく気付かなかった晴子は、妻としての至らなさを反省する一方で、うつ病の原因が会社でのストレスにあったことからツレに退職を迫る。 会社を辞めたツレは少しずつ体調を回復させているように見えたが……。 誰がなってもおかしくない――。このセリフも、花粉症同様に、うつ病を表現するときに、よく使われる言葉だ。 しかし、病気の特性とメカニズムを正しく理解すれば、おそらくうつ病は、花粉症よりも予防しやすい病気なのではないだろうか？ そう感じたのは、この映画が、ツレの&#8221;几帳面がすぎる&#8221;所作（つまりは思考）を通じて、うつ病になりやすい傾向の人間と、うつ病の症状を適確に描いているからだ。 傾向があるということは、対策が可能ということだ。 老婆心ながら、ツレの性格に共感できてしまう人、あるいはツレが襲われる症状に身に覚えのある人は、生活や職場環境、あるいは思考や習慣をいち早く変えたほうがいいだろう。 どう変えたらいいかは、夫婦の同居人であるイグが、その存在をもってして教えてくれる。 この映画が、ツレ一人の単なる闘病記であるなら、さほど高い評価を与える必要はなかった。 ところが本作では、絶妙な距離感で精神的にツレをサポートする妻の物語も描かれている。 なにも、病気になった人間の人生だけが波瀾万丈なわけではなく、それを見守る人間にもまた波瀾万丈はある。 その平等・公平な視線が、この作品に説得力を与えている。 「1シークエンス＝1エピソード」の形態で進む小気味の良い展開と、ツレと妻の複眼が盛り込まれている点、そして、同居人であるイグの&#8221;あり方&#8221;に、うつ病克服のヒントを重ねている点などが、映画としての妙味といえるだろう。 大河ドラマ『篤姫』でも夫婦役を演じた堺雅人と宮崎あおいが、イマドキ風の夫婦を抜群のコンビネーションで演じている。 潜在的なうつ病患者に警笛を鳴らすシリアスさの一方で、夫婦の絆と成長をユーモアを交えて描き、ハートウォームな感動も与えてくれる『ツレうつ』。 大切なパートナーとの観賞をオススメしたい。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>大切なパートナーとの観賞をオススメしたい。（点数　75点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/10/ture.jpg" border="0" /><br />
(C) 2011「ツレがうつになりまして。」製作委員会
</p>
<p>かつて花粉症がじわじわと国民病として台頭してきたように、近い将来、うつ病もまた国民病になってしまうのか？　</p>
<p>そんな推測すら「当たらずといえども遠からず」な気配が漂う今日このごろ、細川貂々のベストセラーコミック原作の映画『ツレがうつになりまして。』は、多くの人が漠然としか把握していない「うつ病」について、正しい情報を伝えるという啓蒙的役割を果たしている。</p>
<p><span id="more-13183"></span></p>
<p>高崎晴子（宮崎あおい）は、まじめで完璧主義の夫のツレ（堺雅人）、そしてイグアナのイグと暮らしている。<br />
ある日、体調を崩したツレが病院でうつ病（心因性うつ病）の診断を受ける。<br />
ツレの変化にまったく気付かなかった晴子は、妻としての至らなさを反省する一方で、うつ病の原因が会社でのストレスにあったことからツレに退職を迫る。<br />
会社を辞めたツレは少しずつ体調を回復させているように見えたが……。</p>
<p>誰がなってもおかしくない――。このセリフも、花粉症同様に、うつ病を表現するときに、よく使われる言葉だ。<br />
しかし、病気の特性とメカニズムを正しく理解すれば、おそらくうつ病は、花粉症よりも予防しやすい病気なのではないだろうか？</p>
<p>そう感じたのは、この映画が、ツレの&#8221;几帳面がすぎる&#8221;所作（つまりは思考）を通じて、うつ病になりやすい傾向の人間と、うつ病の症状を適確に描いているからだ。<br />
傾向があるということは、対策が可能ということだ。</p>
<p>老婆心ながら、ツレの性格に共感できてしまう人、あるいはツレが襲われる症状に身に覚えのある人は、生活や職場環境、あるいは思考や習慣をいち早く変えたほうがいいだろう。<br />
どう変えたらいいかは、夫婦の同居人であるイグが、その存在をもってして教えてくれる。</p>
<p>この映画が、ツレ一人の単なる闘病記であるなら、さほど高い評価を与える必要はなかった。<br />
ところが本作では、絶妙な距離感で精神的にツレをサポートする妻の物語も描かれている。<br />
なにも、病気になった人間の人生だけが波瀾万丈なわけではなく、それを見守る人間にもまた波瀾万丈はある。<br />
その平等・公平な視線が、この作品に説得力を与えている。</p>
<p>「1シークエンス＝1エピソード」の形態で進む小気味の良い展開と、ツレと妻の複眼が盛り込まれている点、そして、同居人であるイグの&#8221;あり方&#8221;に、うつ病克服のヒントを重ねている点などが、映画としての妙味といえるだろう。</p>
<p>大河ドラマ『篤姫』でも夫婦役を演じた堺雅人と宮崎あおいが、イマドキ風の夫婦を抜群のコンビネーションで演じている。<br />
潜在的なうつ病患者に警笛を鳴らすシリアスさの一方で、夫婦の絆と成長をユーモアを交えて描き、ハートウォームな感動も与えてくれる『ツレうつ』。<br />
大切なパートナーとの観賞をオススメしたい。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>はやぶさ</title>
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		<pubDate>Sat, 01 Oct 2011 02:25:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.cinemaonline.jp/?p=13105</guid>
		<description><![CDATA[スクリーンに、＜はやぶさ＞プロジェクトに懸ける関係者の「熱い思い」を焼き付けることに成功している。（点数　70点） (C)2011『はやぶさ／HAYABUSA』フィルムパートナーズ 2010年6月、絶体絶命の危機を脱して帰還を果たした小惑星探査機＜はやぶさ＞。 もしもこの探査機が完璧にミッションをこなして予定通りに帰還していたなら、 あるいは日本列島を熱狂の渦で巻き込むほどの話題にはならなかったのかもしれ ない。 逆を言えば、＜はやぶさ＞の前に立ちはだかった障害――小惑星への不時着、交 信途絶、燃料漏れ、イオンエンジンの停止など――があまりに大きく致命的だっ たといえよう。だから、彼（！）の帰還は“奇跡”と呼ばれ、人々に感動を与え たのだ。 本作のクランクイン前に、東日本大震災が起きたのはもちろん想定外だが、幾多 の苦難を乗り越えた＜はやぶさ＞の実話に基づいた映画『はやぶさ／HAYABUSA』 が、今このタイミングで公開されるのは、偶然の顔をした必然のように思えてな らない。 奇跡の帰還を支えたプロジェクトスタッフの志と信念、そして飽くなき探究心に 目を付けたのは、本作の発案者でもある井上潔プロデューサーの隻眼といえるだ ろう。井上プロデューサーは監督に『20世紀少年』シリーズの堤幸彦を招聘、JAXA （宇宙航空研究開発機構）の全面協力、さらにはハリウッドのメジャースタジオ 「20世紀フォックス」を巻き込んでの撮影をスタートさせた。 2002年、宇宙オタクの水沢恵（竹内結子）は、JAXA（宇宙航空研究開発機構）対 外協力室室長（西田敏行）に誘われて宇宙科学研究所の一員となる。翌2003年、 さまざまな苦難を乗り越えて小惑星探査機＜はやぶさ＞が打ち上げられた。月以 外の小惑星のサンプルを持ち帰るという世界初のミッションに挑むためだ。2005 年、＜はやぶさ＞は小惑星イトカワへの着陸に成功するが、その後、広大な宇宙 空間で行方不明になってしまう。しかし、科学者たちは決して＜はやぶさ＞を見 捨てようとはしなかった……。 特筆すべきは、関係者に徹底した取材を行って、人物の容姿から管制室の様子ま で「完全コピー」を目指したというリアリティだ。実話の再現性にとらわれすぎ て大ゴケした映画は数知れないが、今回はそうしたリスクを背負ってもなお＜は やぶさ＞に情熱を注いだ関係者への敬意を最優先。机上で用意した美談とは一線 を画す泥臭い人間ドラマを紡ぎながら、スクリーンに、＜はやぶさ＞プロジェク トに懸ける関係者の「熱い思い」を焼き付けることに成功している。難しい専門 用語には字幕で注釈を付けるなど観客への気配りも忘れていない。 宇宙空間をひとりきりで旅する＜はやぶさ＞は、最新鋭のVFXを駆使した精密なCG 映像で再現。時折、登場人物の台詞を借りて＜はやぶさ＞にまつわる構造解説を 挟む演出も心憎く、劇場を出るときには、すべての観客が工学的観点から＜はや ぶさ＞を語れる「にわか宇宙マニア」となっているという特典付きだ。 宇宙分野における歴史的偉業を映画化したにしては、仕上がりがやや地味な気も するが、いかにもハリウッド好みな「お涙ちょうだいドラマ」を回避した点は評 価できる。おあつらえ向きな感動で観客をその気にさせるのではなく、＜はやぶ さ＞を愛してやまない人々の夢と誇りに焦点を当てることで、観客自身が心に宿 すそれぞれの自信と勇気を呼び起こす。そんな力強さを秘めた作品だ。どうやら 微粒子以上に大きな成果を＜はやぶさ＞は持ち帰ったようである。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>スクリーンに、＜はやぶさ＞プロジェクトに懸ける関係者の「熱い思い」を焼き付けることに成功している。（点数　70点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/10/hayabusa.jpg" border="0" /><br />
(C)2011『はやぶさ／HAYABUSA』フィルムパートナーズ
</p>
<p>2010年6月、絶体絶命の危機を脱して帰還を果たした小惑星探査機＜はやぶさ＞。<br />
もしもこの探査機が完璧にミッションをこなして予定通りに帰還していたなら、<br />
あるいは日本列島を熱狂の渦で巻き込むほどの話題にはならなかったのかもしれ<br />
ない。</p>
<p><span id="more-13105"></span></p>
<p>逆を言えば、＜はやぶさ＞の前に立ちはだかった障害――小惑星への不時着、交<br />
信途絶、燃料漏れ、イオンエンジンの停止など――があまりに大きく致命的だっ<br />
たといえよう。だから、彼（！）の帰還は“奇跡”と呼ばれ、人々に感動を与え<br />
たのだ。</p>
<p>本作のクランクイン前に、東日本大震災が起きたのはもちろん想定外だが、幾多<br />
の苦難を乗り越えた＜はやぶさ＞の実話に基づいた映画『はやぶさ／HAYABUSA』<br />
が、今このタイミングで公開されるのは、偶然の顔をした必然のように思えてな<br />
らない。</p>
<p>奇跡の帰還を支えたプロジェクトスタッフの志と信念、そして飽くなき探究心に<br />
目を付けたのは、本作の発案者でもある井上潔プロデューサーの隻眼といえるだ<br />
ろう。井上プロデューサーは監督に『20世紀少年』シリーズの堤幸彦を招聘、JAXA<br />
（宇宙航空研究開発機構）の全面協力、さらにはハリウッドのメジャースタジオ<br />
「20世紀フォックス」を巻き込んでの撮影をスタートさせた。</p>
<p>2002年、宇宙オタクの水沢恵（竹内結子）は、JAXA（宇宙航空研究開発機構）対<br />
外協力室室長（西田敏行）に誘われて宇宙科学研究所の一員となる。翌2003年、<br />
さまざまな苦難を乗り越えて小惑星探査機＜はやぶさ＞が打ち上げられた。月以<br />
外の小惑星のサンプルを持ち帰るという世界初のミッションに挑むためだ。2005<br />
年、＜はやぶさ＞は小惑星イトカワへの着陸に成功するが、その後、広大な宇宙<br />
空間で行方不明になってしまう。しかし、科学者たちは決して＜はやぶさ＞を見<br />
捨てようとはしなかった……。</p>
<p>特筆すべきは、関係者に徹底した取材を行って、人物の容姿から管制室の様子ま<br />
で「完全コピー」を目指したというリアリティだ。実話の再現性にとらわれすぎ<br />
て大ゴケした映画は数知れないが、今回はそうしたリスクを背負ってもなお＜は<br />
やぶさ＞に情熱を注いだ関係者への敬意を最優先。机上で用意した美談とは一線<br />
を画す泥臭い人間ドラマを紡ぎながら、スクリーンに、＜はやぶさ＞プロジェク<br />
トに懸ける関係者の「熱い思い」を焼き付けることに成功している。難しい専門<br />
用語には字幕で注釈を付けるなど観客への気配りも忘れていない。</p>
<p>宇宙空間をひとりきりで旅する＜はやぶさ＞は、最新鋭のVFXを駆使した精密なCG<br />
映像で再現。時折、登場人物の台詞を借りて＜はやぶさ＞にまつわる構造解説を<br />
挟む演出も心憎く、劇場を出るときには、すべての観客が工学的観点から＜はや<br />
ぶさ＞を語れる「にわか宇宙マニア」となっているという特典付きだ。</p>
<p>宇宙分野における歴史的偉業を映画化したにしては、仕上がりがやや地味な気も<br />
するが、いかにもハリウッド好みな「お涙ちょうだいドラマ」を回避した点は評<br />
価できる。おあつらえ向きな感動で観客をその気にさせるのではなく、＜はやぶ<br />
さ＞を愛してやまない人々の夢と誇りに焦点を当てることで、観客自身が心に宿<br />
すそれぞれの自信と勇気を呼び起こす。そんな力強さを秘めた作品だ。どうやら<br />
微粒子以上に大きな成果を＜はやぶさ＞は持ち帰ったようである。</p>
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		<title>コクリコ坂から</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Aug 2011 21:16:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[見どころは1963年という時代を投影した描写に尽きる。（点数　75点） (C)2011 高橋千鶴・佐山哲郎・ GNDHDDT スリル、驚き、爽快感、癒し、学び、悲しみ、喜び……。映画から与えられるものは作品ごとに異なる。 スタジオジブリの最新作『コクリコ坂から』から与えられたものは、ノスタルジー、つまり、郷愁である。 東京オリンピックを目前に控えた1963年の横浜。高校に通う海（うみ）は、毎朝、今は亡き父のために、港が見える丘の上にあるコクリコ荘から旗を揚げていた。研究者の母は海外出張中で、海は、下宿人を含め6人の面倒を見ている。 一方、同じ高校の新聞部に在籍する俊は、明治時代に建てられた由緒ある部室棟――通称「カルチェラタン」――の取り壊しに反対し、抗議活動を続けていた。ふたりは心惹かれ合うが、やがてお互いの出生の秘密を知ることになり……。 見どころは1963年という時代を投影した描写に尽きる。それは「ガリ版刷り」や「ポンポン舟」「路面電車」「オート三輪」のような分かりやすいアイコンでも表現されているし、大世帯の暮らしぶりや商店街の活気、学内での熱気を帯びた弁論大会などでも表現されている。 なかでも私が好きなのは、学園の理事長に直談判に行った先で、海や俊が「待ちぼうけ」を食うシークエンスだ。理事長が姿を現すまでの間、何ら本筋には絡まない人々が、彼らの前を通り過ぎる。ところが、その名もなき人々が交わすとめもない会話から、ぷーんと時代の芳香が漂ってくるのだ。 学生たちが協力し合って「カルチェラタン」を大掃除する光景は、作品の遠景ではなく、近景として描かれている。1960年代。貧しくも希望に満ちたこの時代において、人々は密に助け合っていた。ともすればコミュニケーション不全に陥りがちな平成の時代に、ジブリがあえてこの原作（同名の少女マンガ）を映画化した理由のひとつには、消失しつつある「人と人との絆」を描きたい、という意志もあったのではないだろうか。 もっとも『コクリコ坂から』は、ノスタルジーというワンテーマで完結している作品ではなく、その中核には海と俊の純愛という「普遍のテーマ」を据えている。ときめきからスタートする一連の恋の変遷――接近、告白、誤解、決裂、修復――の過程において、鑑賞者の多くが、多かれ少なかれ経験したことのある懐かしい感情を呼び起こされるだろう。 しかしながら、この恋のドラマがいかんせん弱い。彼らに待ち受けている「出生の秘密」という障壁が安直すぎるのも問題だが、是が非でもその障壁を乗り越えようとする気概、恋の躍動のようなものが、海や俊に見られないのも残念だ。「出生の秘密」の結末を二転三転させることには熱心だが、ふたりの心情を掘り下げようという意志が微弱だ。ういういしい高校生の純愛にしては、どこか行儀が良すぎるし、彼らが抱えていたであろう葛藤や不安が描ききれていない。 宮崎吾朗監督の成長は、多くの方が認めるところだろう。前回メガホンを取った『ゲド戦記』（2006年）で散見された過剰な自意識は薄れ、作品全体を見渡す鳥瞰の視点が備わった気がする。とはいえ、果たして、この作品をアニメで見せる必要があったのか？　と考えたとき、首をひねらずにはいられない。仮に、本作が『ALWAYS 三丁目の夕日』（2005年）のような実写で製作されていた場合、あるいはアニメ（本作）を凌駕する映画ができたのでは、という思いが頭をもたげる。 ジブリに期待するのが、主人公が空を飛ぶファンタジーだと言いたいわけではないが、アニメの利点や優位性がどこにあるのかについては、改めて一考を要してもらいたいところだ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>見どころは1963年という時代を投影した描写に尽きる。（点数　75点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/07/kokuriko.jpg" border="0" /><br />
(C)2011 高橋千鶴・佐山哲郎・ GNDHDDT
</p>
<p>スリル、驚き、爽快感、癒し、学び、悲しみ、喜び……。映画から与えられるものは作品ごとに異なる。</p>
<p>スタジオジブリの最新作『コクリコ坂から』から与えられたものは、ノスタルジー、つまり、郷愁である。</p>
<p>東京オリンピックを目前に控えた1963年の横浜。高校に通う海（うみ）は、毎朝、今は亡き父のために、港が見える丘の上にあるコクリコ荘から旗を揚げていた。研究者の母は海外出張中で、海は、下宿人を含め6人の面倒を見ている。</p>
<p>一方、同じ高校の新聞部に在籍する俊は、明治時代に建てられた由緒ある部室棟――通称「カルチェラタン」――の取り壊しに反対し、抗議活動を続けていた。ふたりは心惹かれ合うが、やがてお互いの出生の秘密を知ることになり……。</p>
<p><span id="more-13060"></span></p>
<p>見どころは1963年という時代を投影した描写に尽きる。それは「ガリ版刷り」や「ポンポン舟」「路面電車」「オート三輪」のような分かりやすいアイコンでも表現されているし、大世帯の暮らしぶりや商店街の活気、学内での熱気を帯びた弁論大会などでも表現されている。</p>
<p>なかでも私が好きなのは、学園の理事長に直談判に行った先で、海や俊が「待ちぼうけ」を食うシークエンスだ。理事長が姿を現すまでの間、何ら本筋には絡まない人々が、彼らの前を通り過ぎる。ところが、その名もなき人々が交わすとめもない会話から、ぷーんと時代の芳香が漂ってくるのだ。</p>
<p>学生たちが協力し合って「カルチェラタン」を大掃除する光景は、作品の遠景ではなく、近景として描かれている。1960年代。貧しくも希望に満ちたこの時代において、人々は密に助け合っていた。ともすればコミュニケーション不全に陥りがちな平成の時代に、ジブリがあえてこの原作（同名の少女マンガ）を映画化した理由のひとつには、消失しつつある「人と人との絆」を描きたい、という意志もあったのではないだろうか。</p>
<p>もっとも『コクリコ坂から』は、ノスタルジーというワンテーマで完結している作品ではなく、その中核には海と俊の純愛という「普遍のテーマ」を据えている。ときめきからスタートする一連の恋の変遷――接近、告白、誤解、決裂、修復――の過程において、鑑賞者の多くが、多かれ少なかれ経験したことのある懐かしい感情を呼び起こされるだろう。</p>
<p>しかしながら、この恋のドラマがいかんせん弱い。彼らに待ち受けている「出生の秘密」という障壁が安直すぎるのも問題だが、是が非でもその障壁を乗り越えようとする気概、恋の躍動のようなものが、海や俊に見られないのも残念だ。「出生の秘密」の結末を二転三転させることには熱心だが、ふたりの心情を掘り下げようという意志が微弱だ。ういういしい高校生の純愛にしては、どこか行儀が良すぎるし、彼らが抱えていたであろう葛藤や不安が描ききれていない。</p>
<p>宮崎吾朗監督の成長は、多くの方が認めるところだろう。前回メガホンを取った『ゲド戦記』（2006年）で散見された過剰な自意識は薄れ、作品全体を見渡す鳥瞰の視点が備わった気がする。とはいえ、果たして、この作品をアニメで見せる必要があったのか？　と考えたとき、首をひねらずにはいられない。仮に、本作が『ALWAYS 三丁目の夕日』（2005年）のような実写で製作されていた場合、あるいはアニメ（本作）を凌駕する映画ができたのでは、という思いが頭をもたげる。</p>
<p>ジブリに期待するのが、主人公が空を飛ぶファンタジーだと言いたいわけではないが、アニメの利点や優位性がどこにあるのかについては、改めて一考を要してもらいたいところだ。</p>
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		<title>BIUTIFUL　ビューティフル</title>
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		<pubDate>Sat, 23 Jul 2011 01:03:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[エンドロールが消えてからも、しばらく席を立てない。（点数　80点） (C)2009 MENAGE ATROZ S. de R.L. de C.V., MOD PRODUCCIONES, S.L. and IKIRU FILMS S.L 負の連鎖を描いた群像作品『バベル』の名匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャ リトゥ監督と、アカデミー賞に輝いた『ノーカントリー』で映画史上屈指の悪役 シガーを演じたハビエル・バルデムがタッグを組んだ作品につき、少なからず期 待（いい意味で、覚悟）をしていたが、結果は、いいほうに裏切られた。「少な からず」という気弱なエクスキューズなど付けずに、「大いに」期待しておけば よかったのだ。おかげで「覚悟」が足りず、ヒドい目にあった。エンドロールが 消えてからも、しばらく席を立てないではないか。 スペインはバルセロナの下層に暮らすウスバル（ハビエル・バルデム）は、大都 会の裏社会で非合法な仕事に手を染めながら、幼いふたりの子供と、躁鬱病の元 妻を支えながら暮らしていた。ある日突然、ウスバルは余命2カ月の末期ガンであ ることを宣告される。ウスバルは、迫り来る死の恐怖と闘いながら、子供たちに 何を残せばいいのか、何を残すことができるのか、考えあぐねるが……。 3.11を経験した日本において、この手の重たい映画をお勧めしていいものか、迷 うところだ。しかし、この映画を観た人であれば、きっと理解してくれるだろう 。この作品が、闇雲に人を暗い気持ちにさせるものではなく、「限りある命」を 宿命づけられた人間に、その「生き方」を問う物語であるということを。模範解 答は提示されない。難問山積のウスバルに感情移入しながら、観客の一人ひとり が、どうしようもない焦りと葛藤と不安と恐怖を追体験させられるのだ。 主人公に絶望を味わわせること自体は、映画の常套である。しかし、ウスバルに 襲いかかる受難は、多様にして深刻。あまりに救いようのなものばかりだ。滅び 行く自分の身を案ずる暇さえなく、社会の下層エリアで仕事と子育てに追われる 日々。元妻との関係は悪化の一途をたどり、仕事では「人の生き死に」に関わる 悲劇的な事態に見舞われ、プライベートでは救世主に見えた人物の裏切りに合う 。夢も希望もない、見渡す限り絶望の淵である。唯一の希望といえば、そうした 状況下で、ウスバルが、一家心中という選択肢を選ばなかったことくらいだろう か。 陰影を利かせた映像は、まるでウスバルの心に巣食う「陰」と「影」を強調する メターファーのよう。また、何気ない日常のひとコマが、ウスバル一家の相関や 、彼らが置かれた状況を雄弁に物語る。冗長さと説教臭さを徹底的に排除しなが ら、情景描写と心理描写を丹念に積み重ねて行く演出は、名匠と呼ばれるイニャ リトゥ監督ならではの絶妙采配。その心意気に応えるハビエル・バルデムの縁起 も神懸かり的だ。 針の先の一点にも満たない「限られた」人生において、その「限り」にさえ期限 が付けられたときに、人は初めて「生きている」という現実に気づき、その「生 」をいかに生きるべきかを考える。言うなれば、ウスバルは私たち人間が例外な く直面しながらも後回しにし続けている「問い」に答えるべく受難を背負ったス ケープゴートのようなものだ。だからこそ、私たちはウスバルの、ときに矛盾や 苦悩に満ちた思考や行動に敏感に反応してしまうのだろう。その反応の原因を追 い求めようとする人にとって、この作品の価値は計り知れないであろう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>エンドロールが消えてからも、しばらく席を立てない。（点数　80点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/07/buitiful.jpg" border="0" /><br />
(C)2009 MENAGE ATROZ S. de R.L. de C.V., MOD PRODUCCIONES, S.L. and IKIRU FILMS S.L
</p>
<p>負の連鎖を描いた群像作品『バベル』の名匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャ<br />
リトゥ監督と、アカデミー賞に輝いた『ノーカントリー』で映画史上屈指の悪役<br />
シガーを演じたハビエル・バルデムがタッグを組んだ作品につき、少なからず期<br />
待（いい意味で、覚悟）をしていたが、結果は、いいほうに裏切られた。「少な<br />
からず」という気弱なエクスキューズなど付けずに、「大いに」期待しておけば<br />
よかったのだ。おかげで「覚悟」が足りず、ヒドい目にあった。エンドロールが<br />
消えてからも、しばらく席を立てないではないか。</p>
<p><span id="more-12999"></span></p>
<p>スペインはバルセロナの下層に暮らすウスバル（ハビエル・バルデム）は、大都<br />
会の裏社会で非合法な仕事に手を染めながら、幼いふたりの子供と、躁鬱病の元<br />
妻を支えながら暮らしていた。ある日突然、ウスバルは余命2カ月の末期ガンであ<br />
ることを宣告される。ウスバルは、迫り来る死の恐怖と闘いながら、子供たちに<br />
何を残せばいいのか、何を残すことができるのか、考えあぐねるが……。</p>
<p>3.11を経験した日本において、この手の重たい映画をお勧めしていいものか、迷<br />
うところだ。しかし、この映画を観た人であれば、きっと理解してくれるだろう<br />
。この作品が、闇雲に人を暗い気持ちにさせるものではなく、「限りある命」を<br />
宿命づけられた人間に、その「生き方」を問う物語であるということを。模範解<br />
答は提示されない。難問山積のウスバルに感情移入しながら、観客の一人ひとり<br />
が、どうしようもない焦りと葛藤と不安と恐怖を追体験させられるのだ。</p>
<p>主人公に絶望を味わわせること自体は、映画の常套である。しかし、ウスバルに<br />
襲いかかる受難は、多様にして深刻。あまりに救いようのなものばかりだ。滅び<br />
行く自分の身を案ずる暇さえなく、社会の下層エリアで仕事と子育てに追われる<br />
日々。元妻との関係は悪化の一途をたどり、仕事では「人の生き死に」に関わる<br />
悲劇的な事態に見舞われ、プライベートでは救世主に見えた人物の裏切りに合う<br />
。夢も希望もない、見渡す限り絶望の淵である。唯一の希望といえば、そうした<br />
状況下で、ウスバルが、一家心中という選択肢を選ばなかったことくらいだろう<br />
か。</p>
<p>陰影を利かせた映像は、まるでウスバルの心に巣食う「陰」と「影」を強調する<br />
メターファーのよう。また、何気ない日常のひとコマが、ウスバル一家の相関や<br />
、彼らが置かれた状況を雄弁に物語る。冗長さと説教臭さを徹底的に排除しなが<br />
ら、情景描写と心理描写を丹念に積み重ねて行く演出は、名匠と呼ばれるイニャ<br />
リトゥ監督ならではの絶妙采配。その心意気に応えるハビエル・バルデムの縁起<br />
も神懸かり的だ。</p>
<p>針の先の一点にも満たない「限られた」人生において、その「限り」にさえ期限<br />
が付けられたときに、人は初めて「生きている」という現実に気づき、その「生<br />
」をいかに生きるべきかを考える。言うなれば、ウスバルは私たち人間が例外な<br />
く直面しながらも後回しにし続けている「問い」に答えるべく受難を背負ったス<br />
ケープゴートのようなものだ。だからこそ、私たちはウスバルの、ときに矛盾や<br />
苦悩に満ちた思考や行動に敏感に反応してしまうのだろう。その反応の原因を追<br />
い求めようとする人にとって、この作品の価値は計り知れないであろう。</p>
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		<title>ミスター・ノーバディ</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12929.html</link>
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		<pubDate>Thu, 26 May 2011 20:22:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが見えてくる作品（点数　90点） (C) 2009 PAN-EUROPEENNE &#8212; MR NOBODY DEUTSCHLAND GmbH 6515291CANADA INC &#8212; TOTO&#038;CO FILMS &#8212; FRANCE 2 CINEMA &#8212; FRANCE 3 CINEMA たとえば、あなたに好きな人がいるとする。しかし残念なことに、 その人は明日旅立ってしまう。会えるのは今夜が最後。あなたは自 分の気持ちを好きな人に伝えることもできるし、伝えずに立ち去る こともできる。 さて、ドウスル？ とかく「人生の選択」をテーマにした映画が生まれやすいのは、そ こに「未来はだれにも予見できない」という“不確実性”が付随す るからだろう。未来が見えないがゆえに、人は人生の分岐点におけ る「選択」を、恐れ、ためらう。 “不確実性”というのは、映画にとって妙薬であり、うま味でもあ る。「選択」を要する分岐点に主人公を立たせることで、多かれ少 なかれドラマが生まれる。「歓び」という味になるか、「哀しみ」 という味になるか、はたまた「後悔」という味になるか、ドラマの お味は、煮立ててみてのお楽しみだが。 ところが、本作『ミスター・ノーバディ』は、こともあろうか「選 択」という概念を放棄するという驚きのアプローチに出た。 2092年、人間は科学の力で不死の人生を手に入れていた。突然目覚めた 108歳のニモ（ジャレッド・レト）は、他の人たちと大きく異なって いた。彼は永久再生化を施していない、世界で唯一の「死ぬことの できる人間」だったのだ。もはや天然記念物扱いの彼の一挙一動 は、全世界に生中継されていた。 そんな折、ニモのもとにやって来たひとりの新聞記者が、ニモの過 去に迫るべく質問を始めた。ベッドに身を横たえたニモは、おぼろ げな記憶の数々をよみがえらせていくが、そこには虚実の境が見え ない不思議な世界が広がっていた……。 １の道と２の道があった場合、通常、映画が描くのは、主人公が 「選択」したどちらか一方の道だけである。ところがこの映画は、 １の道も２の道も両方描く。さらに現れた分岐点では、３の道も４ の道も描く。終わってみれば、あっぱれ、12の道（人生）を 描ききったのである。 ある人生では、大好きな女性と激しい恋に落ちる人生を送り、ある 人生では、事故に遭って寝たきりの人生を送る、といった具合に だ。だが、どの人生も紛れもなくニモ自身のものである。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが見えてくる作品（点数　90点）</b></p>
<p align="center">
<img src="http://www.cinemaonline.jp/image/2011/05/nobody.jpg" border="0" /><br />
(C) 2009 PAN-EUROPEENNE &#8212; MR NOBODY DEUTSCHLAND GmbH 6515291CANADA INC &#8212; TOTO&#038;CO FILMS &#8212; FRANCE 2 CINEMA &#8212; FRANCE 3 CINEMA
</p>
<p>たとえば、あなたに好きな人がいるとする。しかし残念なことに、<br />
その人は明日旅立ってしまう。会えるのは今夜が最後。あなたは自<br />
分の気持ちを好きな人に伝えることもできるし、伝えずに立ち去る<br />
こともできる。</p>
<p>さて、ドウスル？</p>
<p><span id="more-12929"></span></p>
<p>とかく「人生の選択」をテーマにした映画が生まれやすいのは、そ<br />
こに「未来はだれにも予見できない」という“不確実性”が付随す<br />
るからだろう。未来が見えないがゆえに、人は人生の分岐点におけ<br />
る「選択」を、恐れ、ためらう。</p>
<p>“不確実性”というのは、映画にとって妙薬であり、うま味でもあ<br />
る。「選択」を要する分岐点に主人公を立たせることで、多かれ少<br />
なかれドラマが生まれる。「歓び」という味になるか、「哀しみ」<br />
という味になるか、はたまた「後悔」という味になるか、ドラマの<br />
お味は、煮立ててみてのお楽しみだが。</p>
<p>ところが、本作『ミスター・ノーバディ』は、こともあろうか「選<br />
択」という概念を放棄するという驚きのアプローチに出た。</p>
<p>2092年、人間は科学の力で不死の人生を手に入れていた。突然目覚めた<br />
108歳のニモ（ジャレッド・レト）は、他の人たちと大きく異なって<br />
いた。彼は永久再生化を施していない、世界で唯一の「死ぬことの<br />
できる人間」だったのだ。もはや天然記念物扱いの彼の一挙一動<br />
は、全世界に生中継されていた。</p>
<p>そんな折、ニモのもとにやって来たひとりの新聞記者が、ニモの過<br />
去に迫るべく質問を始めた。ベッドに身を横たえたニモは、おぼろ<br />
げな記憶の数々をよみがえらせていくが、そこには虚実の境が見え<br />
ない不思議な世界が広がっていた……。</p>
<p>１の道と２の道があった場合、通常、映画が描くのは、主人公が<br />
「選択」したどちらか一方の道だけである。ところがこの映画は、<br />
１の道も２の道も両方描く。さらに現れた分岐点では、３の道も４<br />
の道も描く。終わってみれば、あっぱれ、12の道（人生）を<br />
描ききったのである。</p>
<p>ある人生では、大好きな女性と激しい恋に落ちる人生を送り、ある<br />
人生では、事故に遭って寝たきりの人生を送る、といった具合に<br />
だ。だが、どの人生も紛れもなくニモ自身のものである。</p>
<p>こうしたパラレルな多重構造に対して「そんなのはおかしい！」と<br />
楯つくのは無粋といえよう。なぜなら、こうした不可思議なドラマ<br />
構造を通じて蒸留される「何か」に考察を加えることこそが、この<br />
種の作品の醍醐味だからだ。</p>
<p>少なくともこの映画は、簡単に感動を与えてくれるタイプの作品で<br />
も、安易に講釈をたれるタイプの作品でもない。観客側から積極的<br />
にアプローチをかけて、その真意を読み解くタイプの作品である。<br />
主人公が「ある重大な判断」を下す終盤のシークエンスは、この作<br />
品が紛れもない傑作であることを決定づける。いやはや、たまにこ<br />
ういう作品に出合うから映画鑑賞はやめられない。</p>
<p>ジャコ・ヴァン・ドルマン監督は実にお優しい。複雑な映画を見慣<br />
れていない人たちが迷子にならないよう、随所に工夫と配慮をちり<br />
ばめている。「私は迷子になってしまうかも……」と不安な方は、<br />
スクリーンを彩る「色」に注意しながらストーリーを追うといいだろう。</p>
<p>「選択」という概念を手放した『ミスター・ノーバディ』という作<br />
品の評価と解釈は、一人ひとりの観客に委ねられているが、私自身<br />
は、どんな道にも、例外なく「喜怒哀楽」、さらに鳥瞰するなら<br />
「幸・不幸」が存在している点に、ひとつの理解を得ることができ<br />
た。極端な言い方をするなら、「選択」、それ自体に大きな意味は<br />
ない、ということだ。</p>
<p>パラレルに展開される12の物語を破綻させることなくまとめ<br />
あげたジャコ・ヴァン・ドルマン監督の鋭い論理的思考と、芸術性<br />
に優れた絵作りに脱帽だ。右脳派にも左脳派にも訴えかける力を<br />
持っているが、むろんそれは、万人受けするという意味ではない。<br />
脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが<br />
見えてくるという、そういう映画である。手ごわいが、代え難い余<br />
韻が味わえる。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>食べて、祈って、恋をして</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12752.html</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Feb 2011 07:47:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-低得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>

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		<description><![CDATA[果たしてこの演出でよかったのだろうか？（40点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><b>果たしてこの演出でよかったのだろうか？（40点）</b></p>

<p><img src="http://yamaguchi-takuro.com/movie.eat.pray.love.jpg" border="0" />
</p>

<p>「自分探しの旅」が、ザックを背負って貧乏旅行をする沢木耕太郎の『深夜特急』のイメージだといえば、若い世代に“きょとん”とされるだろうか？</p>


<p>国が異なるからか、時代が異なるからか、はたまた性別のせいかなのか。ハリウッドの大物女優ジュリア・ロバーツを起用して描かれる「自分探しの旅」は、平穏な結婚生活を送り、お金も十分にあるキャリアウーマンが主人公。家族や仕事を投げ出して旅に出る主人公のメンタリティは、なんとも理解に苦しむ。ハタチ前後の小娘でもなかろうに。とはいえ、物質的にも環境的にも満たされている彼女が、説明のつかない「虚しさ」に襲われる心理は、意外に少なくない「満たされない症候群」を病む女性にはピンとくるかもしれない。</p>

<span id="more-12752"></span>


<p>ニューヨークでジャーナリストとして活躍するエリザベス（ジュリア・ロバーツ）は、８年におよぶ結婚生活にピリオドを打ち、1年間で世界3カ国を巡る旅する。イタリアでは「自由に食べる喜び」を堪能し、インドでは「自分自身を見つめ直す内省」を会得し、バリでは「自然と共にある調和」の気持ち良さを知った。ところが旅の最後に訪れたのは、ある男との運命的な出会いであった……。</p>


<p>「旅」とはいえ、その実は「滞在」である。その土地での暮らしを受け入れて、ありのままに生きる。それがエリザベスが自分に課したミッション。「旅の間は恋をしない」という唯一のルールは、惰性で恋愛をすることで「自分探し」の機会を損なうことのへの警戒心が生み出したものだ。そうなると、一体どこが「ありのまま」なのかよく分からないが、当の本人は、異国の地でさまざまな文化や人間に触れながら、今まで経験したことのない充足感や癒しを味わう。</p>


<p>「ご覧の通り、エリザベスの成長を描いた物語です」とでも言いたいのだろう。映画制作者サイドとしては。しかし、果たして彼女が「自分探しの旅」で、「自分」を見つけられたかは疑問である。そもそも旅に発見があるのは当たり前の話である。肝心なのは、旅を通じて、彼女がニューヨークで感じていた「虚しさ」の原因を突き止められたか否かであろう。しかしながら、おそらく彼女は本質的に何も変わっていない。「自分探しの旅」に出た女性が、当初の目標を達成できずに終わった…。本作「食べて、祈って、恋をして」は、そういう映画である。彼女はきっとまた同じ過ちをくり返すのだろう。</p>


<p>第一、自由な旅に出ながらに「旅の間は恋をしない」というルールを設けることに何の意味があるのだろう？　心とは裏腹にムリして自然体を装おうとする彼女の行動から見えてくるのは、自意識とプライドの高さにほかならない。ましてや主人公が「空虚な自分もまた自分」と悟るなど夢のまた夢。重度の「満たされない症候群」を病む主人公の心理変化はどこまでも微量である。原作がある作品とはいえ、果たしてこの演出でよかったのだろうか？　とよからぬ心配をしたくなる。</p>


<p>渡り歩く3カ国で、順番に別々の「大事なもの」を見つけるというご都合主義にもげんなりする。そんな厳格なフォーマットが「自分探しの旅」の価値を下げている。イタリア、インド、バリと渡り歩くなかで、各国のロケーションや人々の生活が垣間見られるのは楽しく、光に満ちた映像も“癒し系映画”らしいアドバンテージだ。しかしそれらを手放しで賞賛できるのは、主人公の心理描写にリアリティがあればこそ。鑑賞後に「イタリアンが食べたくなった！」「バリに行きくなった！」「自分探しの旅に出たくなった！」のいずれかで終わってしまう映画ってどうなのだろう？　と首をひねるばかりだ。</p>




<p>お気に入り点数：40点／100点満点中</p>]]></content:encoded>
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		<title>終着駅-トルストイ最後の旅-</title>
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		<pubDate>Wed, 15 Sep 2010 01:00:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[2010年09月11日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[終着駅-トルストイ最後の旅-]]></category>

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		<description><![CDATA[ワレンチン自身が実体験を通じて、愛の本質を見極めていく姿勢がいい（70点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　スターやヒーローは、遠くの人には愛されるが、近くの人には恨まれる。よく耳にする話だ。肥大化しながら世の中を一人歩きする自分の虚像と、現実の自分（実像）とのギャップが生み出す皮肉のようなものである。</p>
<span id="more-12730"></span>
<p>　「愛」「非暴力」「道徳」を唱える理想主義者のトルストイ。冨も名声も手に入れたこの歴史的文豪の妻が、「世界三大悪妻（※）」のひとりだというのだから、神様も相当に高みの見物がお好きなようである。</p>
<p>　ロシアの文豪トルストイ（クリストファー・プラマー）に半世紀に渡って添い遂げてきた妻ソフィヤ（へレン・ミレン）。晩年、トルストイが著作権（＝財産）を放棄しようとしたことで、彼女はトルストイに対する不信感を強める。家庭内の不穏な空気に心を痛めたトルストイは、82歳にして家出をするが、その旅の道中、名もなき駅で天に召されてしまう……。</p>
<p>　「愛」とはいったい何なのだろう？　本作「終着駅 トルストイ最後の旅」は、その問いにひとつの回答を示している。理想の「愛」を提唱する人間が、自宅ではやっかいな夫婦の問題を抱えていた。どれほどの偉人であれ、「愛」にはきっと不可解さがつきまとうものなのだ。文学の大家でさえ例外ではなく。その事実が、偉大でも特別でもない私たちに安堵をもたらす。</p>
<p>　トルストイ信仰者（ファン）がソフィヤをバッシングする気持ちも分からなくはない。たしかに彼女は、少々わがままで感情的で神経症的である。著作権放棄という英断を下すトルストイに不満たらたらな様子などを見れば、&quot;がめつい守銭奴&quot;という誹りを受けても致し方あるまい。</p>
<p>　とはいえ、映画は「トルストイ＝善、ソフィヤ＝悪」というステレオタイプな結論を導き出そうとしているわけではない。それどころか、ソフィヤのトルストイへの深い愛情こそが「悪妻」の養分である、とでも言いたげだ。</p>
<p>　なるほど彼女は、トルストイの『戦争と平和』を生涯に6回も書き写したという。それほど熱烈なトルストイ信者がほかにいただろうか。そう考えると、彼女の駄々っ子然とした振る舞いの数々もまた「愛の一形態」のように思えてくる。そもそも、妻である以上、夫の著作権放棄に異議を唱えるのは、まっとうな権利ではないか。</p>
<p>　トルストイ夫妻の物語に並行して、トルストイに心酔する若き秘書ワレンチン（ジェームズ・マカヴォイ）の視点を盛り込むことで、映画は「愛」というテーマをより多角的、立体的に浮き上がらせようとする。</p>
<p>　トルストイが掲げる「理想の愛」と、トルストイの実生活が写し出す「現実の愛」。その狭間で悶々としながらも、最後にはワレンチン自身が実体験を通じて、愛の本質を見極めていく姿勢がいい。「愛」は教えられるものではなく、自分自身の体感として創造されるべきもの――。映画のテーマはここに集約されているのかもしれない。</p>
<p>　クリストファー・プラマーとへレン・ミレンの情熱的な演技が、見た目はシワだらけのトルストイとソフィヤを瑞々しくよみがえらせた。多感で傷つきやすい。まるで少年少女のようでもある。ふたりの好演がなければ、人生の終末期においてもなお浮き沈みをくり返す「愛」の気まぐれな性質を描くことはできなかっただろう。</p>
<p>　鑑賞後の長く深い余韻に浸りながら、しばし「愛」と「人生」の意味を考えずにはいられなかった。</p>
<p>　※世界三大悪妻は、トルストイの妻ソフィヤのほかに、残りふたりは哲学者ソクラテスの妻クサンチッペと、モーツアルトの妻コンスタンツェ。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>東京島</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12682.html</link>
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		<pubDate>Wed, 01 Sep 2010 01:00:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年08月28日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[東京島]]></category>

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		<description><![CDATA[無人島が備える「極限状態」というアドバンテージをどぶに捨てたような作品（35点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　簡単に筋を説明すると、無人島に漂着した22人の男と1人の女。さてこのあとどうなるでしょう？　という映画である。「22人VS.1人」という確信犯的な設定からも察しがつく通り、ドラマのキーマンは、紅一点の主人公、清子（木村多江）である。もし桐野夏生の原作を未読の方であれば、鑑賞前に、彼女がこの過酷な状況下でどのように生き抜くのか、予測してみるといいかもしれない（ただしその場合、この批評は読まないほうが賢明です）。</p>
<span id="more-12682"></span>
<p>　夫婦水入らずの船旅の途中で事故に遭い、無人島に流された主婦、清子（木村多江）。ぼう然自失の生活を送る夫に愛想を尽かした彼女は、頼れる者は「自分以外にいない」と気づく。やがて島には若いフリーター男子16人、さらには密航に失敗した中国人6人も流れ着き、無人島はにわかに活気づく……。</p>
<p>　無人島から抜け出すには自分の「女」が武器になると気づいた清子は、少しずつ狡猾（こうかつ）な本性を見せ始める。「したたか」というよりは「あざとさ」ばかりが目に付く彼女の振る舞いだが、ある事実が発覚するまで、おしなべて不感症な島の同居人たち（フリーター連中）が、その本性に気づくことはない。洞察力の鋭い孤高の異端児ワタナベ（窪塚洋介）を除いては。</p>
<p>　ヒロインにフェロモン微量な木村多江（もちろん、すっぴん）を起用したのは、色気をエサにした逆ハーレム映画ではなく、力強いアラフォー女の生命力を描きたかったからなのだろう。一方、“盛り”の年齢にある野郎どもの体たらくぶりときたらどうだ。本来、無人島で紅一点とあらば、いくら色気のない40女とはいえ、男たちにとっては格好の獲物（求愛対象）ではないだろうか。ところが、本能まかせに秩序を破るワイルドマンはひとりとして現れない。これが今どきの草食系男子の実態だとしたら、いよいよ本気で日本の将来を案じなければなるまい。</p>
<p>　映画は、男たちの生命力の乏しさを棚上げする一方で、彼らが形成するコミュニティ内のパワーバランスを描くことに必死だ。しかしながら、パワーバランスを描くに必要な各人の心理・心情が掘り下げられていないため、ドラマが表層の域を出ることはない。おまけに、日本人グループと中国人グループの対立構図も中途半端極まりない。唯一、特異な存在感を放つワタナベ（窪塚洋介）でさえ、エキセントリックな言葉と行動で観客の目を引く程度で、中だるみの激しいドラマを動かすカンフル剤にはならない。</p>
<p>　そもそも本作「東京島」は、肝心なディテール描写を割愛しすぎだろう。序盤から家は建っているし、火もおこせているし、最低限の水や食料も確保できている。空腹とはいえ、生命が脅かされ、精神が病むような描写もない。そうなると当然、テーマとなるべき人間本来の「生命力」や「本能」に切れ込むことは不可能に。厳しい見方をすれば、無人島が備える「極限状態」というアドバンテージをどぶに捨てたような作品である。こうなると映画の魅力を見つけることさえひと苦労。129分の長丁場が、この苦労を苦痛に変えていったことは言うまでもない。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>ザ・コーヴ</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12602.html</link>
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		<pubDate>Thu, 12 Aug 2010 07:00:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[2010年07月03日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ザ・コーヴ]]></category>

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		<description><![CDATA[本作ほど作り手の目論み通りに仕上がったドキュメンタリーも珍しい（80点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞し、日本では上映中止問題で話題となった「ザ・コーヴ」。和歌山県太地町のイルカ漁に反対するクルーが撮
影したドキュメンタリーだ。</p>
<span id="more-12602"></span>
<p>　本作を見れば、ドキュメンタリー映画というものの本質が理解できよう。簡単に言えば、ドキュメンタリー映画とは、作り手の主義・主張の場である。
「いや、私は公平な立場を崩していない」「事実を伝えているだけだ」というクリエーターやジャーナリストもいるかもしれないが、「編集」という作業が入っ
ている以上、そこに「公平」や「事実」という言葉を持ち出すことはできない。</p>
<p>　しかしながら、ドキュメンタリー作品は、ときに公正、平等な顔をする。それは新聞や雑誌、ニュース番組などにも言えることだが（映画批評もその一
つかもしれない）、公正だ平等だと言っているメディアに限って、自分たちがその言葉の不誠実さに毒されていることに気づいていない。それゆえタチが悪い。
本当に「公正さ」「平等さ」を証明するならば、対象となる事象の全方位に設置したカメラで365日、24時間に渡って撮影したフィルムを全編公開するより
ほかに手段はない。「編集」という魔術を使えば、公正、平等という便利な言葉を担保に“したり顔”をすることくらい誰にでもできるのだから。</p>
<p>　「ザ・コーヴ」という映画も、当然、そうした前提のもとに鑑賞すべき映画であろう。もちろん、映画を見て何を感じるかは個々の自由だが、ドキュメ
ンタリー映画である以上、そこに描かれたモノだけを愚直に咀嚼して、物事の善悪を判断することは危険極まりない。そうではなく、作り手の主張がどこにある
のか？――そこに意識をフォーカスするほうが、作り手の狙いや思惑が捉えやすい分、逆に、事象を俯瞰できるのではないかと私は思う。</p>
<p>　いずれにせよ、本作ほど作り手の目論み通りに仕上がったドキュメンタリーも珍しいだろう。それは、すでに評判になっている地獄絵図のようなクライ
マックスシーンの撮影に成功したことがすべて、ともいえる。かつて見たことのない海の色をフィルムに収めた段階で、この映画は勝利している。勝利という言
葉は適切ではないかもしれないが、少なくとも、本作はその決定的なシークエンスをもってして、観客に「未曾有の追体験」をもたらした。イルカ漁擁護派がど
れだけ正しいロジックを積み上げたとしても、観客の視覚を急襲したこの生々しい光景を消去することは不可能である。あの海の色と、そこでくり広げられてい
た「イルカ漁の実態」がでっち上げでない限り、「ザ・コーヴ」という映画は、無敵のバリアを手に入れたも同然というわけだ。</p>
<p>　加えて、本作が優れているのは、その一連の流れをまるでスパイ映画のような演出で見せ切った点にある。太地町にとっては皮肉以外の何ものでもない
が、立ち入り禁止区域におけるほどよい警備の緩さが、撮影クルーが企てるエンターテインメント性あふれるドラマに格好のパスを送ったカタチだ。断片を羅列
する小難しい見せ方よりも、平易でスリリングなストーリー仕立てのほうが、観客が感情移入しやすいことを作り手は熟知している。論点のズレた「水銀」の
データーを含めて蛇足もいくつか見受けられるものの、確信犯的にストーリー作りに専念した作り手のしたたかさ（あざとさ？）は見事というよりほかない。</p>
<p>　太地町で行われているイルカ漁の是非については、周囲の雑音に惑わされることなく、鑑賞者一人ひとりが思い思いの見解を示せばいいだろう。少なく
ともこの映画は「日本人でさえほとんど知らなかった事実を白日の下にさらし、問題を提起する」という役割を果たしている。もっとも、戦争映画の映画批評で
戦争の是非を語ることが本末転倒であるのと同様に、本作「ザ・コーヴ」の映画批評で太地町におけるイルカ漁の是非を語ることも本末転倒に違いまい。した
がって、この場でイルカ漁についての個人的な意見や主張を表明することは控えさせていただく。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>トイ・ストーリー3</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12547.html</link>
		<comments>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12547.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 Jul 2010 03:00:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[2010年07月10日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[トイ・ストーリー3]]></category>

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		<description><![CDATA[綿密にドラマを練り上げた脚本家には、最大級の賛辞を送りたい（95点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　おもちゃにとびきり魅力的な個性を与え、彼らの日常（人間の目が行き届かない時間帯）をユーモアたっぷりに描くピクサー製作の「トイ・ストーリー」（第1作は1995年／第2作は1999年）。そんな人気アニメシリーズが11年ぶりに送り出した第3弾は、持ち主アンディとおもちゃ、双方向の「卒業」を描いた物語だ。</p>
<span id="more-12547"></span>
<p>　大学に入学する17歳のアンディは、あと数日で自宅を出て寮に引っ越すことになっていた。アンディは、小さいころから大事にしてきたおもちゃを屋根裏部屋にしまおうとするが、勘違いをした母親が、おもちゃの入った袋をゴミ捨て場に出してしまう。ゴミ処理場行きは免れたものの、おもちゃは凶暴な園児が大勢いる託児所に寄付されてしまい……。</p>
<p>　おもちゃとアンディ。両者の相思相愛ぶりを知る私たち（観客）にとって、感情移入できる対象は、おもちゃかアンディのどちらか一方ではなく、その両方である。冒頭で「卒業」という言葉を使ったが、おもちゃが使命を果たし終えるという意味では「引退」でもあるし、大好きな人と別れるという意味では「失恋」でもある。「卒業」に「引退」に「失恋」。こうした分岐点を用意することで、映画は、人（モノ）にとって価値ある生き方とはどういうものかを考えさせる。</p>
<p>　本作を鑑賞して「モノを大事にしよう」というメッセージが心に響かない人はそうはいないだろう。がしかし、そのメッセージはどちらかというと表向きのものだ。作品の根底に流れているのは、私たち人間はすべてのモノに生命を吹き込む想像力を持っている、というメッセージではないだろうか。アンディのおもちゃへの「愛」の原点も「想像力」なら、おもちゃ同士の「絆」の原点も「想像力」にほかならない。</p>
<p>　「卒業」「引退」「失恋」のシナジー効果はてきめんで、号泣必至のエンディングはこちらの想像をはるかに超えるレベルであった。相思相愛にもかかわらず、お互いの未来のために価値ある別れを選択する彼ら（アンディ＆おもちゃ）の生き方は、ほとんど「自利利他」の美学であり、私などは、単に寂しいという思いを通り越して、愛し愛される歓びの極致へと誘われた。人もモノも愛されたように育つ。それは一つの真実だろう。</p>
<p>　綿密にドラマを練り上げた脚本家には、最大級の賛辞を送りたい。「信頼」と「誤解」、「絆」と「裏切り」、「愛」と「嫉妬」、「希望」と「不安」、「歓び」と「寂しさ」――相対する要素を縦横に編み込んだドラマは、本流からいくつかに枝分かれした支流が、劇的な変化を見せながら再び本流に集約していく巧妙な展開。しかも、終盤には実写映画顔負けの脱出アクションまで用意する豪華サービス特典付きだ。表層的な「お涙ちょうだい」話ばかり書いている脚本家諸氏は、真に人の胸を打つ物語がどのようにして作られているのか、当代随一のストーリーテラーたるピクサーが放ったこの最高傑作で勉強するといいだろう。</p>
<p>　アンディがウッディらおもちゃに別れを告げるとき、ピクサーも、そして私たち観客も「トイ・ストーリー」という作品に別れを告げることになる。現実と虚構は表裏一体。あるいはピクサーが「トイ・ストーリー」という作品に、ウッディの姿を重ねあわせていたとしてもなんら不思議な話ではない。</p>
<p>　とことんエンターテインメントでありながらも、一つひとつのシーンには、ヘタな哲学書を凌駕するほどの示唆やメッセージがこめられている。この種の涙を流させてくれる作品はそうない。アメリカ産アニメ映画の金字塔といっても言い過ぎではないだろう。</p>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12547.html/feed</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>レポゼッション・メン</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12495.html</link>
		<comments>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12495.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 05:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[2010年07月02日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[レポゼッション・メン]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.cinemaonline.jp/?p=12495</guid>
		<description><![CDATA[クライマックスとなるユニオン社内での至近戦は、バイオレンス・アクションファンがヨダレを垂らすであろう壮絶さ（65点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　舞台は近未来のニューヨーク。世の中には人工臓器が普及し、誰もが「お金さえ払えば」人工臓器を装着することができる。心臓や腎臓、肝臓あたりまでかと思えば、人工臓器メーカーのユニオン社は、眼球や鼓膜、膀胱、関節までラインアップしている。なかには、体のありとあらゆる臓器を人工臓器に替えている強者も。それほど高度な医療技術をもつ医師がどれだけいるのか？　臓器移植による拒絶反応はないのか？　そんな疑問に答える気などさらさらなく、映画は人工臓器ビジネスがスタンダード化した世界を描く。</p>
<span id="more-12495"></span>
<p>　ユニオン社は、さまざまな商品（人工臓器）を高利ローンで売りつけ、莫大な利益をあげていた。購入者のローンの支払いが滞ると、臓器回収人のレポゼッション・メン（通称レポ・メン）が、債務者の人工臓器を回収するシステムを確立している。</p>
<p>　大親友のジェイク（フォレスト・ウィテカー）とコンビを組んで活躍していたレミー（ジュード・ロウ）は、スゴ腕のレポ・メンだった。ところが、ある事故で心臓がダメージを受け、あろうことか自分が人工心臓を装着するはめになってしまった。高額なローンを返済するには、レポ・メンとしての職務をこれまで通りこなすしかなかったが、良心の呵責が芽生えたのか、レミーは債務者から人工臓器を取り立てることができない。人工臓器の支払いが滞ったレミーは、いよいよレポ・メンから追われる身となり……。</p>
<p>　人口臓器を回収された人は、もちろん死に至るわけだが、この取り立てが合法化されているというから世も末。今で言うなら「トイチ」のヤミ金融が、その強引な取り立ても含めて合法化されているというわけだ。もっとも、そうした非人道的で荒れ果てた近未来を“荒唐無稽”と切り捨てられないところに、この映画の妙味があるわけだが。</p>
<p>　レミーのレポ・メンとしてのジレンマを掘り下げるのかと思いきや、中盤以降は、ユニオン社が放ったレポ・メンから身を隠すレミー＆ベスの逃亡劇をスリリングに描く。クライマックスとなるユニオン社内での至近戦は、バイオレンス・アクションファンがヨダレを垂らすであろう壮絶さ。そしてオーバーヒート寸前の「熱気」から一転、静寂の空間で用意されたレミーとベスのある行為は、「痛み＝快楽」という官能の極致。彼らが重ねる鼓動に酔いしれる人もいれば、あまりのグロさに席を立つひともいるかもしれない。</p>
<p>　エンディング間際に待ち受けている驚きの結末については、「賛」も「否」も出るだろう。ひとつ言えるとしたら、この結末から物語をふり返ることで見えてくる教訓がひとつある、ということだ。それは人工臓器回収にまつわる表向きのテーマとはまた別の、＜支配＞という言葉に集約される背筋の寒くなるような教訓である。</p>
<p>　本作「レポゼッション・メン」は、サスペンスと社会批評性とブラックユーモアの3食材を、バイオレンス・アクションという名の大皿の上に盛りつけて、なおかつ、そのうえから近未来SF風ソースをたっぷりかけた無国籍風創作料理のような作品だ。娯楽作とはいえ、ヘタなスプラッターより流血量が多いので、血に弱い人は鑑賞を回避したほうが賢明だ。「ひねりのきいた近未来SF好き！」「ハード・アクション好き！」「ジュードの鍛えられた上半身が気になる……」という方々であれば、楽しめる要素は十分あるだろう。</p>]]></content:encoded>
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		<title>ガールフレンド・エクスペリエンス</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Jul 2010 05:00:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[2010年07月03日公開]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ガールフレンド・エクスペリエンス]]></category>

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		<description><![CDATA[持ち前の美貌やスタイルにおごることなく、完璧なサービスを追求するプロフェッショナルな姿勢には脱帽せざるを得ない（75点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「セックスと嘘とビデオテープ」（1989年）、「トラフィック」（2000年）、「オーシャンズ11」（2001年）シリーズ、「インフォーマント！」（2009年）などでおなじみのスティーヴン・ソダーバーグ監督が、主演に人気No.1ポルノ女優サーシャ・グレイを大抜擢した本作「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、顧客に「恋人のようなひととき」を提供する高級エスコート嬢の日常を描いた物語だ。</p>
<span id="more-12472"></span>
<p>　ニューヨーク在住の高級エスコート嬢（高級コールガール）。1時間で2000＄を稼ぐ主人公のチェルシーは、エスコートクラブに属するわけでもなく（「中締め」はいない）、みずから集客用のウェブサイトを立ち上げ、それを管理・運営しながら（検索エンジンの上位表示対策も実施）、「自分」という商品の価値を高めるパーソナルブランディングを展開。自分を磨くために、必要だと思ったことには惜しみなく自己投資していく。</p>
<p>　少なからず危険を伴うエスコートの仕事をセルフマネージメントしていくのは並大抵のことではない。しかし彼女は、独自の判断基準で顧客を選別。必要とあらば、ウェブ上で影響力をもつ批評家（エロチック鑑定家）にすり寄りもする。顧客の好みに合わせて服や下着を新調するなど、持ち前の美貌やスタイルにおごることなく、完璧なサービスを追求するプロフェッショナルな姿勢には脱帽せざるを得ない。</p>
<p>　物語は、そんなチェルシーの一挙一動をつぶさに追う一方で、その背景に、リーマン・ショックによる経済破綻の余波を受けるニューヨークの世情（2008年10月当時）を描き出す。チェルシーの顧客には企業の経営者やトップビジネスマンも少なくないが、行き先不透明な社会においては、一見屈強そうな彼らよりも、自分自身の嗅覚を頼りに生き抜くチェルシーのほうがしたたかに見える。こうしたアイロニーを混ぜ込むことによって、本作「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、チェルシーという「個の生き方」を超えて、雑多な人々が交錯するニューヨークという「大都市の現実」を映す映画にもなっている。</p>
<p>　長年連れ添ったパートナー（恋人）との別れをはじめ、いくつかのすれ違いや裏切り、誹謗・中傷にあって傷つくチェルシーが、再び自身の持ち場に戻っていく展開には、「マイレージ、マイライフ」（2009年）に通じる人生観の帰着がうかがえる。高級エスコート嬢が「ふつうの女性」として“幸せ”に気づき、それを手にするという安直な結末を回避した点を評価したい。</p>
<p>　最新鋭のデジタルカメラ「RED ONE」を駆使したドキュメンタリー風の絵作りには、＜洗練＞と同時に、映画好きの青年が撮影したかのような＜初期衝動＞が感じられる。ソダーバーグ監督の原点回帰作といってもいいだろう。街の鼓動を表現した音楽や、ニューヨークの街や人をシャープに捉えたスケッチ力など、創造性を武器にした確かな演出力にも注目だ。娯楽性は微量。ツウな映画ファンにこそオススメしたい作品だ。</p>]]></content:encoded>
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		<title>運命のボタン</title>
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		<pubDate>Thu, 03 Jun 2010 07:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[運命のボタン]]></category>

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		<description><![CDATA[“ラブコメの女王”の異名を取るキャメロンの名前に釣られて劇場に足を運んだ人のなかには、あまりに予想外の結末に席から立てなくなる人もいるかも（65点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　舞台は1976年のヴァージニア州郊外。高校教師のノーマ（キャメロン・ディアス）とNASAに勤める宇宙飛行士志望のアーサー（ジェームズ・マースデン）夫妻は、ひとり息子と3人で仲良く暮らしていた。ある朝、自宅前に身に覚えのないボタン装置が置いてあった。</p>
<span id="more-12141"></span>
<p>　その日の午後、自宅にやって来た老紳士スチュアート（フランク・ランジェラ）は、このボタン装置について驚くべき説明を始めた。それは「ボタンを押すとどこかであなたの知らない誰かが死に、あなたに100万ドルが入ります」というものだった。ふたりは悩んだ末に……。</p>
<p>　「人間の道徳心」そして「選択と責任」についての物語だ。法律用語に「未必の故意」というのがある。たとえば、高速道路でわざと急ブレーキを踏むとする。当然、後続車は次々とブレーキを踏むことになる。すぐ後ろのクルマは衝突しなかったとしても、30台後方で衝突事故が発生して誰かが死ぬかもしれない。</p>
<p>　つまり、自分の急ブレーキで誰かが死ぬ――その可能性があると分かっており、なおかつ、そうなってもいいと思ってした行為については、結果発生が不確実なものであっても「故意（わざとすること）」とみなされるわけである。</p>
<p>　急ブレーキを踏んだ本人は、後方で死亡事故が起きたことには気づかないまま（何の責任も問われずに）一生を終えるかもしれない。あるいは逮捕された末に、相応の罰を受けることになるのかもしれない。お咎めのない「未必の故意」も世の中にはたくさんあるだろう。</p>
<p>　いずれにせよ、この映画の裁きは、人を殺めるという具体的な行為に対してというよりは、当事者の心にはびこる利己主義に対して下される。幸福を手にしたはず（？）のノーマが「罪悪感」や「良心の呵責」に襲われて、まったくと言っていいほど笑顔を見せない。なんと皮肉含有率の高い残酷作品だろうか。</p>
<p>　本作「運命のボタン」は荒唐無稽の世界に片足を突っ込みながらも、最低限のリアリティと緊張感を保ちつつ進む不条理ドラマだ。「ドニー・ダーコ」（2001年）で緻密な世界観を作り上げたリチャード・ケリー監督の采配は、本作でも安直な予定調和に流れることはない。「贖罪」というテーマを掘り下げながら、「選択する」ことの意味を観客にたっぷりと考えさせる。</p>
<p>　ラストの重さはM・ナイト・シャラマン級。“ラブコメの女王”の異名を取るキャメロンの名前に釣られて劇場に足を運んだ人のなかには、あまりに予想外の結末に席から立てなくなる人もいるかもしれない。</p>
<p>　動機のはっきりしないSF的な展開については賛否の分かれるところであり、究極の選択を強いるには脚本の練り上げも甘い。それでも「私は『利己主義』や『未必の故意』とは無縁で生きています！」と断言できる人間でもない限り、ノーマやアーサーに親近感をもつ＆感情移入するのは必至で、上映中、彼らと同じ目線で「私ならどうするか？」という選択を迫られるはずだ。</p>
<p>　不条理極まりない設定と、同情に流れない結末が相まって、鑑賞後には重苦しい余韻が残る。通常、世の中の多くの問題には出口（あるいは出口らしきもの）が用意されているが、この映画の出口はマゾ的なほど小さい。出口という名のギロチンだ。ノーマ夫妻の行動と結末についてどう感じたか？　他人と解釈をシェアしてこそ輝く映画ではないだろうか。</p>]]></content:encoded>
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		<title>川の底からこんにちは</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12061.html</link>
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		<pubDate>Thu, 20 May 2010 01:10:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[川の底からこんにちは]]></category>

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		<description><![CDATA[演出にキレがある訳でもなく、ドラマ展開も冗長気味。汁系のユーモアに至っては完全にマニア好みだ。しかし同時に、息づかいと生命力が感じられる作品でもある（70点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　弱冠26歳の映画監督、石井裕也。「ぴあフィルムフェスティバル」のコンペティション第29回PFFで「剥き出しニッポン」がグランプリを受賞、アジアでは「第1回エドワード・ヤン記念 アジア新人監督大賞」を受賞するなど、国内外で高い評価を得ている注目の才能だ。</p>
<span id="more-12061"></span>
<p>　そんな日本映画界の新星の商業映画デビュー作「川の底からこんにちは」は、若手演技派女優、満島ひかりを主演に起用した異色の人生劇場。彼らの同世代が感じているであろう時代の閉塞感を背景に、無気力で不器用な主人公のどん底ライフと、そんなどん底からやけっぱちの開き直りでテイクオフするまでを描く。</p>
<p>　上京してから5年、仕事も恋愛もうまくいかず、無気力な日々を送っていた佐和子（満島ひかり）のもとに、「父親が倒れた」と連絡が入る。父親が経営する「しじみ工場」を継ぐべく帰郷した佐和子だったが、工場で働く嫌みたらたらなおばちゃんたちから総すかんを食う。工場が閉鎖寸前に追い込まれる一方で、こともあろうか佐和子を追いかけてきた子連れの恋人が、佐和子の幼なじみと浮気をする。佐和子は吹っ切れて、会社再建に向けて一念発起するが……。</p>
<p>　口を開けば「しょうがない」を連発し、他人とのコミュニケーションも不全気味。子連れの恋人に対してもどこか冷めており、恋する乙女の純情は微塵も感じられない。なんとも感情移入しづらいキャラクターだが、物心ついたときから不況続きの10代、20代の世代にとっては、彼女こそ、真に共感できるヒロインなのかもしれない。</p>
<p>　人生の下り坂をコロコロと転がっていく佐和子だったが、これ以上の底はないというところまで来たとき、「しようがない」の口グセを封印し、自力で人生を切り開く覚悟を決める。石井監督が限界まで引いた弓をパっと離し、矢を飛ばした瞬間だ。</p>
<p>　もともとどもり気味の佐和子が、工場のおばちゃん軍団の前で開き直りの大演説を行うシークエンス、そして、そのあとに続く新たな社歌を従業員全員で合唱するシーンは、この映画の痛快なピークポイント。石井監督はこのシーンを撮りたいがために、佐和子の負け犬ドラマを積み上げてきたのだろう。</p>
<p>　演出にキレがある訳でもなく、ドラマ展開も冗長気味。汁系のユーモアに至っては完全にマニア好みだ。しかし同時に、息づかいと生命力が感じられる作品でもある。感情を抑制することに慣れきった世代に向けて、温度のあるメッセージを放った若き監督の意欲は大いに買いたい。</p>
<p>　今の若者は挫折が早い、とよく言われる。が、じつのところは、挫折するような経験さえしていない、というのが本当のところなのかもしれない。それは佐和子の「しょうがない」や「夢とかない」というセリフにも明らか。そんな手軽な言葉を使って何かを諦める人々に、石井監督はガツンと蹴りを入れる。人生開き直るくらいできるだろ！　とでも言いたげに。「イタっ」と感じる観客はまだいいほうだろう。</p>
<p>　主人公が鬱積した思いを爆発させる終盤の川べりのシーンでは、佐和子が恋人に投げつける「あるモノ」を見ながら、大いに泣き笑いさせてもらった。石井裕也と満島ひかり。この若き才能のコラボレーションが、みじめなほど不格好ながらも、どうしようもなくカッコいい作品を生み出した。</p>]]></content:encoded>
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		<title>ウルフマン</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12015.html</link>
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		<pubDate>Fri, 14 May 2010 03:05:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-ホラー映画]]></category>
		<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ウルフマン]]></category>

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		<description><![CDATA[デジタルとアナログを巧みに使い分けた狼男のビジュアルは、いかにも着ぐるみ気分なB級路線とは一線を画し、狼男の野獣としての異様さを生々しく描き出す（70点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　1891年、ロンドン郊外の農村に建つタルボット城に、舞台俳優のローレンス（ベニチオ・デル・トロ）は帰ってきた。兄ベンの婚約者グエン（エミリー・ブラント）から、兄が行方不明になったとの連絡を受けたのだ。結局、兄は無惨に切り刻まれた死体となって発見された。ある満月の夜、ローレンスも野獣に襲われて重傷を負う。その日以来、ローレンスは満月の夜になると体が異状をきたす身となった。ローレンスは献身的なグエンに惹かれていく一方で、以前から確執のあった父ジョン（アンソニー・ホプキンス）の不可解な行動に疑念を抱きはじめる……。</p>
<span id="more-12015"></span>
<p>　古くから語り継がれてきた伝説の狼男に、現代的な舞台は似合わない。1990年代のロンドンも、2000年の東京も、2010年のニューヨークも似合わない。したがって、本作「ウルフマン」が採用した100年以上前のロンドン郊外という舞台設定は正解といえよう。ヴィクトリア朝時代特有の街並や建造物、衣装、調度品、それにロウソクやガス燈の灯りなどは、狼男という古典的ダークヒーローとの親和性が高く、陰影に富んだ映像表現との相性も抜群。サスペンス仕立ての物語を紡ぐうえでも大きなアドバンテージになっている。</p>
<p>　ローレンスが狼男に変身するシーンでは最先端CGを駆使。なかでも、捕らわれてイスに縛り付けられたローレンスが、身悶えしながら狼男に姿を変えるシーンのすごみときたらない。一方で、狼男のベースとなる容姿には完成度に優れた特殊メイクを実施。デジタルとアナログを巧みに使い分けた狼男のビジュアルは、いかにも着ぐるみ気分なB級路線とは一線を画し、狼男の野獣としての異様さを生々しく描き出す。豹変した狼男が人間を襲う場面では、血しぶきはもちろん、肉までもが飛び散る残酷描写を多用。スピーディにしてグロテスクな演出の数々は、その手のアクション×ホラー好む映画ファンにも喜ばれるだろう。</p>
<p>　疎遠になっていた父ジョンとの確執や、殺人鬼と化した自分の身を案ずるグエンとの悲恋を織りまぜながら進む物語は、その身に悪魔を内包するローレンスの苦悩を掘り下げることにより、人間ドラマとしての魅力もアピール。主人公一族にまつわるある真実が明らかになって以降は、それまでほぼ主演の座をベニチオ・デル・トロに明け渡していたアンソニー・ホプキンスが、ここぞとばかりに無気味な存在感を光らせて、二大オスカー俳優のバトル（これぞ本当の競演？）という見せ場を作る。</p>
<p>　安定した演技力に裏打ちされたベニチオ・デル・トロとアンソニー・ホプキンスの怪演に加え、紅一点、孤高の主人公に慈悲深く寄り添うグエンを演じたエミリー・ブラントの頑張りにも高評価を与えたい。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>17歳の肖像</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11958.html</link>
		<comments>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11958.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 May 2010 01:12:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[17歳の肖像]]></category>

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		<description><![CDATA[目新しさはないが、ひとりの少女の喜びと痛みを描いたオーセンティックな青春映画としてオススメ（75点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「ハイ・フィデリティ」（2000年）や「アバウト・ア・ボーイ」（2002年）の原作者ニック・ホーンビィが、英国の辛口ジャーナリスト、リン・バーバーのとある回想録を脚色。監督に女流のロネ・シェルフィグ、主演に若手女優キャリー・マリガンを起用した本作「17歳の肖像」は、街並からファッションまで、1960年代の空気感をたっぷりと漂わせたイギリスを舞台に、大人の世界へと足を踏み入れる17歳目前の少女の成長と挫折を描いた秀作。キャリー・マリガンは、メリル・ストリープらオスカー候補者を抑えて、英国アカデミー賞の主演女優賞に輝いている。</p>
<span id="more-11958"></span>
<p>　舞台は1961年のロンドン郊外。成績優秀な16歳の少女ジェニー（キャリー・マリガン）は、厳格な父の期待を背負ってオックスフォード大進学を目指して勉強に励んでいた。しかし、やりたくもないラテン語やチェロをやらされるなど、内心、退屈な毎日に辟易していた。</p>
<p>　ある雨の日、学校からの帰り道に、彼女は中年紳士のデイヴィッド（ピーター・サースガード）に声をかけられる。最初は不審に思ったジェニーだったが、デイヴィッドの知的でユーモアのある話し方に惹かれて、彼の運転するクルマの助手席に乗り込む。その日以来、ジェニーはデイヴィッドに恋心を抱くようになるが……。</p>
<p>　冴えない同級のボーイフレンドがいる程度だったジェニー。そんな彼女がハイスペックな大人の男、デイヴィッドと知り合ってからの日々は、すべてが夢のようであった。高級車を駆るデイヴィッドは、厳格なジェニーの父をあっという間に口説き落とすや、ジェニーを音楽会へ、ナイトクラブへ、絵画のオークションへと連れ回す。デイヴィッドの隙のないエスコートに魅了されながら、華やかな大人の世界を満喫するジェニー。ふたりで憧れのフランスへ足を踏み入れるシークエンスは、少女の夢が最高のカタチで体現した瞬間である。</p>
<p>　あどけなさの残る制服姿のジェニーが、めいっぱいドレスアップする場面では、誰もが息をのむことだろう。17歳を目前にした少女が、すでに“つぼみ”ではなく“花”である事実をまざまざと見せつけられる。これぞ「小説」や「語り」では表現不可能な、映画ならではの説得力。メディアがキャリー・マリガンを「21世紀のオードリー・ヘップバーン」と称するのもうなずける。</p>
<p>　もちろん、そんな夢物語がいつまでも続くハッピー・サクセスストーリーではない。ジェニーは次第にデイヴィッドや大人社会の裏に隠されたダークな一面にも目を向けざるを得なくなる。そして観客の多くが覚える胸騒ぎを証明するかのように、ジェニーは、もっとも信頼する男から痛打を浴びることになる。</p>
<p>　原題は「An Education（＝教育）」だが、ある意味、これほどストレートなタイトルもないかもしれない。ただし、手もとの辞書をあたると「教育」の項目には、「人間性の涵養を図り」とある。ジェニーが経験したジェットコースターのような日々を「涵養（むりせずにゆっくり養い育てることの意）」というとしたら、あまりにアイロニーのスパイスがききすぎといえるだろう。</p>
<p>　もっとも、痛手を浴びたジェニーが、その体験から何を学び、最終的にどのような決断を下したのか？　という台風一過の後日談にこそ、この映画のテーマは凝縮されている。これは、ある日突然、信じていた世界の価値観が崩れ落ちたときにどうするのか？　という私たちの問題でもある。そして本作「17歳の肖像」では、変容する価値観の一方で、教育者として生徒の可能性を信じ続ける学校の教師や、子を思う普遍的な親の愛をオーバーラップさせることにより、社会における「選択と責任」の所在を、17歳になった少女に知らしめるのだ。</p>
<p>　知性と繊細さを兼ね備えたキャリー・マリガンの好演は言うまでもないが、ピーター・サースガードやアルフレッド・モリーナ、ドミニク・クーパー、ロザムンド・パイク、カーラ・セイモア、エマ・トンプソン、オリヴィア・ウイリアムズら名優たちが、ヒロインの魅力を引き出すべく脇をがっちりと固めたことも、この作品にとっては幸運であった。ファッションやヘアスタイル、音楽、食べ物、インテリアなど、正確な時代考証にもとづいた60&#8242;s気分な英国カルチャーも存分に楽しめる。目新しさはないが、ひとりの少女の喜びと痛みを描いたオーセンティックな青春映画としてオススメしたい。</p>]]></content:encoded>
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		<title>ジョニー・マッド・ドッグ</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11922.html</link>
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		<pubDate>Wed, 28 Apr 2010 08:18:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ジョニー・マッド・ドッグ]]></category>

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		<description><![CDATA[“狂気”という名の鼓動が聞こえてくる傑作だ（85点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「ホテル・ルワンダ」（2004年）然り、「ツォツィ」（2005年）然りだが、貧困や紛争、暴力といったアフリカのリアルな社会問題に迫った映画には、しばしば打ちのめされる。それは、アジアの片隅で、貧困や紛争とは無縁の生活を送る私たちにとって、アフリカで起きている厳しい現実がまるで絵空事のように見えてしまう、その無自覚さに対する衝撃を含んでもいるのかもしれない。いずれにせよ、これほど強いインパクトをもつ作品が、全国の5つの劇場でしか見られないというのは、なんとも哀しいことである（現時点ではシアターN渋谷のみ）。</p>
<span id="more-11922"></span>
<p>　内戦で混沌を極めるアフリカのリベリア共和国。少年兵のコマンド部隊は、反政府軍を名乗って、虐殺や強奪、レイプなどの残虐行為をくり返していた。“マッド・ドッグ”の異名を取る15歳のリーダー、ジョニー（クリストファー・ミニー）は、凶暴化した初年兵たちを率いて、上層部（大人たち）から指示された任務を愚直に遂行していた。やがて戦況の変化や、親しい仲間や恋人の死を通じて、凶暴な兵士ジョニーの感情も変化していくが……。</p>
<p>　子供はよく「スポンジ」に例えられる。驚くほどの吸収力で物事をのみ込んでいく。殺人マシンを育て上げるなら、理性や経験を持ち合わせた大人たちではなく、まだ何色にも染まっていない少年たちを洗脳したほうが確実だ。しかも、初めて色をつけられる子供たちは、自分が染め上げられた色の世界を疑うことをしない。しないというよりも、その世界の外側にほかの色の世界が存在することが想像できないのである。子供とはそういうものだ。</p>
<p>　少年兵たちは、何の罪の意識もなく、人々に銃を向け、その引き金を引き、物品を略奪し、女性をレイプをする。目を覆いたくなるシーンの数々を手持ちのカメラが生々しくとらえる。戦場ドキュメンタリーかと思うほどの至近距離で撮影した迫力＆リアリティ満点の映像は、少年たちの“無邪気”な残虐性を、ダイレクトに、スピーディに、エモーショナルに、エキサイティングにとらえる。大義も正義も、ましてや希望など微塵もない戦況下で、ゲーム感覚で殺人を犯す少年兵たち。映画は、彼らからほとばしる野性と生命力を活写する。</p>
<p>　恐怖心をかき立てられる冒頭より93分間、観客は、延々と自分たちの頭に銃口を突きつけられたような気持ちにさせられる。これを悪夢と言わずに何と言おう。観客は、圧倒的な緊張を強いられ、戦場に放り込まれる。むろん、それとて疑似体験には違いないのだが、平穏無事に暮らすわれわれには堪え難いほどのストレスだ。加害者でもあり犠牲者でもある子供たちの未来を慮るとき、この作品の痛烈なメッセージが聞こえてくる。</p>
<p>　本作「ジョニー・マッド・ドッグ」は、アフリカのリベリアで実際にあった紛争をモデルにしながらも、少年兵士たちが所属する軍名や政治組織名などは明確にしていない。それは史実を正確に記すというよりは、戦争そのものの不条理さと恐怖を先鋭化させるためなのだろう。しかもそこに疾走感や緊迫感、臨場感といった演出上のスパイスを加味することで、見応えのあるエンターテインメントへ昇華されている。“狂気”という名の鼓動が聞こえてくる傑作だ。</p>
<p>　最後に、出演した15人の少年が、500～600人のなかからオーディションで選出された「元少年兵」だということを付け加えておこう。</p>]]></content:encoded>
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		<title>月に囚われた男</title>
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		<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 01:16:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[月に囚われた男]]></category>

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		<description><![CDATA[意外性のあるミステリーのタネ明かしに加え、人類の未来に警鐘を鳴らしたストーリーテリングは、大胆な舞台設定の後押しもあって、ひねりの利いた作品を好む映画ファンを満足させるだろう（80点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　各地のインディペンデント映画祭で高い評価を受けた本作「月に囚われた男」は、かのロックスター、デヴィッド・ボーイの息子、ダンカン・ジョーンズが撮影した初長編監督作品。月で独りで暮らす男を主人公にしたサスペンスフルなSFミステリーだ。</p>
<span id="more-11886"></span>
<p>　宇宙飛行士のサム（サム・ロックウェル）は、月に派遣されて3年目。たった独りで地球に不可欠なエネルギー源「ヘリウム3」を送る任務を遂行していた。唯一の相棒の名前はガーディ。人工知能を備えたコンピューターだ。</p>
<p>　妻や娘が待つ地球への帰還まであと3週間に迫っていたサムだったが、ある日，基地の外をパトロールしているときに事故に遭う。気がついたら診療室に横たわっていたが、そこでサムは自分と同じ姿をした人間を目撃する。いったい彼に何が起きたのか？　やがてサムはある驚くべき真相に直面することになる……。</p>
<p>　「2001年宇宙の旅」（1968年）をはじめ、60～70年代のSF映画を彷佛させる設定の物語は、主人公サムの心の物語でもある。独りで3年間もどのようにして暮らしてきたのか？　食事は？　健康管理は？　家族との連絡は？　与えられた任務とは？　そうした疑問に答えるかのように、映画は冒頭から主人公サムの1日の行動を丁寧に描いていく。</p>
<p>　事故が起きてからは、混乱を来すサムの心理が掘り下げられ、その深度に比例するかのように、物語のミステリー＆サスペンス量も一気に増量する。サムが次々と直面する不可解な出来事を前に、観客は改めて彼が置かれた状況の把握を迫られる。地球との交信を絶たれた月の裏という舞台設定が本当の意味で生きてくるのは、サムが「何かおかしい」と感じたこの中盤以降だ。何かの勘違い？　それとも陰謀？　あるいは夢？　主人公の猜疑心と観客の好奇心を十分に刺激した末に、映画は、淡々と、あるおぞましい真実を浮かび上がらせる――。</p>
<p>　意外性のあるミステリーのタネ明かしに加え、人類の未来に警鐘を鳴らしたストーリーテリングは、大胆な舞台設定の後押しもあって、ひねりの利いた作品を好む映画ファンを満足させるだろう。幕切れの美談はサービス精神が少々旺盛すぎるかもしれないが、そこに至るまでに受けた主人公の絶望と哀しみに同情を禁じ得ない観客にとっては、カタルシスをもたらすこうした美談も悪くないのかもしれない。</p>
<p>　ダンカン・ジョーンズ監督の才能が“七光り”でないことは、この作品に対する世界中の評価が示す通りだ。決して潤沢とはいえない予算のなかで唯一無二の世界を構築したうえで、人間の内面に鋭く切れ込み、人間の知能の結晶たる科学技術の傲慢さや資本主義の愚行に、皮肉と批判を突きつける。ダンカン監督の映画作家としての才能の片鱗をうかがい知るに十分である。</p>
<p>　人格の異なる一人三役を熱演したサム・ロックウェルには、主演賞と助演賞をダブルで贈りたいところだ。一人芝居に加えての一人三役は神業。演技力の高さもさることながら、97分にわたって観客の興味を引き付け続けた存在感も評価したい。コンピューター・ガーディの声を担当したケヴィン・スペーシーが、ロックウェルのラフカットを見て「声だけの出演」を快諾したというエピソードもうなずける。</p>]]></content:encoded>
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		<title>シャッター アイランド</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11868.html</link>
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		<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 01:08:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[シャッター アイランド]]></category>

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		<description><![CDATA[謎解きのプロットや結末に新味はないものの、「トラウマ」という人間心理を利用したミステリアスなストーリー展開と、スコセッシらしい力強い演出力が功を奏し、作品自体は手堅くまとまっている（75点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「ギャング・オブ・ニューヨーク」（2002年）「アビエイター」（2004年）「ディパーテッド」（2006年）で3度コンビを組んだマーティン・スコセッシ監督×レオナルド・ディカプリオが、4度目のコンビ作品「シャッター アイランド」を完成させた。ふたりが挑んだのは「精神障害×犯罪者×孤島」をキーワードにしたサスペンス＆ミステリー。「ミスティック・リバー」原作者デニス・ルヘインのミステリー小説を映画化したものだ。</p>
<span id="more-11868"></span>
<p>　1950年代、連邦保安官のテディ・ダニエルズ（レオナルド・ディカプリオ）は、新しい相棒のチャック（マーク・ラファロ）と共に、精神障害をもつ犯罪者だけを収容する孤島「シャッター アイランド」へやって来た。わが子3人を溺死させた罪で収容されているレイチェル・ソランド（エミリー・モーティマー）が、突如、鍵のかかった部屋から消えてしまったというのだ。島から外に出た形跡もない。手がかりは、部屋に残された「4の法則」と書かれた1枚のメモだけだった……。</p>
<p>　ネタバレ厳禁のミステリーでも、語れる部分が少しくらいあるものだが、この映画に関しては、あらゆることが語れない（語りづらい）。つまり、ストーリーのディテールまでもがミステリーの端役を担っているということだ。</p>
<p>　ディカプリオ演じる連邦保安官のテディは、冒頭、この島に到着した当初から“何かがおかしい”と感じるが、観客もほとんどタイムラグなくテディの視線と同化する。“何かがおかしい”と感じるテディと観客。どちらがいち早く謎を解くか……。その勝負に参加することが、この映画の正しい楽しみ方である。</p>
<p>　捜査が進むに連れて、患者、医師、警備員……など、ありとあらゆる人物が怪しく見えてくる。テディが悩まされる偏頭痛、人体○○のよからぬウワサ、医師の許可なく入ることができない禁断の病棟、波頭砕ける断崖脇にたたずむ灯台、島内の森の中にある墓場、時間を追うごとにひどくなるテディの悪夢。観客の警戒心をくすぐる要素が次々と登場する展開は、一時たりとも目が離せない。</p>
<p>　謎解きのプロットや結末に新味はないものの、「トラウマ」という人間心理を利用したミステリアスなストーリー展開と、スコセッシらしい力強い演出力が功を奏し、作品自体は手堅くまとまっている。クラシック映画をお手本にしたというゴシック調の絵作りに加え、絶海の孤島をまるでひとつの生命体のように描いた描写力も秀逸。あらゆる謎が解けたあとに、テディが相棒のチャックが言葉を交わすラストシークエンスも「とどめの一撃」として観客に深い余韻を与える。</p>
<p>　本作「シャッター アイランド」では、違和感のないセリフ回しにこだわった「超日本語吹替版」なるものが用意されているが、これは「観客が謎解き（映像）に集中できるように」という配給会社の配慮によるもの。「吹替だと映画の雰囲気が壊れる」という意見もあるとは思うが、集中力を要する謎解き映画との親和性を考えると、さほど悪いサービスとは思えない。むしろ「字幕はどうも苦手で……」と洋画を敬遠していた客層に、劇場まで足を運ばせる訴求力を評価すべきではないだろうか。</p>
<p>　謎が解けずに徐々に疲弊、混乱していく難役をこなすディカプリオは、かつての「レオ様」イメージとは一線を画し、役者として一皮剥けた繊細な演技を披露している。巨匠監督×スーパースターの相思相愛は、この先もしばらくまだ続きそうだ。</p>]]></content:encoded>
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		<title>ソラニン</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11838.html</link>
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		<pubDate>Fri, 16 Apr 2010 02:43:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ソラニン]]></category>

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		<description><![CDATA[映画が語るのは、夢と現実の板挟みにあいながら、悩み、傷つき、振り子のように心を揺らす若者たちの「命」そのもの（75点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　スタジオ練習を欠かさないバンドマンにしてフリーターの種田（高良健吾）。会社になじめずに入社2年目で辞表を提出した芽衣子（宮崎あおい）。ふたりは将来に不安を感じながらも、寄り添うように同棲している。あるとき、芽衣子に背中を押してもらうカタチで、種田は新曲「ソラニン」を創作。デモ音源をレコード会社に送るが、会社側の反応は厳しかった。追い打ちをかけるように種田の身に不幸がふりかかり……。</p>
<span id="more-11838"></span>
<p>　この映画に登場する若者たちは、夢と現実の狭間に立ち、自分は何者なのか？　どこへ行くのか？　と自問自答をくり返している。彼らの悩みは「バンドの未来」という姿を借りて表現される。アマチュアバンドのうち実際にデビューできる確率はどのくらいだろう？　1／500くらいか？　では、プロで5年、10年と食べていける確率は？　1／5000、いや1／10000くらいか？　はっきりした数字は分からないが。</p>
<p>　彼らがデビューを目指してがむしゃらに頑張る姿は、かつて本気で夢を追いかけたことのある人や、現時点で夢を追い続けている人の共感を誘うだろう。彼らが大きな壁にぶつかって挫折する姿にもまた。人生のモラトリアム期間で直面しがちな「不確かな未来」というこの映画のテーマは、多くの人が思春期に抱く不安の根源ではないだろうか。それは存外人間にとって普遍的なもであろう。</p>
<p>　「夢を捨てないこと」あるいは「夢を捨てること」。そのどちらが偉いとも正しいとも有益とも賢明ともこの映画は語らない。この映画が語るのは、夢と現実の板挟みにあいながら、悩み、傷つき、振り子のように心を揺らす若者たちの「命」そのものだ。いくつかの喪失が浮かび上がらせるのは、彼らに時間と心を無条件に共有できる仲間がいることの価値、そして、絶望の淵でなお光を目指す再生力の価値にほかならない。私が感動したのは、彼らが涙を流したときではなく、その涙をグっと堪える姿を見たときだ。</p>
<p>　本作が初長編となる三木孝浩監督の采配は、とくに序盤から中盤にかけて、仲間たちの信頼関係を描くプロセスでの丁寧さが光る。シリアスとユーモアを分けることなく、同一シークエンスに違和感なく共存させる難しい演出には、才能豊かな若手俳優たちが絶妙の演技力で応える。アップを多用して若者たちの心象を捉えた叙情的なカメラワークも悪くない。近藤洋一（サンボマスター）や桐谷健太らが扮するバンドメンバーのマンガ的なキャラクターも、ピュアな主人公ふたりの引き立て役としてではなく、モラトリアムを生きる“個”として独り立ちしている。しかしお前ら、いいヤツらすぎるゾ。</p>
<p>　強いて言うなら、物語を収斂させる芽衣子の「ステージ」の見せ方が凡庸だ。というか、ステージに上るという特別な状況に挑む彼女の気持ちに、もう少しテンションをもたせてもよかったように思う。あるいは種田と同じマイクパフォーマンスを芽衣子にさせるとか。また、エンディングで流れるASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ムスタング」がよすぎるため、同じくアジカンの後藤正文が作曲した「ソラニン」の印象が薄まった点もウイークポイントか。エンディングにアジカンの曲を用いるのいいとしても、せめて「ソラニン」とは異なる曲調の楽曲を採用すべきだった。</p>
<p>　作品タイトルでもある「ソラニン」とは、「ジャガイモの芽などに含まれる毒の一種で、多く摂取すれば中毒症状を起こすが、その植物が成長するのに不可欠な成分でもある」という意味らしい。自然界であればソラニンの含有率はこの世の偉大な何かが決めるものなのだろうが、人間の世界では、自分自身でソラニンの含有率を決めているようなところがある。若い時分はとくにその「毒」を多く盛りがちだが、その毒がもたらす青春という名の中毒症状は、その人にとって生涯の宝物（ときにトラウマ）となる。浅野いにおが描く同名の人気漫画を原作とする映画「ソラニン」は毒に迷い、毒と闘う同世代への応援歌であると同時に、すっかり世間擦れした“かつての同世代”をセンチメンタルな気分にさせてくれる1本だ。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>シェルター</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11811.html</link>
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		<pubDate>Wed, 14 Apr 2010 01:34:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-ホラー映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[シェルター]]></category>

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		<description><![CDATA[くるくると人格を変える患者の正体に迫る展開は、観客の興味と好奇心を刺激する（55点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　精神分析医のカーラ（ジュリアン・ムーア）は、ある日、同じく精神科医の父ハーディング（ジェフリー・デマン）に、デヴィッド（ジョナサン・リス・マイヤーズ）という青年の患者を紹介される。下半身不随のデヴィッドは礼儀正しく、カーラの質問への受け答えもしっかりしている。</p>
<span id="more-11811"></span>
<p>　ところが、隣りの部屋からハーディングがデヴィッドに電話をして「アダムを呼んでくれ」と伝えたところ、突如デヴィッドは、顔つきと人間性を変貌させた。彼は、アダム・セイバーと名乗り、先ほどとは別人の口調になった。しかも車いすからスクっと立ち上がったのだ。解離性同一性障害（通称「多重人格障害」）の存在を否定するカーラは、その後も、くるくると人格を変えるデヴィッドに隠された秘密を解明しようとするが……。</p>
<p>　なんでも解離性同一性障害というのは、原因がはっきりしないものが多いそうだ。それゆえ主人公にこの障害を与えた場合、当然、ミステリアスなドラマが生まれやすくなる。肉体的な病気なのか、精神的な病気なのか、はたまた狂言なのか、それとも何かほかに原因があるのか？　くるくると人格を変える患者の正体に迫る展開は、観客の興味と好奇心を刺激する。</p>
<p>　そんな「鉄板」な設定に、解離性同一性障害という病気自体を認めていない女性精神分析医をぶつけることで、ミステリーとしてのみならず、サスペンスフルなおもしろさを加えたのが本作「シェルター」だ。</p>
<p>　カーラがある事実を突き止めた中盤以降、謎は医学や科学の見地を大きく飛び越える。そして、彼女の周辺に謎が飛び火するころには、もはや前半に見られた「精神分析医vs解離性同一性障害の患者」という手に汗握る心理戦は影を潜め、オカルト・ホラー映画としての本性を現す。</p>
<p>　「解離性同一性障害の不可解さ」を担保に進む乱暴な展開は、現実との乖離が激しく、スリリングな人間ドラマを期待した人には興ざめかもしれない。</p>
<p>　一方で、得体の知れない真実が明らかになる超常現象気分なドラマは、安っぽさと中途半端さが難点ではあるものの、おどろおどろしい作品が好みの人であれば守備範囲であろう。それなりに不気味で、それなりに驚きがあり、それなりに楽しめてしまう結末も、この映画の見どころのひとつ。あくまでも「それなりに」のレベルではあるが。</p>
<p>　不信感と恐怖を募らせるジュリアン・ムーアの演技は安定抜群だが、多重人格役を乗りこなした若手実力派のジョナサン・リス・マイヤーズの怪演には、ムーア以上の高評価を与えるべきだろう。ホラーとしてのパンチ力不足を問わなければ、アナログタッチな演出で恐怖を増幅させたビジュアルセンスも好印象。人間ドラマ？　サイコ・スリラー？　ミステリー？　オカルト・ホラー？　ジャンルが判然としない「シェルター」という作品自身にも&quot;多重人格&quot;という言葉がお似合いだ。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>やさしい嘘と贈り物</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11761.html</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2010 03:10:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[やさしい嘘と贈り物]]></category>

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		<description><![CDATA[いくつになろうとも、人は思春期のころのようなまっさらな気持ちで恋をすることができる（70点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　「やさしい嘘と贈り物」を見てまっさきに思い出したのはクリスマスだ。クリスマスの根源的な意味はさておき、サンタクロースがやって来るその日は、世界中が「やさしい嘘と贈り物」で満たされる。大人たちはしばしば「嘘はいけません！」と子供に説教するが、正しくは「やさしくない嘘はいけません！」であるべきなのかもしれない。　</p>
<span id="more-11761"></span>
<p>　「エド・ウッド」（1994年）でアカデミー賞助演男優賞を受賞したマーティン・ランドーと、「アリスの恋」（1974年）でアカデミー賞主演女優賞を受賞した・エレン・バースティンが競演する本作「やさしい嘘と贈り物」は、人々の「やさしい嘘」が魔法のような奇跡を起こす物語だ。ニック・ファクラー監督は弱冠24歳の新鋭。24歳らしいみずみずしさと24歳とは思えないほど深い人間観察眼を併せ持った演出で、切なくも心温まる人間ドラマを紡いだ。</p>
<p>　ロバート（マーティン・ランドー）は、平凡な日々をすごす一人暮らしの老紳士。身寄りもないのか、クリスマスには自分自身へのクリスマスプレゼントを用意していた。そんなある日、ロバートは近所に住むメアリー（エレン・バースティン）から食事の誘いを受ける。久しぶりのデートを前に少年のように心を弾ませるロバート。クリスマスには一緒にパーティに出かけるなど、ふたりは急接近していくが……。</p>
<p>　いくつになろうとも、人は思春期のころのようなまっさらな気持ちで恋をすることができる――。そんな希望を与えてくれる映画だ。希望に満ちた恋愛の初期衝動というのは美しいものだ。沈んだ気持ちや、くすんだ景色を一変させる人生の特効薬。なりゆきを見守る観客は、当初ロバートが自分自身に用意していたクリスマスプレゼントの中身を知ったときに、その特効薬がいかにロバートにとって大きなものであったかに気づかされる。</p>
<p>　単なる老人の恋愛ドラマとしても十分に成立しているが、この作品では、登場人物たちがつく「やさしい嘘」にサスペンス的な役割を担わせることで、人間の絆をより掘り下げて描くことに成功している。もちろん、この世にマイナス要素を完全に取り除いた嘘など存在しないのかもしれないが、少なくともこの映画の「嘘」に悪意は見あたらない。そう「クリスマスのサンタクロース」と同じように。</p>
<p>　名優マーティン・ランドーとエレン・バースティンは、よもや今さら純愛ドラマの主人公を演じることになろうとは思っていなかったであろう。しかも24歳の監督の演出を受けるというオマケ付きで。老練な役者と若き監督が価値観や人生観を共有しながらひとつの作品を作り上げたという意味でも、本作「やさしい嘘と贈り物」の価値は小さくない。やがて明らかになる真実に対してツッコミを入れるのは無粋というもの。大どんでん返しがもたらす感動を素直に味わいたい。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>マイレージ、マイライフ</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11760.html</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2010 03:10:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[マイレージ、マイライフ]]></category>

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		<description><![CDATA[映画はライアンの気づきを通じて、「他人の価値」そして「人間と人間がつながる意味」について考えさせる（80点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　ライアン・ビンガム（ジョージ・クルーニー）の仕事は、企業のリストラ対象者に解雇を告げるリストラ宣告人。アメリカ国内を飛び回り、年間322日も出張している根無し草のビジネスマンだ。あるときライアンは、自分と同じように国内を飛び回っているキャリアウーマン、アレックス（ヴェラ・ファーミガ）と出会って意気投合する。一方、仕事では、ネット上で解雇通告を行う新システム導入を提案する新人ナタリー（アナ・ケンドリック）と意見が対立し……。</p>
<span id="more-11760"></span>
<p>　カードに貯まったマイレージはもう少しで1000万マイル。ライアンはそれを人生の目標にしている。身軽な生き方は評判を呼び、講演にも引っ張りだこだ。都市から都市へと渡り歩き、堂々とした態度で解雇宣告を行うライアンは、自分の生き方に満足してる。パリっとしたスーツを着て、水戸黄門の印籠よろしく特別客だけが持つプレミアムなカードをちらつかせながら、空港やホテルにさっそうとチェックインする姿は、“できるビジネスマン”そのもの。そんなライアンの完璧な生き方に憧れを抱く観客も少なくないだろう。</p>
<p>　ところが、ドラマが進むうちに見えてくるのは、ライアンの完璧な人生の裏に潜む空虚さだ。1000マイルのマイレージが示すものは、彼が生身の人間同士のコミュニケーションを回避してきた日々の集積でもある。そのことに本人は無自覚であったが、アレックスやナタリーとの交流、あるいは実の妹の結婚エピソードを通じて、ライアンのなかに今までに感じたことのない感情が芽生える。</p>
<p>　これまでの完璧な人生を否定しようかという彼の心情の変化は、人生をバックパックに例えるこの映画のテーマに明確な輪郭を与える。この手の「気づき」と「成長」を10代、20代の主人公で描くならまだしも、もはや人生観が固化していてもおかしくない壮年男性で描いたところも本作「マイレージ、マイライフ」の妙味。固化していようがいまいが、人生観を一変させる出来事は、いつでも誰にでも起こりうる、ということなのだろう。</p>
<p>　バックパックにたいした荷物も入れずに空の旅を続けるのは確かにラクでカッコいい。充実している気分にもなるだろう。だけど、バックパックに入り切らないほどの荷物を積み込んだ人生では、誰かが救いの手を差し伸べてくれることもあれば、身近な人と協力して荷物を持つ事もできる。そもそも人を単に「重たい荷物」としてしかとらえられない思考ほど短絡的なものはない。この映画はライアンの気づきを通じて、「他人の価値」そして「人間と人間がつながる意味」について考えさせる。</p>
<p>　時代と人間を描く演出は軽妙だが、一方で、社会に対して問題を提起する力もピカイチ。リストラ宣告人というアメリカの「今」を切り取る設定にも、皮肉と示唆がたっぷりと込められている。娯楽映画のふりをしながらも、その実は知的で社会的で哲学的な秀作だ。「サンキュー・スモーキング」（2006年）や「JUNO／ジュノ」（2007年）で才能の片鱗を見せたジェイソン・ライトマン、この監督のしたたかさはタダモノではない。</p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>アイガー北壁</title>
		<link>http://www.cinemaonline.jp/review/kan/11719.html</link>
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		<pubDate>Fri, 02 Apr 2010 00:53:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[アイガー北壁]]></category>

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		<description><![CDATA[史実に基づいたこの映画は、舞台となるアイガー北壁の二面性（美しさと厳しさ）をリアルに活写するほか、難攻不落の岩壁を果敢に攻める登山家のクライミングを臨場感満点に描く（65点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　1936年、ドイツの若き登山家トニー（ベンノ・フュルマン）とアンディ（フロリアン・ルーカス）は、&quot;殺人の壁&quot;と呼ばれるスイスの名峰アイガーの北壁に挑むべきか否か悩んでいた。ベルリン新聞社の女性アシスタントであるルイーゼ（ヨハンナ・ヴォカレク）は、トニーとアンディの幼なじみ。アイガー北壁に挑むオーストリア登山家を取材するためにアイガーの麓にやって来ていたが、そこに登攀（とうはん）を決意したトニーとアンディがやって来て……。</p>
<p>　高い山がひと通り征服されたのちに、気鋭の登山家やクライマーが、より難しい山やルートに挑むようになったのは有名な話だ。ソロ（単独）や無酸素で登頂を目指したり、壁のような岩山をクライミングしたりと、あの手この手の「条件付き登山・登攀」で歴史にその名を刻もうとする者が急増した。</p>
<p>　1930年代当時、多くの登山家が「西部アルプスの最後の難所」と呼ばれるアイガーの北壁に熱い視線を注いでいた。天空を目指して屹立する岩壁は1800mにも及ぶ。天候が変わりやすく、落石や雪崩も多発するデンジャラスな壁だ。映画のなかでも、他国の登山家同士がアタック日（登攀開始日）をけん制しあう描写が見られるが、彼らにとって、史上初かそうでないかは雲泥の差。言うなれば、一流の登山家にとっての登山とは、金メダルしか用意されていないオリンピックのようなものなのだ。</p>
<p>　史実に基づいたこの映画は、舞台となるアイガー北壁の二面性（美しさと厳しさ）をリアルに活写するほか、難攻不落の岩壁を果敢に攻める登山家のクライミングを臨場感満点に描く。もっとも、中盤以降は、ほとんどスペースのない岩場でのビバーク（露営）、思わぬ落石事故、ザイルを命綱代りにしての救助劇、凍傷で黒ずんで行く皮膚、限界まで消耗する体力……等々、修羅場シーンが量産され、観客はただただ神経をすり減らされることになるのだが。</p>
<p>　初登攀を目指す主人公らを興味半分で見守るマスコミや、彼らの無事を祈る幼なじみの視点を設けることで、骨太な山岳ドラマにエンターテインメント性を注入している点も本作「アイガー北壁」の大きな特徴だ。麓の高級ホテルに宿泊するのんきなマスコミや優雅な観光客らの様子をしばしば挟むことで、悪天候下でクライミングする主人公たちの過酷な状況を際立たせる演出は、ちょっぴりズルイほどだ。</p>
<p>　唯一苦言を呈したいのが、トニーとアンディのライバルであるオーストリアの登山家ペアを悪者に仕立て上げている点だ。彼らの登山家にあるまじき姿勢や行動は、「史実に基づいたドラマ」というリアリティをスポイルすると同時に、モデルとなった実在の人物に対する冒涜でもある。娯楽性を高めるのは構わないが、作り手は、脚色の許される範囲と許されない範囲、この境目だけは自覚しておくべきだろう。</p>]]></content:encoded>
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		<title>時をかける少女</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 01:24:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[時をかける少女]]></category>

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		<description><![CDATA[ただいま青春謳歌中の人たちから、遠い昔に青春時代をすごした人たちまで、幅広い世代にオススメしたい（75点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　筒井康隆原作の「時をかける少女」といえば、1983年に大林宣彦監督が映画化、2006年に細田守監督が長編アニメ化するなど、時代を超えて愛され続けている作品。谷口正晃監督の劇場用長編初作品となる本作「時をかける少女」は、そんな人気作品の2010年版。脚本、演出、演技の三拍子をそろえた良質のエンターテインメントだ。</p>
<span id="more-11658"></span>
<p>　薬学者である母・和子（安田成美）の一人娘・あかり（仲里依紗）は、大学に合格したばかりの高校3年生。ある日、母の和子が交通事故に遭った。「過去に戻って深町一夫に会わなくては……」。病室でそんな和子のうわ言を耳にしたあかりは、その願いを叶えるべく、和子が開発した薬を使ってタイム・リープ（時空移動）することに。ところが、念ずる時代を間違えたため、予定よりも2年あとにタイム・リープしてしまった……。</p>
<p>　あかりはタイム・リープ先の1974年で、自主映画の製作に励む大学生・涼太（中尾明慶）と出会う。映画は、丁寧にディテールの描写を積み重ねていき、共同生活を始めたあかりと涼太が、少しずつその距離を縮めていく様子を描く。</p>
<p>　注目すべきは、当初は用事を済ませて一刻も早く母のもとに戻ろうとしていたあかりが、しだいに涼太のもとから離れがたくなる心情の変化だ。なかなか言葉にできない恋心と、別れを受け入れなければならないせつなさ。若者の特権たる純情さとタイム・リープにつきまとう非情な運命が交錯するドラマは、「時かけ」シリーズの真骨頂でもある&quot;センチメンタリズム&quot;へと収斂していく。</p>
<p>　意外と楽しめるのが、街並やアパート、銭湯、ファッション、ヘアスタイル、音楽、映画、食べ物など、70年代をリアルに再現したビジュアルだ。また、涼太に代表される70年代の若者たちの、貧乏だけども夢に燃え、明るい未来を信じる姿は、未来に夢見なくなって久しい21世紀の住人（われわれ）に勇気と心地よいノスタルジーを与える。</p>
<p>　涼太が仲間たちと自主映画製作に没頭する様子は、映画ファンや映画関係者（大林宣彦監督を含む）をニヤリとさせるに違いない。侃々諤々と意見を戦わせながらの脚本作り、DIYの味わいを漂わせまくった特撮現場、決して豪華とはいえないセットを使っての実写撮影……。映画作りにオマージュを捧げたユーモアあふれるシーンの数々は、嫌みのない笑いを客席へ届ける一方で、涼太自身が作品に込めた「ある思い」を通じて、映画終了間際に観客の落涙を誘う。日本を代表する青春ドラマにつき、少々臭い演出には目をつぶろうではないか。</p>
<p>　「過去」と「現代」の狭間に生じる関係性の歪みを、物語の魅力に変換した巧みな脚本は、あちらこちらに張り巡らせた伏線を終盤できれいに回収し、多少の力ワザを交えながら、ほぼ破綻のない整合性を実現。ムダのないシーンを積み重ねた122分間は、今回が劇場長編の初メガホンながら、映画の世界を知り尽くしている谷口正晃監督の堅実な采配の賜物だ。きっと谷口監督のその昔は、映画作りに燃える涼太のような憎めない青二才だったのだろう。</p>
<p>　あかりを演じた仲里依紗は、その片意地張らない自然体の演技ですがすがしい印象を残す。1983年版の原田知世とはタイプこそ異なるものの、今どきの女子高生らしい快活さが魅力のニューヒロインだ。このキャラクターであれば、往年の「時かけ」ファンもおそらくは歓迎してくれるだろう。</p>
<p>　笑って泣いてじわーっと感動する本作「時をかける少女」は、タイムトラベルもののSFとしても、青春映画としても実によくできた作品だ。ただいま青春謳歌中の人たちから、遠い昔に青春時代をすごした人たちまで、幅広い世代にオススメしたい。</p>]]></content:encoded>
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		<title>フィリップ、きみを愛してる！</title>
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		<pubDate>Wed, 24 Mar 2010 09:18:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[フィリップ、きみを愛してる！]]></category>

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		<description><![CDATA[この映画はスティーヴンの何を描きたかったのか、テーマの焦点が散漫（35点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　スティーヴン・ラッセル（ジム・キャリー）は、妻や子供に囲まれて幸せな生活を送る警察官。そんな彼にある日転機が訪れた。大きな交通事故に巻き込まれて死の淵をさまよったのだ。ラッセルは自分に正直な人生を歩もうと、妻にゲイであることをカミングアウトした。</p>
<span id="more-11651"></span>
<p>　フロリダに単身引っ越したスティーヴンは、IQ169の知能を生かしてさまざまな詐欺を働くも、ついには警察に逮捕されてしまう。ところがスティーヴンは、刑務所内で出会った青い瞳でハンサムな顔立ちのフィリップ・モリス（ユアン・マクレガー）にひと目惚れ。とっさに「ぼくは弁護士なんだ」とウソをつき……。</p>
<p>　史上稀に見る天才的詐欺師フランク・アバネイルの自伝小説を映画化した「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」（2002年）をはじめ、IQが高い人間の犯罪を描いた映画は枚挙にいとまがない。主人公たちは明晰な頭脳を駆使して詐欺や脱獄をくり返し、しばしば凡人たる観客にスリルと驚きを与える。</p>
<p>　IQ169の天才詐欺師スティーヴン・ラッセルをモデルにした本作「フィリップ、きみを愛している」も、そうした天才詐欺師映画の系譜を継ぐ作品のひとつだが、残念なことに、あらゆる詐欺のエピソードが具体的に描かれていないため、主人公の明晰な頭脳が、ドラマを都合よく転がすためのエクスキューズ（弁解）の役割を担わされてしまった。</p>
<p>　そもそもこの映画は、スティーヴンの何を描きたかったのか、テーマの焦点が散漫である。フィリップとの恋愛関係なのか、妻との信頼関係なのか、幼少期の家庭環境に起因するコンプレックスなのか、天才詐欺師としての手腕なのか……。</p>
<p>　そのいずれもが中途半端な描写に終始。冒頭で思わせぶりに描かれる「母親のエピソード」に至っては、その後の展開を肝心なところで放棄する傍若無人ぶり。スティーヴンのような屈折した天才がどのようにして作られたのか、その本性を浮き彫りにする伏線として有効だっただろうに。</p>
<p>　そうした中途半端さが演出に飛び火したわけではないだろうが、シリアスともユーモアともつかぬシーンの連続は、そのまま笑いどころも、泣きどころも分からないまま、観客の気持ちを置いてけぼりにする。ゲイで天才詐欺師という突出した人物を主人公にしながらも、その人間的な魅力がまったく掘り下げられていない。これではスティーヴンの特異な肩書きだけを拝借したお安いドラマと思われても致し方あるまい。</p>
<p>　ラストにはトリッキーなどんでん返しも待ち受けているが、そんなサービス精神旺盛な美談も、そこに至るまでのドラマが上っ面ゆえに、映画のフィクション構造を借りた&quot;お遊び&quot;を見せられているかのようだ。唯一の見どころは、ブッチュ～ブッチュ～と威勢のいい、体を張ったジム・キャリーとユアン・マクレガーのラブシーンということになるだろうか。</p>]]></content:encoded>
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		<title>ハート・ロッカー</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 01:18:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>山口拓朗</dc:creator>
				<category><![CDATA[-高得点映画]]></category>
		<category><![CDATA[感映画批評]]></category>
		<category><![CDATA[ハート・ロッカー]]></category>

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		<description><![CDATA[手持ちカメラによるリアルでダイナミズムあふれる映像表現と、兵士の心情を掘り下げた繊細な人間ドラマの両面から高い満足感を与えてくれる（85点）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　女性監督キャスリン・ビグローが、ジャーナリスト兼脚本家のマーク・ボールの取材をもとに製作した「ハート・ロッカー」。ご存じの通り、第82回アカデミー賞の作品賞や監督賞など6冠に輝いた話題作だ。</p>
<span id="more-11624"></span>
<p>　2004年の夏、イラクに駐屯する米陸軍ブラボー中隊に、ジェームズ二等軍曹（ジェレミー・レナー）という新たなリーダーが赴任してきた。彼らの任務は爆発物処理。ジェームズはサンボーン軍曹（アンソニー・マッキー）とエルドリッジ技術兵（ブライアン・ジェラティ）とチームを組んで動くが、チームワークを重視するサンボーンとエルドリッジに対して、ジェームズはセオリー無視のスタンドプレーを連発する。次々と難局を乗り切っていく3人だったが……。</p>
<p>　時限爆弾の導線を残り3秒で切るのは、刑事ドラマ常套のクライマックスだが、戦地を舞台にした本作「ハート・ロッカー」は、そんなクライマックスが2時間以上も続く異色のアクション＆サスペンスだ。</p>
<p>　「告発のとき」（2007年）、「キングダム／見えざる敵」（2008年）、「グリーン・ゾーン」（2010年）などの作品が示すように、戦争をモチーフにした映画の舞台は、第二次世界大戦でもベトナム戦争でもなく、いよいよ「9.11」後の対テロ戦争に移ってきたが、対テロ戦争の特殊さと異様さに本気で踏み込んだ作品は、この「ハート・ロッカー」が初めてだろう。</p>
<p>　バグダッド制圧後も断続的に戦闘は続き、米軍の死傷者は後を絶たなかった（※）。これはメディアでもくり返し報道されてきたことだ。地雷、自爆テロ、拉致、奇襲攻撃……。米軍が顔の見えない敵をどれほど脅威に感じていたかは想像に難くない。戦場は一般市民が生活を送る町のなか。つまり、誰が市民で誰が敵兵かも分からない状況で任務を強いられてきたわけだ。極度の緊張に支配された米軍兵士のストレスの大きさは、ここにきて深刻化している「アフガン・イラク帰還兵の自殺問題」が証明するところだ。</p>
<p>　「ハート・ロッカー」が国内外で高い評価を受けた理由のひとつには、爆弾処理班という特殊な存在に目を付けたうえに、死と隣り合わせの彼らの任務を仔細に描き、なおかつ彼らの“ただならぬ心情”に迫った点にある。</p>
<p>　特筆すべきは、怖い者知らずなジェームズ二等軍曹の一挙一動だ。彼は、怯えるどころか、むしろそのスリルを楽しむかのように、次々とリスキーな爆弾処理に挑み続ける。その不可解な心理の裏付けが、映画冒頭でスクリーンに記される「戦争の高揚感は、ときに激しい中毒になる」の一文にあると知ったとき、観客はこの作品の重たいメッセージを受け取ることになる。兵士の「心」に軸足を置いたこの角度からの反戦メッセージというのは新鮮だ。</p>
<p>　「戦争中毒症」ともいうべき症状を抱えるジェームズ二等軍曹が、現地で知り合った子供との交流を通じて無意識に人間性をよみがえらせるくだりでは、理屈では語れない人間の複雑な心理が表現される。自分の死に対する「鈍感さ」と本名さえ知らぬ子供の死に対する「敏感さ」。この対照的な心理を分析することは、本作を深く読み解くうえでは必須かもしれない。</p>
<p>　同様に、それまでスタンドプレーに徹してきたジェームズ二等軍曹が、チームリーダとして気遣いを見せた砂漠での戦闘シーンや、終盤でおもむろに映し出されるある店での買い物シーンも、彼個人の本質や心理状態に迫るうえで無視できない。とくに後者は本作きっての名シーンである。</p>
<p>　米兵同様にストレスを強いられたであろうイラク市民の感情がないがしろにされている観はあるものの、手持ちカメラによるリアルでダイナミズムあふれる映像表現と、兵士の心情を掘り下げた繊細な人間ドラマの両面から、高い満足感を与えてくれる作品には違いない。</p>
<p>　冷静とも狂気ともつかぬジェームズ二等軍曹役に、さして知名度の高くないジェレミー・レナーを抜擢した点も、この映画にとって大きな戦果だったといえよう。これを誰もが知るスターが演じていたとしたら、ここまで物語のリアリティを高めることはできなかったはずだ。</p>
<p>　※アメリカ合衆国軍の戦死者数の推移</p>
<p>　2003年：486名 2004年：849名 2005年：846名 2006年：822名 2007年：902名</p>]]></content:encoded>
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