エンドロールが消えてからも、しばらく席を立てない。(点数 80点)
(C)2009 MENAGE ATROZ S. de R.L. de C.V., MOD PRODUCCIONES, S.L. and IKIRU FILMS S.L
負の連鎖を描いた群像作品『バベル』の名匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャ
リトゥ監督と、アカデミー賞に輝いた『ノーカントリー』で映画史上屈指の悪役
シガーを演じたハビエル・バルデムがタッグを組んだ作品につき、少なからず期
待(いい意味で、覚悟)をしていたが、結果は、いいほうに裏切られた。「少な
からず」という気弱なエクスキューズなど付けずに、「大いに」期待しておけば
よかったのだ。おかげで「覚悟」が足りず、ヒドい目にあった。エンドロールが
消えてからも、しばらく席を立てないではないか。
スペインはバルセロナの下層に暮らすウスバル(ハビエル・バルデム)は、大都
会の裏社会で非合法な仕事に手を染めながら、幼いふたりの子供と、躁鬱病の元
妻を支えながら暮らしていた。ある日突然、ウスバルは余命2カ月の末期ガンであ
ることを宣告される。ウスバルは、迫り来る死の恐怖と闘いながら、子供たちに
何を残せばいいのか、何を残すことができるのか、考えあぐねるが……。
3.11を経験した日本において、この手の重たい映画をお勧めしていいものか、迷
うところだ。しかし、この映画を観た人であれば、きっと理解してくれるだろう
。この作品が、闇雲に人を暗い気持ちにさせるものではなく、「限りある命」を
宿命づけられた人間に、その「生き方」を問う物語であるということを。模範解
答は提示されない。難問山積のウスバルに感情移入しながら、観客の一人ひとり
が、どうしようもない焦りと葛藤と不安と恐怖を追体験させられるのだ。
主人公に絶望を味わわせること自体は、映画の常套である。しかし、ウスバルに
襲いかかる受難は、多様にして深刻。あまりに救いようのなものばかりだ。滅び
行く自分の身を案ずる暇さえなく、社会の下層エリアで仕事と子育てに追われる
日々。元妻との関係は悪化の一途をたどり、仕事では「人の生き死に」に関わる
悲劇的な事態に見舞われ、プライベートでは救世主に見えた人物の裏切りに合う
。夢も希望もない、見渡す限り絶望の淵である。唯一の希望といえば、そうした
状況下で、ウスバルが、一家心中という選択肢を選ばなかったことくらいだろう
か。
陰影を利かせた映像は、まるでウスバルの心に巣食う「陰」と「影」を強調する
メターファーのよう。また、何気ない日常のひとコマが、ウスバル一家の相関や
、彼らが置かれた状況を雄弁に物語る。冗長さと説教臭さを徹底的に排除しなが
ら、情景描写と心理描写を丹念に積み重ねて行く演出は、名匠と呼ばれるイニャ
リトゥ監督ならではの絶妙采配。その心意気に応えるハビエル・バルデムの縁起
も神懸かり的だ。
針の先の一点にも満たない「限られた」人生において、その「限り」にさえ期限
が付けられたときに、人は初めて「生きている」という現実に気づき、その「生
」をいかに生きるべきかを考える。言うなれば、ウスバルは私たち人間が例外な
く直面しながらも後回しにし続けている「問い」に答えるべく受難を背負ったス
ケープゴートのようなものだ。だからこそ、私たちはウスバルの、ときに矛盾や
苦悩に満ちた思考や行動に敏感に反応してしまうのだろう。その反応の原因を追
い求めようとする人にとって、この作品の価値は計り知れないであろう。
(山口拓朗)