◆大爆笑!(85点)
ハリケーン・カトリーナの直撃を受けたニューオリンズの刑務所が水の下に沈もうとしているところからヴェルナー・ヘルツォーク監督作『バッド・ルーテナント(原題:BAD LIEUTENANT: PORT OF CALL NEW ORLEANS)』の幕が開く。1匹の蛇は暗い水の上をたゆたい、檻の中に取り残された1人の囚人が、恐怖に震え助けを求める。そんな中現れる2人の刑事。助けを乞う囚人を目の前に1人がこう言う、「お前のためにずぶ濡れになれって? 俺は$55もしたスイス綿の下着を履いてるんだぞ、こんな茶色で糞まみれの水に入れるかよ」。その態度の悪い奴はドラッグ大好きなテレンス。彼を演じるにニコラス・ケイジがハマり役で、本作では『リービング・ラスベガス』以来の名演技を見せる。
不満をもらしながらも、結局取り残された囚人の救出を試み負傷したテレンスは、その英雄的行為により巡査部長から警部補に昇格。ところが、怪我の痛みは消えず、苦しみを和らげる為にドラッグに手を出す彼はすぐにそれが習癖になってしまう、すでにあった博打癖に加え。そしてクスリがなくなると、ディラー宅やクラブの近くに張り込み、ヤクを持っている者を拳銃を突きつけて脅し、ヤクだけ奪うという始末。
ある日テレンスはアフリカ系移民の殺人事件現場に赴く。そしてその容疑者であるドラッグディーラーのビッグ・フェイトの周辺を捜査し始めると、テレンス自身が様々な問題に巻き込まれて行ってしまう。テレンスの行動はランダムで、問題はそれぞれ繋がりを持っていないが、脚本家ウィリアム・フィンケルスティンは、それらが全てうまくいく様に仕掛けており、観終わった時の後味は思いのほか良い。
本作のオリジナルタイトルは1992年のアベル・フェラーラ監督作『バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト』と同じ。しかし、本作はリメイクではなく、全くのオリジナルストーリーだ。また、本作のサブタイトルは"PORT OF CALL NEW ORLEANS"となっているのだが、"PORT OF CALL"とは寄港地や立寄先という意味を持ち、一体それにどんな意味があるのか考えさせられる。それでもそれ自体には意味はなく、「理由」を抜きにして物語を展開させてゆくヘルツォークらしいタイトルだ。
テレンスは「バッド(ダメ)」な警部補だが、性根までは腐ってない。守られているものには時に乱暴な態度をとるが、守られるべきものはとことん守り抜こうとする正義感も持ち合わせているのだ。だから殺人現場に居合わせた目撃者の身の安全を気遣い、エヴァ・メンデス扮する高級コールガールの恋人フランキーに危険が及ぶと、安全な彼の実家に居候させる。
ドラッグ漬けのテレンス。彼は物語中には幻影を見たりもする。おもしろいのが捜査中に、そこにいもしないイグアナを見るシーン。そこではカメラがイグアナと同じ目の高さでイグアナを映し出すので、なんとも不思議な、一体何を意味しているのかわからない場面である。また、ハイになっている時に、既に銃に撃たれ死んでいる者に向かって、こうも言う、「もう一度あいつを撃て!魂がまだ踊っているぞ!」と。そして映し出されるのはブレイクダンスしている魂。物語としてはナンセンスだが、とてもユーモアに溢れるシーンの数々にわたしたちの笑顔が途切れる時間はない。
テレンスはフランキーを実家にかくまっている時、彼女を子供時代に多くの時間を過ごした家の敷地内にある秘密の場所に案内し、子供時代を振り返る。海賊になりきって冒険を夢見ていたあの頃。彼は理解ある母親に金属探知機を借り、海賊の宝である銀のスプーンを庭で見つける。実際にはそれは銀ではなくただのスプーンなのだが。そしてその宝を隠すテレンス少年。しかし、彼はどこに隠し場所を忘れてしまった。
特別な時間と空間で、よく知ってる人から子供の頃の特別なエピソードを語られると、なんだかドキっとする。そんな緊張感がそのシーンにあると同時に、嘘偽りない真摯な心をテレンスの中に見るだろう。フランキーが神聖な場所入り込む事を許されたと同時に、わたしたちもテレンスに彼の深層心理の奥深くに案内された様な気持ちになる特別なシーンだ。
ヘルツォークという魔法使いに案内されて本作に参加する事になったニコラス・ケイジ。彼は魔法の王国に入って来てしまったかの様に、彼の大げさな演技がヘンチクリンなストーリーとヤク中のキャラクターに奇跡的にうまくマッチしている。ようやくアカデミー賞俳優、ニコラス・ケイジが復活した。
寄港地ニューオリンズ。物語の中では特に意味をなさないそのタイトル。しかし、ヘルツォークがキャプテンを務める海賊船に乗り込んだわたしたち観客はニューオリンズにしばし降り立ち、テレンス警部補の奇妙な体験を観察する。タイトルは観客に向けたものなのだろう。そこで大いに笑って楽しんで、再び海賊船に乗り込みわたしたちは次の寄港地を目指すのだ。
(岡本太陽)