◆アトム・エゴヤン渾身の1作。彼の過去10年間の作品の中では最高の映画。(80点)
わたしたちはそれぞれに家族、歴史や世界等様々なものと繋がっている。またテクノロジーの発達により、「つながる」事が簡単に出来る現代社会で、わたしたちのアイデンティティはそれこそ簡単に作られ、それを広める事が出来る。映画『ADORATION』はそんな新しい時代を背景に1人の少年がアイデンティティを探し求める物語だ。
本作の監督を務めるのはカナダの鬼才アトム・エゴヤン。彼の第12作目の映画は1986年に実際に起きたテロリズムにまつわる事件にインスパイアされ、また彼が以前から興味のあったコミュニケーションとテクノロジーを題材としたもので、淡々としたストーリーテリングの中に、パワフルな精神を感じられる作品となっている。またここ10年程の彼の作品の中では最も素晴らしい作品と言っても過言ではないのではなかろうか。
物語の主人公サイモン(デヴォン・ボスティック)フランス語のクラスを受け持つサビーン(アルシネー・カーンジャン)からある翻訳の課題を出される。それはあるテロリストが妊娠中のガールフレンドの荷物の中に爆弾を忍ばせ、飛行機を爆発させようとしたというニュース記事で、これがサイモンに途轍も無い影響を及ぼす。
叔父のトム(スコット・スピードマン)と住むサイモンはフランス語のクラスの課題をレバノン出身の父サミ(ノーム・ジェンキンス)を記事の中のテロリストとし、なんと自分の家族の物語のとして作り上げるのだ。自分自身をテロリストの子であると偽アイデンティティをクラスやインターネット上で読み上げるサイモンの行動は当然の事ながら瞬く間に波紋を広げ、大問題に発展する。その頃、サイモンの家にイスラム教のベールを被った謎の女性が現れる…。
サイモンは何年も前に両親を失った。彼の母レイチェルは有名なバイオリニストでバイオリン職人である父と結婚した。しかし父の運転する車は事故に遭い、サイモンは一瞬にして父も一緒に乗り合わせた母も失い孤児になってしまったのだ。
両親が亡くなった時、サイモンはまだ幼く、彼はずっと事実を知らずに疑問を心に抱え生きてきた。もちろん父がテロリストであったとう事実はどこにもなく、サイモンは不確かな現実と彼の創り出した世界との狭間で苦悩する。それからサイモンは真実を探るため、病院に入院している祖父モリスに携帯電話のビデオを使い両親が死んだ時の状況似ついてインタビューを行う。
またその頃インターネット上ではサイモンが火種となった事が勝手に一人歩きし始め、インターネット上でクラスメイトやその親達が議論し合い、またテロの生き残り等までもが登場するようになる。サイモンが予想しなかった事が次々と起こる中、叔父のトムはベールを被った女性が誰なのか知り、物語は感動の結末を迎える。
わたしたちはテクノロジーが当たり前にある社会に生き、便利さに傾倒している。そんな社会では瞬時に自分の意見を世の中に発信出来、またネットアイドル等が存在する様に、即時に自分自身でアイデンティティを作り出すことさえ可能だ。それだけ聞くと、わたしたちはファンタジーの中に生きている様に思えるが、わたしたちは古代から「物語」や「神」等存在しないものを作り出し、それらを崇拝して生きてきたのだ。今日では、それらがテクノロジーという姿に変わり、わたしたちはそれらを信じ生きている。
この現象を止める事は可能だろうか?いや、無理に違いない。なぜならもう既にテクノロジーはわたしたちのアイデンティティそのものだからだ。数年前に日本映画監督岩井俊二が『リリィ・シュシュのすべて』という映画を撮った。この映画はまさにインターネット上では誰でも自分とは違う人物になりうるという当時の新しい世代を意識した作品であった。アトム・エゴヤンの『ADORATION』もまた今まさに使用されているテクノロジーを用いた映画であり、本作は人間が作り出した技術がほんとうに人々を繋げる事が出来るのかを問う。時に、ビデオチャットを使用するわたしたち世代だが、ほんとうにその時画面の向こうの人とわたしたちは繋がっているだろうか?
(岡本太陽)