◆イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの「動物3部作」最終章。日本では1973年に公開されたものの、その後ソフト化されず、再公開が待たれていた。アルジェントらしいトリッキーなカメラワークが駆使されたジャーロの秀作だ(80点)
日本劇場初公開から37年ぶりに本作がリバイバル・ロードショーされるというのは、衝撃的なニュースだ。「サスペリア」(1977)などで知られるイタリアン・ホラーの巨匠、ダリオ・アルジェントは、日本では非常に人気が高く、その作品のほとんどがソフト化されている。だが、1971年に発表された本作だけは、何故かこれまでソフト化されていないため、もう一度見たくても見ることが出来なかったのだ。
デビュー作「歓びの毒牙」(1969)、「わたしは目撃者」(1970)に続く「アニマル・トリロジー(動物3部作)」の一つであり、イタリア製の、いい意味でも悪い意味でも煽情的で低俗なミステリーを指す「ジャーロ」の代表作だろう。「サスペリアPART2」(1975)へと至る、重要な作品でもある。「サスペリアPART2」は、日本では「サスペリア」の続編として公開されたが、実は「サスペリア」より先に作られ、本国で大ヒットしてアルジェントの名声を決定づけた名作だ。
本作は、「わたしは目撃者」「サスペリアPART2」と並び、アルジェントが「イタリアで最も不思議な都市」と呼ぶトリノで撮影された作品でもある。昨年、私は取材でトリノを訪れ、主に「サスペリアPART2」のロケ地を巡ったが、アルジェントの言う「不思議な都市」の雰囲気は十分に味わえた。アルジェントはトリノについて、「ヨーロッパの都市の中でも最も現役の悪魔崇拝者が多い」と語っている。その真偽は不明だが、町の闇はとても濃かった。ローマのような観光地としての賑やかさがない分、夜はとても静かで、都会でありながら、中世のころと同じ闇が、ふっと顔を出すような瞬間があるのだ。そこに住む人々も、奇妙に迷信深かったりする。そんな町の魅力も存分に楽しめる。
何といっても目を引くのは、アルジェントらしいトリッキーなキャメラワークだ。冒頭から、実に魅力的な映像が続く。主人公のドラマー、ロベルト(マイケル・ブランドン)たちのバンドが演奏する場面から始まるが、ギターの穴(サウンドホール)からカメラが演奏風景を覗くカットがあって、びっくりさせられる。ドラムのシンバルに止まった虫を、シンバルの開閉で潰す場面にもアイデアを感じる。
中世の面影が色濃いトリノの町を、俯瞰で撮った印象的なショット。犯人が常に主人公を覗き見しているようなキャメラ。ロベルトは自分をつけ回す正体不明の男と争い、誤ってナイフで刺してしまう。それを不気味な仮面の人物が遠くから見ていることに気づく。この仮面の人物は、「サスペリアPART2」で突然現れる凶悪な人形にちょっと似ている。
仮面の人物はロベルトを脅迫し始め、妻のニーナ(ミムジー・ファーマー)は恐怖の余り家を出てしまう。登場人物たちは誰もが怪しく、殺人場面は残虐で、見せる工夫が凝らされている。実にジャーロらしいストーリーだ。
ロベルトのメイド、アミリア(マリサ・ファブリ)が犯人によって、壁と壁の狭い隙間に追い込まれる場面は、蜘蛛の巣が彼女に絡み付き、まるでアメリア自身が犯人の手の内に絡め取られてしまったような怖さがある。公衆電話から犯人の家まで、キャメラが電話線を追って移動していく場面や、階段を落ちる美女を、段差でゴンゴンと揺れる首から上のアップだけで追う場面など、実に面白い。「サスペリアPART2」以降のような、残虐きわまる派手な殺人場面はないのだが、ヒチコック風の凝りに凝った見せ方が洒落ている。
ミムジー・ファーマーは不思議な色気のある女優で、ジャーロにとても合っている。「炎のいけにえ」(1974)は安っぽいが素晴らしいジャーロで、ミムジー・ファーマーが圧倒的に良かった。本作では残念ながら「炎のいけにえ」のようにヌードは見せてくれないのだが、下着姿だけでも十分にエロティックだと思う。代わりに裸を見せてくれるのは、ニーナの従姉妹役のフランシーヌ・ラセットだ。途中、オカマの探偵(ジャン・ピエール・マリエール)が出てきたりして、ちょっとしたお笑い場面がある。アルジェントらしくないように思えるが、初期のアルジェント作品には意外にも、コミカルな場面が結構ある。「サスペリアPART2」にも余り笑えないコミカルな場面があるのだが、日本で劇場公開されたヴァージョン(105分)では、それらがほとんど切られていた。紀伊國屋書店から販売されているDVDには完全版(126分)と劇場公開版の2種類が収録されているので、比較するとよく分かる。
ラストのスーパースローを使った映像も素晴らしい。車の窓ガラスが砕け、死にゆく人間の顔に、ゆっくりと降り注ぐ。それは、死の瞬間の、意識の変容を反映しているようにも見える。凄惨な人体破壊場面が、実に詩的に表現されている。
アルジェント作品だから、謎解きとしての面白さは全くない。ストーリーは見せ場をつなぐためだけのものと考えていい。それでも、独特の映像を見ているだけで十分に魅力的だ。エンニオ・モリコーネの音楽は、血生臭い話とは対極的に美しい。また、死者の目の網膜にレーザーを当てることで、死の瞬間の残像を読みとるというアイデアが奇怪で面白い。大林宣彦監督「瞳の中の訪問者」(1977)と同じアイデアだ。タイトルとなっている「4匹の蠅」もとても巧く使われている。
アルジェント研究家の矢澤利弘さんは、アルジェント研究の集大成といえる労作「ダリオ・アルジェント 恐怖の幾何学」(ABC出版)の中で、本作の冒頭は最初、違うアイデアが考えられていて、それが後に「サスペリアPART2」に使われていると書いている。そういう意味でも重要な作品だ。今回の公開を一番喜んでいるのは矢澤さんだろう。
(小梶勝男)