20世紀少年<最終章>ぼくらの旗 - 福本次郎

「ともだち」とはいったい誰なのか。マスクを脱ぐ途中、少年時代の彼がお面を外そうとする瞬間、カメラのアングルは変わり、素顔は終盤まで明かされない。それらのシーンは思わせぶりに何度も繰り返され、そのしつこさにはうんざり。(40点)

20世紀少年<最終章>ぼくらの旗

© )1999,2006 浦沢直樹 スタジオナッツ/小学館 © 2009 映画「20世紀少年」製作委員会

 「ともだち」とはいったい誰なのか。眼の中に人差し指を立てた手を図案化したマスクを脱ぐ途中、少年時代の彼がお面を外そうとする瞬間、カメラのアングルは変わり、素顔は終盤まで明かされない。それらのシーンは思わせぶりに何度も繰り返されるが、そのしつこさにはうんざり。「世界大統領」として君臨する「ともだち」の暴走を止めようとするレジスタンスグループの活躍を描くのかと思いきや、映画は「ともだち」の正体予想に終始する。未来の東京を鳥瞰する CGや細密に再現された60年代の町並みだけが見どころで、そこにはアクションの興奮や謎解きの楽しみはない。さらに無駄に長い上映時間が退屈という苦痛を強いる。

 「しんよげんの書」に従って人類滅亡計画を進行中の「ともだち」を倒すために抵抗を続けているカンナにオッチョが合流する。生き残っていたケンジも東京に戻るが、計画が発動、空飛ぶ円盤から殺人ウイルスが散布される。

 「第1章」のラストで死んだはずのケンジが「第2章」の最後で復活、そして今回はチョッパーハンドルのカブにまたがり颯爽と登場する。だが、彼の歌う「グータラスーダラ」が反体制のシンボルとなって民衆蜂起につながったりはしない。そこに「第1章」より洗練された巨大ロボが登場し、それを止めるためにオッチョとケンジ奮闘する羽目になる。このあたりになると物語は完全に空中分解し、もはや何がテーマだったのかすら思い出せなくなる。

 結局「ともだち」は、少年時代のケンジが犯した万引きの濡れ衣を着せられた少年が、フクベエになり済ましていたという、不自然なひねりを加えた複雑なオチ。この唯一の興味だけで長大なサーガを持たせようというところにそもそも無理があった。まあ、友達など所詮は他人、こちらが親友と思っていても平気で利用したり裏切ったりするもの。「ともだち」がいちばん言いたかったのは、「友達なんか信用できない」ということなのだろう。一方でオッチョとケンジのような固い友情にむすばれた友達に憧れていたはずだ。彼の疑心暗鬼とその果てにある苦悩、権力を握ってなお深まる孤独といった心の内を描けていれば、少しは違った印象になったのだが。。。

福本次郎

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