ドラキュラZERO - 青森 学

善と悪の間で心を引き裂かれるドラキュラは、混迷の時代に生きる我々にとって心を動かされずにはいられない(点数 87点)


(C)Universal Pictures

ドラキュラとオスマントルコの皇帝が会席する際、皇帝が貢ぎ物として千人の少年を差し出すようドラキュラに命じるが、ドラキュラはそれを拒む。
その時の「一緒にコーヒーを飲んだ仲ではないか」という台詞は、コーランでは依存性のある薬物は禁止されていたが当代のカリフがコーヒー好きだったため、コーヒーは禁止項目から除外されていた。
イスラム圏ではコーヒーは「アラブ人のワイン」の異名がある。
イスラム教国の人にとってコーヒーはアルコールの代替物なのだ。

オスマントルコは被征服民族の子息を誘拐して兵士として訓練した。
その屈強な外人部隊がイエニチェリ。
オスマントルコは基本、イスラム教に改宗すれば異民族であっても重用したので、そのポリシーゆえに広大な領土を維持する帝国になり得た。映画ではオスマントルコを非情の国家として描いているが実際はそうだとは思えない。
映画の演出上オスマントルコには悪役に徹してもらったというのが正解だろう。

一昔前は共産主義と資本主義の対立だったが、現代はイスラムとキリスト教の信仰をめぐっての戦いに回帰している。現在はイデオロギーの対立ではなく神の代理戦争の様相を呈している。
このドラキュラとオスマントルコの戦争に古さを感じさせないのは、今、正に欧米とアラブ諸国が過去の歴史をなぞっているからだ。

歴史上のドラキュラの真実に肉薄する今作だが、ドラキュラの善と悪との相克がよく描かれている。

善を守るために悪に染まるという矛盾が人間の本質を顕しており、より人間味に溢れている。ドラキュラ公の悪に強いゆえに善にも強いというキャラクターの造形は親鸞上人の教えにもマッチしており、キリスト教圏の人のみならず日本人にも強く共感出来ると思う。
キリスト教圏の人は「神」という絶対的な他者が自分を査定するので、おのずと善悪を客観的に思考して判定するよう訓練されている。
良心の声を聞かず独りよがりの善を神の声として聞く者を狂信者というが、この映画のように善と悪の狭間で煩悶するドラキュラは敬虔な宗教者の心の琴線にいたく触れるのである。

ルーク・エヴァンスの役作りだが、これがヴラド・ツェペッシュ公の肖像画に良く似ているのである。
顎のラインとか頬髭の生やし方あたりがそっくりである。
ファンタジーとはいえ、製作者はドラキュラ本来のイメージを大切にしているのがよく分かる。

本編の中ではいくつかの伏線があるのだが、それが回収しつくされておらず、続編に続くような終わり方になっている。続編を観るのが楽しみになるような本編になっているので、そこは安心して観て頂きたい。

ベラ・ルゴシが怪演した『魔人ドラキュラ』でユニバーサル・ピクチャーズは一躍映画業界の雄として一目置かれるようになったが、そのユニバーサル・ピクチャーズが再びドラキュラの映画を製作することになるとは、浅からぬ因縁というか、ドラキュラが大好きなんだなと窺わせられる。

バンパイアという怪人は、人間の生き血を飲まなくては生きることが出来ないという宿命が、他者を犠牲にして露命をつなぐ人間の業のメタファーであって、そこが多くの人が慄き、魅了されるのだと思う。

愛すべきドラキュラ、人間の宿業を背負った男の悲劇を是非スクリーンで見届けて貰いたい。

青森 学

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