ヒミズ - 青森 学

主役の俳優たちの白熱した演技が高い評価を得たのは映画を観て納得がいった。(点数 80点)


(C)「ヒミズ」フィルムパートナーズ

園監督オリジナルのアイディアだとされる主人公が思い詰めて顔に絵の具を塗りたくるシーンはムンクの「叫び」やゴッホの狂気を内包した荒々しいタッチを彷彿とさせて、主人公の言葉にはならない苦悩をより深く表現することに成功しているように思う。
とにかくこの映画には救いが少ない。
必死で生きていこうとする主人公とヒロインに突きつけられる過酷な運命はいずれも親によってもたらされたもの。
肉親への不信がこの映画に一層暗い影を落としている。

ラストは生きることへの希望ではなく、むしろ十字架を背負って生きることの決意がスクリーンに漲っていた。
死ぬ事よりも辛い生を選び取る主人公の心の軌跡が全編を通じて丹念に描かれているのだけれど、「生」が「死」よりも辛いというパラドクスが既成概念に縛られた人間にはむしろリアリティを感じるのかも知れない。
これは生きることへの希望をテーマに扱った映画ではなく、絶望の中からでも生を選び取る覚悟、「誓い」の映画なのである。
それが震災後の廃墟とオーバーラップして非常にメッセージ色の強い作品となっている。

この映画でどうしても議論の避けて通れないものに、震災後の廃墟の映像を作品に取り込んだことである。
それが作品と深いところで癒着していることもあり、それゆえにこの作品が持つメッセージにより深い意味を与えているところが尚の事被災者の心の傷に触れるような気がしてアンビバレンツな感情に引き裂かれる。
この震災もいずれはその悲しみは記号化されて記録と化してしまう運命にある。
だが、今、この悲しみに名前を付けて心の引き出しに仕舞うには時期尚早という意見もあると思う。
悲しみであれ、なんであれそれに名前を付けるという行為はそれにかたちを与えることで対処が可能で あることを示唆するものだ。
震災を題材に映画化することはその悲しみにタグを付け、かたちを与える作業でもある。
かたちを与えられた以上、そこか ら風化が始まる。だから今このタイミングでこの悲しみを風化させる端緒を与えて良いものかという疑問だ。
際限の無い悲しみに苛まれている人に、” この悲しみも一時的なものでじきに忘れるよ”と言われて安心する人がいるだろうか。
多くの人は反感を覚えてしまうのではないのだろうか。
悲しみに 名前を付けるということはそれが定量化出来ることを証明することであって、名前を付けることでこの悲しみについてはここまで、と区切りを付けるこ とを要請するものなのだ。

話は少し脱線するが、年の瀬になると今年一年を漢字一文字で表す行事が恒例としてあるけれど、この行事の性質として多く の人の喜びや悲しみを一文字で総括してしまうところがあるのだが、今年のように大惨事の有った年にそのような言葉ひとつで言い表して良いのかとい う問題である。
これは人々に与えたダメージが大きいほど問題は深刻になる。

この作品はその問いに真正面からぶつかっているので、その真摯さは高く買うが、それでも許せないと思う人もいるだろう。そういう点でこの映画は論議を呼びそうな作品である。
しかし、いつかはこの震災を扱った作品は世に出てくる。
ただそれが早いかそうでないのかは世論が判断するのであって、この悲しみを心の引き出しに仕舞って良いものか、未だ早いかの判断は世論を構成する鑑賞者しか決められないように思う。

青森 学

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