ミスター・ノーバディ - 山口拓朗

脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが見えてくる作品(点数 90点)


(C) 2009 PAN-EUROPEENNE — MR NOBODY DEUTSCHLAND GmbH 6515291CANADA INC — TOTO&CO FILMS — FRANCE 2 CINEMA — FRANCE 3 CINEMA

たとえば、あなたに好きな人がいるとする。しかし残念なことに、
その人は明日旅立ってしまう。会えるのは今夜が最後。あなたは自
分の気持ちを好きな人に伝えることもできるし、伝えずに立ち去る
こともできる。

さて、ドウスル?

とかく「人生の選択」をテーマにした映画が生まれやすいのは、そ
こに「未来はだれにも予見できない」という“不確実性”が付随す
るからだろう。未来が見えないがゆえに、人は人生の分岐点におけ
る「選択」を、恐れ、ためらう。

“不確実性”というのは、映画にとって妙薬であり、うま味でもあ
る。「選択」を要する分岐点に主人公を立たせることで、多かれ少
なかれドラマが生まれる。「歓び」という味になるか、「哀しみ」
という味になるか、はたまた「後悔」という味になるか、ドラマの
お味は、煮立ててみてのお楽しみだが。

ところが、本作『ミスター・ノーバディ』は、こともあろうか「選
択」という概念を放棄するという驚きのアプローチに出た。

2092年、人間は科学の力で不死の人生を手に入れていた。突然目覚めた
108歳のニモ(ジャレッド・レト)は、他の人たちと大きく異なって
いた。彼は永久再生化を施していない、世界で唯一の「死ぬことの
できる人間」だったのだ。もはや天然記念物扱いの彼の一挙一動
は、全世界に生中継されていた。

そんな折、ニモのもとにやって来たひとりの新聞記者が、ニモの過
去に迫るべく質問を始めた。ベッドに身を横たえたニモは、おぼろ
げな記憶の数々をよみがえらせていくが、そこには虚実の境が見え
ない不思議な世界が広がっていた……。

1の道と2の道があった場合、通常、映画が描くのは、主人公が
「選択」したどちらか一方の道だけである。ところがこの映画は、
1の道も2の道も両方描く。さらに現れた分岐点では、3の道も4
の道も描く。終わってみれば、あっぱれ、12の道(人生)を
描ききったのである。

ある人生では、大好きな女性と激しい恋に落ちる人生を送り、ある
人生では、事故に遭って寝たきりの人生を送る、といった具合に
だ。だが、どの人生も紛れもなくニモ自身のものである。

こうしたパラレルな多重構造に対して「そんなのはおかしい!」と
楯つくのは無粋といえよう。なぜなら、こうした不可思議なドラマ
構造を通じて蒸留される「何か」に考察を加えることこそが、この
種の作品の醍醐味だからだ。

少なくともこの映画は、簡単に感動を与えてくれるタイプの作品で
も、安易に講釈をたれるタイプの作品でもない。観客側から積極的
にアプローチをかけて、その真意を読み解くタイプの作品である。
主人公が「ある重大な判断」を下す終盤のシークエンスは、この作
品が紛れもない傑作であることを決定づける。いやはや、たまにこ
ういう作品に出合うから映画鑑賞はやめられない。

ジャコ・ヴァン・ドルマン監督は実にお優しい。複雑な映画を見慣
れていない人たちが迷子にならないよう、随所に工夫と配慮をちり
ばめている。「私は迷子になってしまうかも……」と不安な方は、
スクリーンを彩る「色」に注意しながらストーリーを追うといいだろう。

「選択」という概念を手放した『ミスター・ノーバディ』という作
品の評価と解釈は、一人ひとりの観客に委ねられているが、私自身
は、どんな道にも、例外なく「喜怒哀楽」、さらに鳥瞰するなら
「幸・不幸」が存在している点に、ひとつの理解を得ることができ
た。極端な言い方をするなら、「選択」、それ自体に大きな意味は
ない、ということだ。

パラレルに展開される12の物語を破綻させることなくまとめ
あげたジャコ・ヴァン・ドルマン監督の鋭い論理的思考と、芸術性
に優れた絵作りに脱帽だ。右脳派にも左脳派にも訴えかける力を
持っているが、むろんそれは、万人受けするという意味ではない。
脳の全領域をフル稼働させた者だけに、ようやく示唆めいたものが
見えてくるという、そういう映画である。手ごわいが、代え難い余
韻が味わえる。

山口拓朗

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