人の数だけ人生があり、人生の数だけ物語がある。物語を撚り合わせると、政治や経済の大きなうねりに翻弄されながらもたくましく生き抜いてきた人々の歴史となる。映画は労働者の声を拾い集めることで中国現代史を振り返る。(60点)
人の数だけ人生があり、人生の数だけ物語がある。それらの物語を撚り合わせると、政治や経済の大きなうねりに翻弄されながらもたくましく生き抜いてきた人々の歴史となる。地域の中心として計画され、膨大な従業員を抱え、その中はひとつの完結した社会として機能してきた工場。映画はそこに勤務する工員・技術者・管理職の声を拾い集めることで中国現代史を振り返る。広大な大陸を国策に従い移住し、いつしか工場の敷地内が故郷となってしまった人民の過酷な運命と何気ない日常が紡ぎだすエピソードの数々。たとえ工場がなくなっても確かに人間が住み、そこに生活があった事実を映像は記憶する。
四川省成都にある420工場は再開発のために取り壊しが決定、技術者としての心構えを先輩から教わったベテラン工員、長時間の移動の途中で子供と生き別れになった年老いた母、リストラされた人、職場の花だった女性など、労働者が工場にまつわる思い出を語り始める。
時には数分にもわたる長いカット、カメラはじっと身の上を語る男女を見つめる。それぞれが大躍進政策、文革、その後の経済自由化などの政情の変化に振りまわされた自分の半生を顧みる。特に少年時代に敵対グループに捕まった男が「周恩来首相が死んだから」と助けられる部分は、激動期の中国で周恩来がいかに人民に尊敬されていたかをうかがわせる。
やがて工場は閉鎖され、看板が下ろされ、工作機械が運び出される。がらんとした工場内を男が歩いていると外から石が投げ込まれ窓ガラスが割られる。このあたり、ここで働きここで暮らした従業員たちの、工場という世界を愛しながらも憎んでいた複雑な胸中を象徴していた。そして、跡地は高層ビルが立ち並ぶ近代都市に変貌、わずかにレンガ造りのモニュメントだけがここに喜怒哀楽の染み付いた営みの場があったことを示す。人は移ろい、街も変わる。人間はただ時の流れに身を任せるだけ。そのうち工場も忘れられるだろう。人の世のはかなさをしみじみと感じさせる作品だった。
(福本次郎)