ダークナイト - 岡本太陽

故ヒース・レジャーがひときわ輝く残酷で美しい『バットマン・ビギンズ』の続編(95点)

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 クリストファー・ノーランのこの夏の新作は凶暴だ。これは2008年の夏の映画の最も大きな作品でありながら、深く、詩的ですらあり、わたしたちを暗黒の世界へいざなう。2005年に『バットマン・ビギンズ』で『バットマン』シリーズの新境地を切り開いたノーランが、3年後の今放つその続編『ダークナイト(原題:THE DARK KNIGHT)』はヒーロー映画の域を完全に超越しており、驚きと狂気に満ち溢れ、わたしたちにその牙を向ける。

 ゴッサム・シティにバットマンが現れてから市民は彼に頼り切り。そんな折、突如街にジョーカーというピエロのメイクをした犯罪者が姿を現す。そしてジョーカーに翻弄され、ゴッサム・シティは恐怖のどん底に落とされる。ゴードン警部補と新しく待ちにやって来た地方検事ハーヴェイ・デント等と共に得体の知れない凶悪なジョーカーにバットマンことブルース・ウェインは対峙する事になるのだが…。

 DCコミック原作の映画『バットマン』の新作は主に限定版の「Batman: The Long Halloween」の世界感を生かし、また1940年に発行された「バットマン」に2回登場するジョーカーのエピソードを交え、監督も務めるクリストファー・ノーランと彼の弟であるジョナサン・ノーランが極めて稀な完璧に近い脚本を書き上げた。『ダークナイト』はまた、実写映画『バットマン』シリーズの中で初めてタイトルの中に「バットマン」という名前が記されない事で注目されており、他の作品との違いをタイトルからも伺い知る事が出来る。

 『ダークナイト』の中ではクリスチャン・ベールが『ビギンズ』と同じく、ブルース・ウェインを演じている。彼の端正な顔立ちが理想的なブルース・ウェイン像を作り上げ前作では非常に好評だった。今までブルース・ウェインを演じた俳優の中でも彼を1番と指す人も多いのではないだろうか。『ビギンズ』で彼のバックグラウンドが明らかにされ、どういう経緯を経てバットマンになったかをわたしたちは知っているため、今回バットマンの起源については触れられず、ブルースがゴッサム・シティでバットマンでいる必要があるのか、もうレイチェルと一緒になり普通の生活を手に入れるべきではないのかという疑問に悩まされる。前回とは違うテーマが主人公に与えられている点が興味深い。また、バットマンが着ているバットスーツも改良され、映画シリーズ初、自由に首が動かせるスーツが登場する。

 物語的にはブルースの存在があまり強くない『ダークナイト』の中で、ドラマチックな悪役がスポットライトを浴びる。それはヒース・レジャー演じるジョーカーだ。1989年の『バットマン』では、過去に数々の賞を受賞している俳優ジャック・ニコルソンが同キャラクターを演じていたが、ティム・バートンとクリストファー・ノーランの世界感が全く違う事から、ニコルソンのジョーカーはコミカルで可笑しく、レジャーのジョーカーは時々可笑しい点は同じなのだが、落ち着いているが残忍で気味が悪く、より強烈なインパクトを与える。ヒース・レジャーは研究を重ね約20年前のジョーカーとは異質のそれを自ら作り上げた。

 その破壊神の如きジョーカーを作り上げる過程で、ヒース・レジャーが参考にしたのは読み切りグラフィックノーベルの「バットマン:キリング・ジョーク」と「バットマン:アーカム・アサイラム」、またセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスとスタンリー・キューブリック作『時計じかけのオレンジ』等も新しいジョーカーの中に取り込んでいる。もうこのジョーカーはもはやヒース・レジャーではなく、何かに取り憑かれてしまったかの様な男なのが印象的だ。彼が登場するシーンには気味の悪いサイレンの様な音がバックに流れるのだが、それが破壊神降臨を意味し、わたしたちに警戒を促す。

 ジョーカーといえば、口角から横に切り裂かれた傷が思い出されるだろう。『ダークナイト』の中でジョーカーはその自分の顔の傷について数回語るが、はじめは彼の父がやったと言い、その次は顔に傷を負った彼の妻を慰める意味で自分自身で口にカミソリを入れ傷を作ったと言う。どれが正しいとは分からないが、どれも作り話の様で彼には過去がない事が分かる。また彼が執着するその傷の事を気にしている様にも見えるのだが、むしろ自分自身が他と違う唯一の存在という事を楽しんでいる様でもある。ジョーカーは過去がないゆえに失うものがなく、バットサイクルに乗ったバットマンと正面向き合って対峙する際には、「ぶつかって来い!」と叫ぶ。ジョーカーの言動はわたしたちに彼はもしかしたら死にたいのかと思わせる。そんな人間を前に人々は恐れをなすしかないのだ。力強くも冷静な面も持ち合わせているジョーカーは昨年で言えば、ダニエル・デイ=ルイス演じる『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・プレーンビューに匹敵するインパクトを与える。その不敵さに苛立ちすら覚えるが、わたしたちには抵抗出来ない魅力があり、彼に対する嫌悪感が芽生えるどころか、「あんな風になってみたい」と憧れすら抱くはずだ。そして、もっとヒース・レジャーのジョーカーを観たいという欲求が増し、その凶暴なキャラクターに貪欲になっている自分に気付くはずだ。

 ジョーカー以外にも悪役が登場するのだが、それを演じているのは『サンキュー・スモーキング』のアーロン・エッカート。彼は『ダークナイト』ではゴッサム・シティに新しくやって来た地方検事ハーヴェイ・デントに扮し、デントはマギー・ギレンホール扮するレイチェル(『ビギンズ』ではケイティ・ホームズが演じた)の恋人で、ブルースとは三角関係にある。彼はジョーカーの仕掛けたある事故で顔の左半分を負傷してしまい、『バットマン・フォーエバー』でも登場したトゥーフェイスになってしまう。コミックとは違う設定でデントはトゥーフェイスへとなってしまうが、この物語の中ではよりバットマンとの関連性が強くなり、キャラクターのインパクトこそそこまで強くはないが、物語を複雑化させる欠かせない役として機能している。

 今回も『ビギンズ』同様、マイケル・ケインがウェイン家に仕える執事アルフレッド・ペニーワースに、モーガン・フリーマンがルシアス・フォックスに扮する。フォックスは前作ではウェイン・エンタープライズの開発部長だったが、『ダークナイト』ではCEOに昇格している。前作からの登場人物の中でひと際重要な役を演じているのはゲイリー・オールドマン扮するゴードン警部補。彼はジョーカーにからかわれ、トゥーフェイスにも家族を脅かされる。『ビギンズ』に比べかなりドラマチックで人々が共感を覚える役へと変わっている。

 『バットマン』の物語の中ではゴッサム・シティそのものが登場人物の1人の様なものなのだが、『ビギンズ』ではファンタジックな街であったのに対し、『ダークナイト』の街はより現実的で同じ監督作でありながらも前作とは全く違う様相を呈している。どう違うかというと、今回の街ではまずビルがガラス張りのものが非常に多く、景色はキラキラと輝いて見える。それから、ただの街ではなく、政治面等、様々な面からアプローチし、ゴッサムがどのようにして街として機能しているのかディテールも描かれているため、より個性を持った街へと変貌しているのだ。

 ジョーカーがゴッサムの街に足を踏み入れてから、テロ時の様に街は混沌と化す。その街の様子は時にマイケル・マン監督作でロバート・デニーロとアル・パチーノが出演した『ヒート』にも似ている。もう『ダークナイト』はもはやただのヒーロー映画ではなく、犯罪ドラマの類にも属する緊迫感に包まれた作品であり、1997年までに制作された『バットマン』シリーズとは全く異質で、『バットマン・ビギンズ』ともかなり差異のある単独の物語である。

 また、個性豊かな悪役達だけでなく、バットマン自身にも「悪」の心が芽生え始め、ゴードン警部補だけが純粋に「善」であるのが興味深い点だ。バットマンが高層ビルの上に留まり、しばし街を眺める際には、悪魔と交信でもしている様にも感じられる。人はとてつもなく巨大な苦悩の中、神ではなく悪魔と会話を試みる事もあるのかもしれない。彼の迷いや決断がヒーロー映画らしからぬ物語を生み出し、ヒース・レジャーの恐るべきジョーカーをはじめ悪役達が、その物語に多くの断層を作り出している。

 本作が遺作となってしまったヒース・レジャーは悪の生き神の様な奇跡的な役を見事演じ、監督クリストファー・ノーランは映画史に残る名作を作り上げた。残酷で美しく、激しくも切ない2008年夏の傑作『ダークナイト』はジャンルすらない、今までに観た事のない崇高な創造物であり、その凶暴な性がわたしたちに2時間半の絶頂感を与えるというよりは、襲いかかるのだ。このヒーロー映画を変えてしまうであろう『ダークナイト』にわたしたちはなす術がない。

岡本太陽

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