タカダワタル的ゼロ - 福本次郎

高田渡はあくまで市井の人々の視線に立った日常の風景を歌う。そのメロディはシンプルでやさしく、言葉は疲れた人々の心に染み入るよう。何事も肩の力を抜いてほどほどがよいという、高田の生き方がそこに凝縮されている。(50点)

 激しい音楽に乗せて客を怒鳴り罵倒し挑発的な歌詞を絶叫する泉谷しげるに対し、高田渡はあくまで市井の人々の視点に立った仕事・恋・趣味といった日常の風景を掬い上げる。メロディはシンプルでやさしく、言葉は疲れた人々の心に染み入るよう。何事もがんばりすぎず肩の力を抜いてほどほどがよいという、高田の生き方がそこに凝縮されている。映画はあるライブにおける高田の姿を凝視し、そこから高田の人間性をあぶりだそうとするが、すでに50歳を過ぎた高田にとってステージは生活の一部。激情よりも寛容、緊張よりも弛緩した空気が場を支配する。

 2001年大晦日、高田は柄本明や劇団東京乾電池の協力を得て年越しライブを開く。ギター片手に口ずさむ歌は労働者賛歌から憧れの女性に贈る歌、だらしない自分を客観視したり魚釣りに興じたりと多彩。そこに泉谷しげるがゲストとして登場する。

 別にハプニングが起きるわけでも衝撃の映像があるわけでもなく、映画は淡々とライブの様子を伝える。客席には同年代だけでなく20代の若い観客もいる。ステージ上の高田に注がれる観客の視線は温かく、ただ楽しんで歌う高田の姿をみて満足している。もはや高田に何らかのインスパイアを求めるのではなく、緩慢な時間を共有するために来ているようだ。そこに泉谷という強烈なスパイスを加えて眠気を覚ます構成は見事。ぬるま湯につかっていたら突如沸騰したような刺激を受ける。

 高田は仕事のないときは吉祥寺の「いせや」という焼き鳥屋に入り浸っている。酒を飲み見知らぬ人と歓談し、そしてまたグラスを傾ける。そこは彼にとって息抜きの場であると同時に曲想を得る場所でもある。高田が死に、その直後、妙にタカダワタル的雰囲気を持った「いせや」も老朽化で取り壊しになる。名もなき人々の人生が交差する歌と店がなくなる、ひとつの時代の終焉。かつてそこにあったモノや人を記録にとどめておくことがこの映画の使命なのだ。

福本次郎

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