◆堕落の果てにある快感を体現するような仲里依紗の弾けぶりに圧倒される。悪を象徴するにふさわしい洗練された様式美に統一され、熱狂と息苦しさを見事に表現するゼブラクィーンが熱唱するシーンだけでも一見の価値がある。(50点)
スプレーしたシャドウで射るようなまなざしを強調し、漆黒のボンテージ衣装を身にまとって挑発するように腰をくねらせる。マイクを握ったヒロインの邪悪を超えた冷酷さと淫靡を伴った艶めかしい美しさがMTV調の映像に炸裂する。堕落の果てにある快感を体現する仲里依紗の弾けぶりが見る者を圧倒する。モノトーンのステージは、悪を象徴するにふさわしい洗練された様式美に統一され、映画の持つ熱狂と息苦しさという独特の雰囲気を見事に表現する。このゼブラクィーンが歌うシーンだけでも一見の価値があった。
2025年、ゼブラシティとなった東京と周辺都市部は、相川知事のもと強権政治で弱者が抑圧されていた。ある日、ゼブラタイムという無差別殺戮容認時間帯の犠牲になった新市は看護師に救われるが記憶を失っており、すみれという少女に触れて自分がゼブラーマンだった過去を思い出す。
新市は相川の実験で悪を抜き取られたゼブラーマンの残りカスゆえ、ゼブラーマンに変身しても全身は白い。一方のゼブラクィーンことユイは抽出された純粋な悪で構成されていて、変身しても真っ黒。だが、鮮やかな見かけの対比ほど厳密な善悪の定義を行わず、そのユルさが単純な勧善懲悪モノや悩めるスーパーヒローモノといった手あかのついた展開とは一線を画している。さらにすみれに寄生したエイリアンがCGで合成された緑色の風船のような安っぽさで脱力感を誘う。
単独ではエイリアンを倒せないと悟った白ゼブラと黒ゼブラが合体して立ち向かうのだが、そこでも敷布団に枕が二つという古臭すぎるセンスのギャグを使うなど、脚本が肩の力の抜きどころを心得ていて笑いを誘う。大上段に構えて語るほどのストーリーではない、それでもなんかヘンなもの、けったいなものを見せられたと印象に残る、テレビでは味わえないような映画体験をさせてくれる作品だった。
(福本次郎)