◆「実話に基づく究極の恐怖」という惹句がむなしく響く(40点)
クリスティン(リヴ・タイラー)とジェームズ(スコット・スピードマン)のカップルは、真夜中に別荘に到着した。甘いムードになりかけたとき、何者かが玄関のドアをノックする。それを皮切りに不可解な出来事が次々と起き、ついに別荘はストレンジャーズ(訪問者)に包囲されてしまう……。
何気ない日常のなかで、突如、理不尽な犯罪に巻き込まれる。暴力大国アメリカの風土が生み出したバイオレンス・スリラー。と言いたいところだが、突発的な無差別殺人が頻発する日本においても、「対岸の火事」と傍観できない作品である。
被害者にとってもっとも恐ろしいのは、犯人の素性や犯行動機が見えないことだ。犯人が知人なのかそうでないのか、犯行目的が怨恨なのか強盗なのか……。多少でも手がかりがあれば、危険回避策の立てようもあるが、素性や犯行動機が見えないと、手の打ちようがない(犯人をなだめすかすこともできない)。つまり、それだけ被害者の危険リスクが高まるということだ。
本作と類似点をもつ"不条理犯罪映画"には、ミヒャエル・ハネケ監督の「ファニーゲーム」があるが、残念ながら、本作「ストレンジャーズ」は、リアリティという点において「ファニーゲーム」の足下にも及ばない。それは「ファニーゲーム」の犯人が、<無差別に人をいたぶりたい>という理不尽ながらも明確な犯行動機を示しているのに対し、「ストレンジャーズ」では、犯人にまつわる感情のいっさいが伏せられているからだ。
もちろん、被害者の立場からすれば、犯人が何を考えているのか分からない状況というのは十分にありうる。とはいえ、(責任能力がある限り)どんな犯人でも必ずもっている犯行動機を映画の描写として完全に無視するのは、あまり褒められたやり方ではないだろう。
おそらく観客と被害者の視点を同化させようという狙いなのだろうが、よしんばそうなら、犯人の素性や犯行動機を伏せたラクな設定に便乗して、思わせぶりな恐怖シーンを連発するのはいかがなものかと思う。「犯人の正体を隠す=何でもアリ」ではなかろうに。
序盤、主人公が徐々に追いつめられていく展開はスリルにあふれるが、伏線と思われしきエピソードのほとんどが、いつまでたっても回収されないため、何か隠されているハズ……と期待を寄せる観客は、少なからず肩すかしを食らうはめになる。しかも、観客の脈拍を一気にはね上がらせる「ジェームズのある勘違いシーン」以降は、淡白な襲撃がくり返され、スリルは減衰の一途をたどる。
「忍び寄る影」的な演出で延々と引っ張り続け、被害者と観客をいいようにふり回した挙げ句、ご都合主義的なスリラーは切れ味鈍く幕を下ろす(さも意味ありげに……)。素足であっちこっち逃げ回ったリヴ・タイラーにはお気の毒だが、本作「ストレンジャーズ」は、「実話に基づく究極の恐怖」という惹句がむなしく響く1本だ。
(山口拓朗)