人は一人で生きているのではないことを学ぶ(50点)
鎖骨は浮き、頬はこけ、腰回りは枯れ木のごとく痩せこけていても、
落ちくぼんだ眼窩から発せられる鋭い光が燃え盛る命の炎を象徴する。
ストーブに囲まれたフロアの上で減量着を着こみ、練習後は倉庫に自
分を閉じ込めて水への誘惑を断つ。そんな、ボクシングにおける厳し
い減量をリアルに再現した伊勢谷友介の気迫は見事。
すでに贅肉など
どこになく、まるで水分はもとより骨まで削ったかのような肉体は美
しさを通り越して死相すら漂わせていた。
ドヤ街に流れてきたジョーは段平に素質を見出されるが、大喧嘩で少
年院に収容される。そこで力石に軽くいなされ、ボクシングの練習を
始める。そして力石と試合、勝敗はつかないまま力石はジムに戻る。
「オレはどこにいたって自由」と少年院で言い放つジョーは典型的な
風来坊で、孤独を愛し誰にも心を許さない。ボクサーを志願するまで
は親が悪い世間が悪いとひねくれていたのに、本気で打ち込めるもの、
気にかけてくれる人々、乗り越えるべきライバル、それらから人は一
人で生きているのではないことを学ぶ。
やがて力石との宿命の対決、無防備にパンチを打ち合って、生まれて
初めて理解しあえる友と出会えたと思った瞬間に、その友を無くして
しまうという運命の皮肉。拳を交えることでしかコミュニケーション
を取れないジョーの不器用な生き方は、ニヒルな切なさと研ぎ澄まさ
れた孤高を兼ね備えていた。
(福本次郎)