◆恋愛に振り回される青年の500日を描く、記憶と空想に閉じ込められた物語。ズーイー・デシャネルの瞳の色が魅力的(84点)
「テラビシアにかける橋」(2007)で、ズーイー・デシャネルを見たとき、何と綺麗な瞳の色かと驚いた。それほど綺麗な瞳は、それまで見たことがなかった。以来、デシャネルは私にとっては特別な女優となった。
本作は、その瞳の色に500日間振り回される男性の話だ。グリーティング・カードを制作する会社で働くトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、社長秘書として入社したサマー(ズーイー・デシャネル)に一目惚れする。トムは運命の恋を夢見るが、サマーは愛を信じないという。トムとサマーは友達になり、さらにキスをしたり、セックスをしたり、喧嘩をしたり。それでも、愛を信じないというサマー。500日間に渡って、ほとんどトムとサマーの恋愛だけが描かれる。それだけの話なのだが、実に新鮮で、切ない物語になっている。
「これは恋愛映画ではない」と冒頭にナレーションが入るが、ほぼ恋愛しか描かれない100%の恋愛映画だ。しかし「(500)日」とタイトルにカッコがついている通り、これはトムの記憶と空想に閉じ込められた物語でもある。つまり、完全にトムの目線だけで描かれている。500日の時間の流れはランダムに、自在に前後して描かれる。画面を2分割して「理想」と「現実」を同時に描く場面もある。トムの幸福感を表現するため、アニメーションの青い鳥も登場する。記憶と妄想が入り混じっているのだが、「記憶」というのはそういうものだろう。徹底的に男目線の映画だからこそ、デシャネルがひたすら魅力的で、それでいて、何を考えているのか、男性の観客としてはよく分からない。トムと一緒に振り回されてしまう。男の子にとって、女の子はいつも謎の存在だ。それがとてもリアルに描かれている。
本作では、音楽と映画が重要な意味を持っている。2人が仲良くなるきっかけが、ザ・スミスで、違和感を持つきっかけが、ビートルズにおけるリンゴ・スターの位置付けだ。2人で映画「卒業」(1967)を見て、駆け落ちしたダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスがだんだん厳しい表情になっていく場面で、サマーは涙を流す。2人はその後、シド&ナンシーについて口論する。音楽と映画とにどっぷりと浸かって育ってきた世代には、ひとつ一つがよく分かるだろう。恋愛の記憶においても、音楽や映画は感情と分かちがたく結び付いているのだ。
劇中に「卒業」が使われている通り、本作にはアメリカン・ニューシネマのほろ苦さが濃厚に漂っている。それは夢が現実に押しつぶされる体験だ。「リアリティ・バイツ」(1993)である。そういえば「卒業」も、様々な音楽に彩られていた。
ただ、2009年製作の本作は、アメリカン・ニューシネマの結末の後に、00年代らしい希望のラストも描いている。恋愛に振り回される人生のサマー(夏)が終わる時、自ら愛を育んでいくオータム(秋)の始まる予感が、示されるのだ。
(小梶勝男)