◆声を失った柴咲コウが田舎で料理店を開き、周囲を癒していく物語。「食べることの意味」がテーマだが、それがドラマとして物語を引っ張っていかない(66点)
頭に浮かんだのは、「ロハス」や「エコロジー」という言葉だった。今の一種の「時代の気分」であって、だからこそ原作もベストセラーになったのだろう。しかし、真っ向から「癒やし」を描かれると、見ていてどうにも居心地が悪い。映画の中で登場人物たちが癒やされるほどには、観客は癒やされない。
外国人の恋人に騙されたショックで声を失った倫子(柴咲コウ)は、母・ルリコ(余貴美子)が住む田舎へ戻り、小さな食堂を始める。メニューもなく、客は1日1組だけ。倫子の料理は食べる人びとを癒やし、幸せにしていく。そんなとき、ルリコが末期ガンであることが分かる。
声の出ない障害、料理での癒やし、母の病。昨今の様々な映画で描かれたテーマを取り入れ、人気女優の柴咲コウと、実力派の余貴美子を主役に据えている。脇役に三浦友和や満島ひかり、江波杏子らを配しているのも、実にバランスがいいというか、つぼを押さえている。画面を写真のコラージュで飾る演出も悪くないし、癒しの物語の中に、田舎の友達の残酷な裏切りも描き、可愛がっていた豚を食材に使うなど、「食べる」ことの意味も問うている。これらの要素は悪くない。面白くならないわけがない、とも思う。実際、退屈したり、つまらないと思ったりしたわけではない。だが、何故か今ひとつ、すべてが心に響いてこない。いろんなものを一通り並べただけ、のような印象なのだ。
例えば、飼っている豚を食材にするという下りは、「ブタがいた教室」(2008)を連想させるが、あの映画で描かれていたような葛藤は、本作では描かれない。ただ、余貴美子が演じる母親が、自分がガンであることを知り、それまで可愛がっていたブタを突然、「食べる」と言い出すという、それだけなのだ。ブタを食べるという行為や意味は提示されるが、それが提示されるだけでドラマになっていかない。柴咲コウが料理を作る意味も、それが癒しとなっていく意味も、母との衝突も和解も、観客に提示はされるが、ドラマとして物語を引っ張っていかないのである。
正直、私はどうもこの手の「癒やし」がテーマの作品は苦手なのだが、こういう映画が好きな人はいるだろうと思う。言葉を発しない柴咲コウはなかなか良かった。富永まい監督は、「ウール100%」でサンダンスNHK国際映像作家賞を受賞した若手だが、様々なCMやアニメーションを手がけているだけあって、映像にはセンスを感じた。絵が奇麗なのである。
(小梶勝男)