長江哀歌(エレジー) - 福本次郎

◆登場人物が失った愛を取り戻そうとする過程で、過去には戻るには遅すぎることを知り、新たな未来に踏み出してく。しかしその語り口は恐ろしく緩慢で、時間の尺度が一桁違うかのよう。この程度のエピソードはアイデア不足だ。(50点)

ネタバレ注意! この批評は結末に触れています。

 悠久の昔から水を湛える大河と、開発によって失われていく景観。人間の心もまた変わらぬ部分と変わる部分を併せ持ち、あるものは不在時間の長さゆえに、あるものは空間的な距離ゆえに気持ちが移る。2人の登場人物が失った愛を取り戻そうとする過程で、もはや過去には戻るには遅すぎることを知り、新たな未来に踏み出してく。しかし、その語り口は恐ろしく緩慢で、人生における時間の尺度が一桁違うかのよう。物語を詰め込む必要はないが、2時間弱の映画でこの程度のエピソードしか描かないのはアイデア不足だ。環境映像ではないのだから、もう少し内容を煮詰めるべきだろう。

 山西省から長江ほとりの街にやってきたサンミンは16年ぶりに妻子に会おうとするが、家はすでにダム工事のために水没していた。夫を探して同じ村にやってきたホンは夫の浮気を知って離婚を決意する。

 変わらぬように見える大河も、実はそこに流れる水は常に入れ替わっている。肉体労働者であるサンミンと中産階級のホンは山西省から来たという以外に接点がないのは、労働の質が変わらないサンミンと常に時代の流れに追いついていかなければならないホンという、社会的階級の差が歴然と横たわるから。過去からの変わらぬ風景をサンミンが、未来へ移り行く光景をホンが代弁する。

 経済的発展ばかりがクローズアップされる現代中国だが、実はサンミンのような労働者階級が古来より人口の圧倒的多数を占めており、彼らの流す汗が底辺から社会を支えている。質素な食事と粗末な宿、それでも携帯電話は持っている。そんな外国人が余り目のすることのないアンバランスな中国の実態を三峡ダムという大工事を背景にスケッチするのだが、舞台と対象の距離感がイマイチつかみにくい作品だった。やはりサンミンとホンの間に何らかの関わりを持たせなければ、映画に対する期待を裏切ることになる。

福本次郎

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