臨場 劇場版 - 小梶勝男

テレビドラマの映画化。物語はスケールアップしたものの、テレビ的な演出がそのまま引き継がれていて、映画としては密度が薄い。(点数 65点)


(C) 2012 「臨場 劇場版」製作委員会

 テレビドラマの映画化は難しい。原作が小説や漫画ならば、文字や絵を実写化するので、そこにアレンジの余地がある。しかし、テレビドラマは最初から映像だ。そもそもテレビドラマの好評を受け、ドラマのファンを当て込んで映画化するわけだから、そんなに大胆にアレンジするわけにはいかない。同じ設定、同じ役者、同じスタッフで作った場合、映画化に際して向かう方向は、時間的、空間的なスケールアップしかない。

 本作も、その方向性に進んでいる。検視官を主人公にしたテレビ朝日系列の人気ドラマの映画化だ。主役の検視官・倉石を演じる内野聖陽をはじめ、松下由樹、渡辺大、高嶋政伸ら、主要なキャストはテレビと同じ。監督も、テレビ版を演出した橋本一である。

 東京・吉祥寺で無差別通り魔事件が起こる。刃物をふるう犯人(柄本佑)に4人が殺されたが、犯人は心神喪失と判断され、無罪になる。それから2年後、精神科医と弁護士が殺される事件が起きる。検視官・倉石(内野)は、変死体の状況から、二つの事件に関連性があると見る。精神科医と弁護士は、二人とも通り魔事件に関わっていた。

 テレビドラマと映画との違いは何だろうか。予算や時間のかけ方、画面の大きさなど、いろいろあるだろうが、映画はテレビで見ても映画だし、テレビドラマは映画館で見てもテレビドラマなのである。どうも私は、作品と観客との関係性に、最も大きな違いがあるような気がしてならない。

 例外はあるとしても、一般的には、映画は2時間ほどの間、観客はスクリーンに集中し、その世界に入り込むことを前提に作られている。だから、悲しい場面は悲しんでいる人物の背中を映すだけで、観客にはその人物が悲しんでいることが十分に伝わる。それ以上に、その人物が「悲しい~」などと叫んだりすると、意味が強調されすぎて、居心地が悪くなる。感情を押し付けられるような気がしてしまう。

 一方、テレビは、コマーシャルによって感情の流れが分断されるし、視聴者はテレビ画面に集中しているとは限らない。食事をしながら見ているかも知れないし、家事をしながら見ているかも知れない。作り手は視聴者を映画の観客のように信用してはいない。だから、悲しい場面では、悲しむ人物が泣く様子を正面から撮って、さらに「悲しい~」と叫ばせる。そうしないと、意味が伝わらない。

 あまりに極端な例ではあるが、演出の方法の違いとして、分かりやすく言うとそうなる。そこでテレビドラマの映画化だが、テレビと同じ演出をされると、余りに説明的過ぎて、観客は実に居心地が悪い。だからといって、テレビドラマとほぼ同じキャスト、スタッフで、テレビと違う演出をしろと言っても無理だし、違う演出をしたとすれば、それはそれでテレビドラマのファンは違和感を覚えるだろう。

 橋本一監督は「探偵はBARにいる」で、かつての東映セントラルフィルムのような、テンポのいい演出を見せたが、今回はオーソドックスにテレビの方法論に従っている。映画なので、スケールはアップしている。だが、スケールアップしたからといって、必ずしも面白くなるとは限らない。

 スケールアップしたために、物語は複雑になっている。通り魔殺人と、冤罪事件が交錯するのだが、クライマックスでそれらが一つになっていくのが、余りに偶然の要素が大きすぎて、素直に納得できない。また、テレビの演出をそのまま踏襲しているため、最後は登場人物が延々とセリフで動機を話すという展開になる。その間、映像は止まっている。死んでしまっている。テレビではあまり気にならないそういうところが、映画ではとても気になる。

 また、テレビドラマを見たことがない人には、主人公の検視官・倉石の作りこんだわざとらしいキャラクターや、警察官が登場するたびにスローモーションになって大げさな音楽がかかる演出に、ついていけないかも知れない。

 最近では、テレビドラマの映画化でなんとか成功したと言えるのは、「外事警察 その男に騙されるな」くらいだろう。これはNHKのドラマで、元々、テレビドラマ的な演出がされていなかった。

 もちろん、「臨場 劇場版」をテレビの拡大版と思えば、そんなに悪くはない。本作よりつまらない映画はたくさんある。それ以上を期待してしまったのは、「探偵はBARにいる」が余りに面白かったからだろう。

小梶勝男

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