空気人形 - 山口拓朗

◆単純化できない愛の本質に迫ろうとしているかのようだ(85点)

 「歩いても 歩いても」(2008年)で人間のリアルな心情を描いた是枝監督が、まったく異なるアプローチで再び傑作を作り上げた。

 心をもった空気人形が恋をする――。本作「空気人形」のあらすじは、そんな一文で語れてしまう。ところが、このシンプルな寓話を通じて、気鋭の是枝監督は、哲学的な問いを無数に投げかける。心とは? 人の生き死にとは? 老いとは? 愛とは? 幸せとは? まっさらな心で生まれてきた空気人形の姿を借りたがゆえにできた哲学的な掘り下げ。一度客席に腰を沈めたが最後、観客は是枝監督が誘う禅問答への参加を免れない。

 心をもった空気人形は、この世界であらゆるものを見聞きし、感じ取る。たとえば彼女は自分が「代用品」であることに傷つくが、一方では、愛する人との触れ合いという至福も知る。喜びもあれば哀しみもある。それは人生そのものである。

 ところが世の中には、喜びを見いだせずに苦しんでいる人間がゴマンといる。この物語に登場する、寂しさや虚しさを抱える人々がそうだ。「心をもった空気人形」と、都会の社会病理の巣のなかで「心をなくした人間たち」。そのコントラストが浮かび上がらせるものが、この作品の"芯"である。

 純粋なラブストーリーとしても十分に成立している。空気人形が、好意を抱いた相手から「あること」をしてもらうシーンの、なんと甘美で、なんと官能的なことよ。空気人形のSEXともいうべきこのシーンは、空気人形が抱く複雑な感情と相まって、観客に圧倒的なインパクトを残す。

 もちろん、ラブストーリーの一歩先に、さまざまな形而上的示唆をちりばめているところに、この作品の絶対的な価値がある。クライマックスにはショッキングなシーンも待ち受けているが、それさえも、ブラックユーモア風の形態を借りながら、単純化できない愛の本質に迫ろうとしているかのようだ。

 感情に寄り添う音楽と、才気みなぎる美しいカメラワーク。そして、空気人形を演じたペ・ドゥナの名演。作家色を強く打ち出しながらも、決して自己憐憫に浸らない是枝監督の優れた平衡感覚……。そうしたいくつもの奇跡的な仕事ぶりが、この奇抜な寓話に深みと真実味を与えている。

 希望というよりは、せつなさばかりを置き去りにしたようなラストも、この映画にはふさわしい。その一方で、オダギリジョー扮する人形師の「君が見た世界は……綺麗なものもあった?」という質問に対する空気人形の答え。そこに、都会で生きるすべての人間に対する希望を残している。

山口拓朗

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