◆見る者の死生観を揺さぶる良作(70点)
お見舞いに行ったときなどに、私たちは何の気なしに「病気に負けるな」なんてことを口にする。さしたるためらいも疑問もなくそれが言えるのは、病気と戦うことが絶対的な善であり、戦えば必ず勝てると信じているからだ。だが、肉親の健康を犠牲にしなければ、病気と戦えないのだとしたら? そうまでして戦ってもなお、病気に打ち勝てないのだとしたら?
『私の中のあなた』は、米国のベストセラー小説を『きみに読む物語』(05)のニック・カサヴェテスが脚色・監督した作品だ。難病ものには違いないが、単に「泣ける」ことを売りにしたお涙ちょうだい映画に堕すことなく、終末医療のあり方に鋭い問題提起を投げかける良作に仕上がっている。
主人公のアナ(アビゲイル・ブレスリン)は、白血病の姉ケイトを救うために意図的に“創られた”子供だ。最適のドナーになるよう遺伝子操作されたアナは、出生直後の臍帯血に始まって、骨髄やら何やらを次々と提供させられてきた。だが11歳となったある日、アナはケイトへの腎臓の提供を拒み、自ら弁護士を雇って両親を訴える……。
アナが訴訟を起こした動機が単なる「我が身かわいさ」でないことは、物語が始まってすぐにわかる。長男ジェシーを含めた家族5人が、ケイトの病気に振り回されながらも、互いに励まし合い、いたわり合う姿が丁寧に描かれているからだ。それではどうしてアナは、あえて姉を死に追いやるような行動に出たのか。それこそが、この感動の物語を貫く大きな柱だ。最後の法廷シーンでその真相が明かされるとき、観る者は姉妹の深い愛情に打たれるだろう。そして「病気と戦う」ということの意味を、あるいは「病気に負ける」という言葉に潜む欺瞞を、改めて問い直すだろう。
どんな手を使っても長女を死なせまいとするいささかエキセントリックな母親サラ(キャメロン・ディアス)と、残り少ない日々をできるだけ楽しく過ごさせようとする父親ブライアン(ジェイソン・パトリック)との対比が鮮明。娘の生をまっとうさせたいという思いは同じでも、方法論はひとつではないのだ。私たちは両者に少しずつ共感しながら、我知らず自らの死生観を探ることになる。
キャリアで初の母親役に挑んだディアスは、抜け毛を気にして引きこもったケイトを叱咤するシーンで、自らの髪をバリカンで剃る女優魂を見せつけた。一方、ケイトが初デートに出かけるシーンでは、カツラを買い与える女親ならではの心遣いも。こんな時の男親は無力なものだ。すっかり見違えたケイトに、アナやサラは自分がデートに出かけるように大はしゃぎするが、ブライアンはひとり部屋の隅で成長した娘を見やるばかり。そんな父親に、ケイトはちゃんと感謝の言葉をかけてから出かけていくんですね。日頃娘に冷たくされているお父さん族にとっては、この作品、別の意味で「泣ける」かもしれない。
ほとんど無償でアナの弁護を引き受ける弁護士(アレック・ボールドウィン)、ケイトの死期を悟りつつ真摯に治療に当たる医師(デヴィッド・ソーントン)、若くして死んだ娘を持つ判事(ジョーン・キューザック)といった脇役たちも、それぞれに忘れがたい印象を残す。とりわけ天性のコメディエンヌぶりを封印し、厳格だが人間味のある女性判事を演じたキューザックが素晴らしい。物語の前半、「娘さんのこと、お気の毒に」と同情を示すアナに対し、判事は「いいのよ、死は恥ずべきことじゃない」と答えている。それはおそらく、本作の作り手が観客に最も伝えたかったメッセージのひとつだろう。そう、病に倒れることは「負ける」ことではない。生の延長上にあるものを、尊厳を持って受け入れることなのだ。
(町田敦夫)