牛の鈴音 - 福本次郎

◆やせ衰え骨が浮き出た尻とあばら、おぼつかない足取りでしか歩けない老牛。一切の機械と農薬を使用せず、人力と牛だけで田畑を耕す頑固な老人。とぼとぼと進むしか能がない人間と牛との絆を通じて、生きることの意味を問う。(60点)

ネタバレ注意! この批評は結末に触れています。

 やせ衰え骨が浮き出た尻とあばら、もはやおぼつかない足取りでしか歩けなくなった老牛を使役し続ける老人。彼らの時間は恐ろしくゆっくりと流れ、効率というものをまったく考慮に入れていない。21世紀にもなって、一切の機械と農薬を使用せず、人力と牛だけで田畑を耕す頑固な老人と、彼と同じくとぼとぼと前に進むしか能がない牛との絆を通じて、生きることの意味を問う。完全に時代からは取り残されている、しかし、そこには経済至上主義では測れない、素朴であるが精神的に満ち足りた人生がある。

 79歳になるチェじいさんは40年近く飼ってきた老牛の代わりに若い雌牛を買うが、若い牛は妊娠している上にあまり働かない。相変わらず老牛に荷車や犂を引かせる一方、じいさんは自分で刈った草や細かく切った藁を食べさせて世話をする。そんな時じいさんの体に異変が起きる。

 チェじいさん本人は意識していないだろうが、あらゆる人工物を排除するやり方は、究極のオーガニック農法。農薬を散布し、耕運機を使う隣家の田畑と好対照をなす。そんなじいさんの重労働に付き合わされる妻の小言が絶えないが、じいさんは耳を貸さない。また、じいさんは牛に名前を付けて呼んだりせず、変に擬人化していないところがよい。じいさんはただえさをやり働かせる、モノ言えぬ老牛は首に付けられた鈴の音だけで自らの存在を訴える。その人間と牛の距離感が、湿っぽくなくて心地よい。

 じいさんの健康はますます悪化し、コメの収穫も満足にできない。それでも子供たちに老牛を売れと言われて牛市場に行くが、「この牛はチェじいさんが背負った業のようなもの」といわれ結局最期まで面倒をみる決心を固める。やがて動けなくなった老牛が、死期を悟ったのか目から大粒の濁った涙を流す。牛に飼い主に対する感謝の気持ちなどないとわかっていても、思わずじいさんと老牛の心がつながったのではないかと思わせるシーンだった。牛を一緒に働く相棒のように扱うじいさんの態度がブレず、最後まで己のやり方を通す姿がすがすがしかった。

福本次郎

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