◆通俗に徹することで通俗を超えた堂々たる作品。JAL再編問題に直面している今、本作を作る意味も、見る意味も十分にあるだろう(83点)
「通俗的」というと、悪いことのように思えるが、広辞苑では1番目の意味に、「一般向きであること。誰にも分かりやすいこと」とある。本来、一般向きで分かりやすいことが悪い筈はない。
映画のレビューにおいては、2番目の意味「高尚でないこと。興味本位であること」で使われることが多いのだろう。しかし、我々は高尚な映画を求めているわけではないし、興味本位でも面白ければいいのではないだろうか。
文庫本で全5巻にも及ぶ山崎豊子の原作を映画化した本作は、多くの登場人物が出てくるにもかかわらず、実に分かりやすい。通俗的であるが、決して手を抜かずに通俗に撤することで、堂々たる、立派な作品となっている。
舞台は昭和30年代。JALを思わせる「国民航空」の社員・恩地元(渡辺謙)は、労働組合の委員長として経営陣と対立する。会社側の報復として待っていたのは、僻地から僻地へ、10年に及ぶ海外勤務だった。かつて一緒に組合で闘った仲間たちは冷遇され、副委員長だった行天(三浦友和)だけは仲間を裏切ることで出世していた。やっと本社へ戻った恩地だったが、御巣鷹山へのジャンボ機墜落事故が起き、恩地は遺族との交渉係を命じられる。
とにかく描写が分かりやすい。航空機事故の被害者の遺族は、遺体の安置所で手帖に書かれた最後の言葉を見つけると、それを朗読する。わざわざ朗読するのは変なのだが、カメラは柩を手前に泣きながら朗読する遺族の姿を延々と捉える。遺族たちの心情はセリフできちんと表現され、夫が死んでアル中となった妻は、恩地の前でも酒(ウイスキー?)の瓶を横にコップから手を離さない。
恩地の心情の表現も、ベタなくらいにストレートだ。アフリカで絶望すると目を血走らせ、叫びながら部屋の中で発砲するし、日本に残された家族は手紙で自分たちの苦境を直接的に表現する。説明過剰といえば説明過剰だろう。こうした過剰さは映画をつまらなくすることが多いのだが、本作の場合は意外にも、そこが良かった。説明をすることで、大部な原作の様々な話が巧みに整理されていて、どの部分も疑問を残さないのである。
説明過剰でも映画がつまらなくならないのは、ひとつ一つの場面を時間も手間もかけて、丁寧に撮っているからだろう。海外ロケのリアリティー、恩地が象を撃ち、象が倒れる場面の迫力、無数に並ぶ御巣鷹山の犠牲者の遺体を入れた棺。映像もまたストレートに、見せ場をきちんと見せる。迷いのない通俗性は、通俗を貫くことによって通俗を超え、ある種の品格に至ったのではないだろうか。
前半、主人公が僻地から僻地へと異動を命じられる場面は、会社勤めの長い人なら誰でも共感できるだろう。所詮、勤め人は会社に逆らうわけにはいかず、どんな理不尽な命令にも従うしかない。よほどに才能のある人はともかく、凡人は仕事を失うと、生活まで失いかねない。我慢するしかないのだろう。私も含め、誰にでもそんな思いはあるはずだ。劇場にも中年以上の人が多く、同じ思いを共有していたと思う。
主人公だけではない。左遷され続ける夫を支える妻(鈴木京香)や子供たち(柏原崇、戸田恵梨香)、出世のため悪事に手を染めていく行天(三浦友和)、その愛人の客室乗務員(松雪泰子)、かつて恩地と労組で戦ったため冷遇される同僚(香川照之)、航空機事故の遺族ら、様々な登場人物の心情が、どの部分も共感できるよう、丁寧に描かれている。冷遇された末、悪事に手を染める香川照之の役が良かった。決して自分を曲げない恩地のような立派な役ばかりだと、映画は堅苦しくて生き生きとしてこない。誰もが恩地のように振舞えるわけではない。脇役ではあるが、香川の役は印象的で光っていたと思う。
途中で休憩が入るほどの、3時間22分に及ぶ上映時間を、少しも長く感じなかった。恩地だけに焦点を絞って、もっと短くまとめることも出来たかも知れない。だが、小説を丸ごと映画化することで、群像劇としての面白さも味わえた。
後半は、国民航空立て直しのため外部から会長職に就いた国見(石坂浩二)の改革と、それを阻む旧経営陣の戦いの中で、国民航空と政府、役人、マスコミとの癒着の構造が示されていく。私もかつてある事故に関してほんの数日だがJALを取材したことがある。そのとき感じたJALへの疑問を、本作はうまくフィクションとして表現している。もちろん、本作で描かれた国民航空の姿は現実のJALそのものではない。何度も書くようだが、あくまでフィクションだ。だが、政府との関係など、問題の大枠はそれほど大きく間違っていないのではないか。
JALの社員や事故の遺族の方々が、この映画を見てどう思うかは気になるところだ。しかし、JAL再建問題に直面している今、本作を作る意味も、見る意味も十分にあると思う。
渡辺謙のスケールの大きな演技が作品をがっしりと支えていた。存在感が素晴らしい。このような大作には相応しいスターだと思う。
通俗に徹して通俗を超えたという意味で、本作は木村大作監督の「劔岳 点の記」と双璧だろう。どちらも製作の困難さをものともせず、愚直といえるほど真摯に映画作りに向き合った作品だと思う。
(小梶勝男)