◆この壮絶な物語は感動の嵐を呼ぶ(90点)
1人の女が枯野原の丘を肩落としながら登って来る。彼女は歩みを止めず、一瞬うしろを振り向く。くたびれた表情を浮かべる彼女は、ある地点でおもむろに体を揺さぶり始める。そしてその動きは徐々に大きくなりダンスになる。彼女の体全体を映していたカメラは彼女の顔にズームインする。その表情は笑っているのか、泣いているのか。ルンバ調の奇妙なリズムのサウンドトラックがドラマチックにわたしたちに語りかける。これは韓国人映画監督ポン・ジュノ最新作『母なる証明(英題:MOTHER)』の完璧なるオープニングだ。鳥肌が立った。一体彼女が振り向いた先には何があったのだろう。
前で述べた女性は漢方薬店で働き、大人になっても子供の様に無垢な息子トジュン(ウォンビン)を養う母親(キム・ヘジャ)。母親無しでは現実的に生活が出来ない息子と、息子が生きていく支えである母親。2人は貧しいながらも慎ましく毎日を送っていた。ところが、ある日町では女子高生惨殺事件が起き、平穏な町は騒然と化す。恐ろしい事が起こったというよりは、エキサイティングな事が起こったという受け止め方をする町の住人達。そんな中、なんとその事件の容疑者としてトジュンが拘束されてしまう。
殺された少女の名はアジョン。普通なら犯人は遺体を隠すはずだが、彼女の遺体はある建物の屋上に見せ物の様に遺棄されていた。彼女を殺害していないのは分かっているが、うまく説明出来ないトジュン。無実の息子が犯罪者扱いされてしまう事や、ずっと一緒だった息子への喪失感により母親は気が気ではない。警察も弁護士も真面目に取り合ってくれない状況に憔悴し、彼女はとうとう自ら捜査を始める。その中で、彼女はアジョンが殺害された晩にトジュンが会うはずで、結局会えなかった彼の親友(悪友)ジンテ(チン・グ)をまず疑う。それに対し怒りを露にするジンテだが彼は彼女に告げる、「まず、アジョンの周辺を調べろ」「誰も信じるな、自分で犯人を捜せ」と。
ポン・ジュノの長編映画第4作目となる本作では善と悪の狭間で葛藤する母親を描く。キム・ヘジャ扮する母親の名前はヘジャ。彼女は何も特別な母親ではない。彼女は子供の事を想う普通の母。しかし、どこの母親も他人から見ると、自分の母と比べるため、少々奇妙な母親に見えてしまう。そういう奇妙さも含め、脚本も手掛けたポン・ジュノは、本作で普遍的な母親像を作り出そうしている。ヘジャはわたしの母でもあり、あなたの母でもあるのだろう。母親の愛は海の様に深く、自分が体を痛めて産んだ子には精一杯の事をしたい。だからこそ、この映画の主人公である母親は自分の息子への強い愛情から、彼を守る為に思いも寄らない行動に出てしまう。
しかしながら、この仲睦まじいヘジャとトジュンの間にはある秘密が隠されている。母親にとっては忘れたかった記憶、息子にとっては忘れてしまっていた記憶が再び蘇るとき、この物語が単に母親が息子の無実を晴らそうと奔走する物語ではない事にわたしたちは気付くだろう。
本作を特別な物語にしているのはやはり、本作で母親に扮し、人間の光と闇を圧倒的な演技で見せる韓国のテレビスターのキム・ヘジャ。母国で「韓国の母」の異名を持つ彼女はまるで『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ボルベール<帰郷>』等のペドロ・アルモドバルの映画の主人公であるかの様にスクリーンを支配する。彼女の迫真の演技は、今年公開された映画のどんな主演女優よりもわたしたちの心に深くその印象を残すに違いない。
『殺人の追憶』や『グエムルー漢江の怪物ー』等、韓国の若い才能ポン・ジュノの作品には恐ろしい物語だがユーモアに溢れ、少女が犠牲になるという一貫性がある。本作でも彼のその必要不可欠な要素は貫かれ、尚かつ人間の深層心理を抉るミステリーの巨匠ヒッチコック、むきだしの人間の痛みを描き出すアルモドバル風の演出も兼ね備えている。その壮絶な物語はまるでオペラであると言っても過言ではないだろう。ポン・ジュノは世界に通ずる多才な映画監督だ。
うれしいときに泣いたり、悲しいときに笑ったり、人間には謎が多い。主人公ヘジャは資格はないが、彼女に助けを求めて来る人々に店で隠れてお灸を提供している。大事な入れ物に入れられた針は実は彼女自身も救ってくれていて、泣きたいときには内太腿に針を打ち、そうする事で無理矢理悲しみが消えてしまう様に感じていた。彼女を見ていると、母親の姿というより、人間そのものを見ている気持ちになってくる。絶句してしまう衝撃のラストと共に極限状態にある人間の姿を描き出す本作は、ポン・ジュノの最高傑作であり、来年のアカデミー賞外国語映画賞へのノミネート有力候補に違いない。
(岡本太陽)