朝日のあたる家 - 青森 学

原発事故の恐怖を描きつつ、反原発を唱える人たちの心理が俯瞰出来る作品(点数 75点)


(C)「朝日のあたる家」事務局

この映画は山本太郎が出演していることからも分かるように“反原発”色を濃厚に打ち出した作品である。
反原発色濃厚なのは良いが権力の側に立つ者は誰も信じられないという被害者意識も濃厚に残しており陰謀論じみている。

どこかで生み出される疑念に歯止めを掛けないとユダヤ人が世界を影で支配しているとかイルミナティは実在するとか虚実ない交ぜになった情報をコロッと信じてしまう人が居る。
ただ、それをふまえても責任を負う者たちの主張に齟齬があれば正確な情報を発信していないのではないのかと疑うのもしごく当然なのかもしれない。

劇中で政府高官が原発事故に大きな被害は無いと声明を発表するのだが、空疎に響くその言葉はまるで大本営発表のようである。
日本は昔から言霊の国だった。それが今でも変わりがないことを思い知らされた。

原発の安全性を担保するのは推進派の言う言葉だけである。
もはや空手形になってしまっているこの安全神話は神話であるように原発は安全という願望が主成分の信仰である。
日本人が核技術の保持に拘るのは日本の威信に関わっているだけではなく、大戦の直接の敗因が原子爆弾だったために核の克服こそが敗戦のトラウマから逃れる唯一の術であると考えているのかも知れない。

また、核技術を保持していることは潜在的に核兵器を作る技術があることを示すもので、実際に持っていなくても外交カードとして利用出来る。
保守派の人達が原子力発電に拘るのはそこだと思う。
安全で安価な電力というのは幻想であって、事故が起きた時の損害を考慮すれば決してコストパフォーマンスのよい技術ではない。

人間の生命を賭け金にするのなら原子力発電は享楽と引き換えにしている時点で刹那主義的であると云える。

原発反対の人は原子力発電の電気を利用している以上電気の使用を止めるのが筋だが、推進派の人は自ら進んで汚水処理活動に当たるべきである。
どちらも極論だがそこに原発問題の難しさが集約されていると思う。
この静岡県のとある街で原発事故のために故郷を捨てざるを得なかった家族の痛みを想像するほど原発問題の根の深さ深刻度が痛感させられる。
美しい日本っていったいどんな日本だったのだろうか?

映画は原発事故の脅威と分断された家族の悲しみを描いた救いの少ない話しで役者さんの演技にも相当のスキルを要求されるものであったが、映画で伝えたいのは原発の恐怖なので各論には触れない。

先日、オリンピックの東京開催が決まって歓喜に沸く日本だけれども福島の被災者の訴えがかき消されないかと心配してしまう。
奇しくも招致の決まったこの時期だからこそこの作品の公開は重い意味を持つのだと思う。

青森 学

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