時をかける少女 - 福本次郎

◆「記憶は消されても、心は覚えている」。出会いから別れまでほんの短い間だったけれど、その気持ちはまぎれもなく恋。人探しの途中で、ヒロインが偶然遭遇した大学生との間に芽生える人を思う感情は、時を経ても変わらない。(60点)

ネタバレ注意! この批評は結末に触れています。

 「記憶は消されても、心は覚えている」。出会いから別れまでほんの短い間だったけれど、その気持ちはまぎれもなく恋。30年以上前にタイムリープした少女が、知識では知っていても感覚としては未体験の時代をエンジョイする姿が楽しい。古い自動車や路面電車、消えつつある駄菓子屋、銭湯のマッサージチェア、 4畳半一間のアパートとこたつでの雑魚寝、サイケ調の隣人、そして8ミリカメラ。映画は、人探しをするヒロインが偶然遭遇した大学生と接近していく過程で、人を思う感情は時を経ても決して変わらないことを描く。

 タイムリープを研究する和子はカズオという少年に会いに行こうとするが、交通事故に遭う。娘のあかりが代わりにタイムリープすると、リープ先を間違って 1974年2月に着地してしまう。あかりはそこで知り合った涼太とカズオ探しを始めるが、涼太が監督を務める映画の撮影につきあうハメになる。

 風景や小道具に凝ってリアルな74年を再現する一方、希望や人情といった懐古趣味に走らずに、登場人物を美化していないところに好感が持てる。現代ほど他人に対して警戒感を持っていないし、人間関係が濃かった事実をことさら強調するでもなく、あくまでこの世界を肯定も否定もしない。だからこそあかりも、最初こそ軽度のカルチャーショックを受けても、すんなりと涼太たちになじんでいくのだ。

 やがてあかりは涼太が乗るバスが事故に遭うのを思い出し、知らせようとするが、時の番人に過去を変えてはいけないと阻止されて現在に戻される。涼太のことを忘れても彼の存在を感じ、願いは叶わなくても愛は届いている、そんな優しい気分を満喫できるラストシーンだった。ただ、涼太の部屋に貼られた映画ポスターで、「ドラゴン怒りの鉄拳」「未来惑星ザルドス」「ヤング・フランケンシュタイン」といった作品は74年2月の時点では日本公開されておらず、当然ポスターもまだ作られていないはず。まあ、作り手が確信犯で観客の蘊蓄を試したのかもしれないが。。。

福本次郎

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