抱擁のかけら - 山口拓朗

◆ストーリーが進むに連れてじわじわと心にしみてくる(70点)

 「ボルベール<帰郷>」(2006年)のペドロ・アルモドバル監督が、全幅の信頼を寄せるペネロペ・クルスを主演に起用(ふたりが組むのは4度目)。スペインならではの極彩色に彩られたスクリーン上で展開されるのは、愛と嫉妬と憎悪と復讐が渦巻く濃厚なドラマだ。

 舞台は2008年のスペイン、マドリード。元映画監督のマテオ・ブランコ(ルイス・オマール)は、ハリー・ケインと名前を変えて生活していた。14年前に起きたある事件によって、マテオは視力と監督生命、そして大切な人を失っていた。ある日、ハリーのもとに「一緒に映画を作りたい」という男がやって来たことをきっかけに、ハリーの記憶は14年前に引き戻される。女優を夢見る女性レナ(ペネロペ・クルス)との出会いに始まった激動の日々に……。

 男女や親子にまつわるいくつかの愛憎が複雑に交錯する物語。映画の主人公はマテオとレナだが、彼らが抱く感情だけでなく、彼らの周囲にいる人々の感情にも注意深く目を向けることで、ドラマは無限の広がりを見せ始める。本来の意味での"脇役"は、この作品にはひとりもいない。

 なかでもレナを執拗に追う老人エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)は、「愛」に盲目になった人間の哀れさを体現する存在だ。愛する人を失いたくないと思った瞬間に、人は都合よく「愛」と「束縛」を同一視させ、その正当化に躍起になる。よくあることではないだろうか? 偏執狂じみたエルネストの行動に感情移入できる人はそういないと思うが、少なくとも、その根っこにある嫉妬心や弱さを「自分とは無関係」と否定することはできない。

 説明的な描写を極力抑えながら、回想と告白、それにビデオカメラと映画というふたつの映像を用いて過去の真相を明らかにしていく構成は、それ自体がミステリーの骨格的な役割を担うだけでなく、おそらくは「愛」や「嫉妬」の理由を単純化させない狙いも含んでいるのだろう。

 終盤、映画監督として最も屈辱的な仕打ちを受けたマテオが、傷ついた名誉と尊厳を愛する映画で回復させていくシークエンスでは、人間が備え持つ「再生能力」の高さが示される。単なるノスタルジーを超えて、封印していた過去のなかに未来へ進む手がかりを見出していくマテオの姿は、恋や人生に挫折した多くの人を勇気づけるだろう。

 ペネロペ・クルスの美貌と女優魂は、本作でも十分に発揮されている。アルモドバル監督にとって彼女は、作品ごとに新たな魅力を見せてくれる偉大なファンタジスタなのだろう。エルネストに扮するホセ・ルイス・ゴメスも、年老いてもなお「愛」や「嫉妬」の感情にふりまわされる物悲しい人間を怪演し、強烈な存在感を残している。

 本作「抱擁のかけら」は、ストーリーが進むに連れてじわじわと心にしみてくる、そんなタイプの映画だ。それはこの作品がステレオタイプな視点ではなく、"答えなどない"人間の複雑な感情を多角的な視点でとらえているからにほかならない。それだけに、感性も理屈も集中力も総動員して挑まなくてはいけないタフな作品ともいえる。思慮深く映画を味わいたいという人にオススメしたい。

山口拓朗

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