ほとばしるような激情が圧倒的なパワーとなるような、少年の肉欲をめぐる彷徨は波乱万丈、それがピュアな愛として昇華される過程は清明なカタルシスさえ味わえる。映画は人間の内奥に迫り、容赦なくむきだしの感情を抉り出す。(90点)
ほとばしるような激情が圧倒的なパワーとなって、4時間近い上映時間を一気に突っ走る。先の読めない展開は一切の予断を許さず、俳優たちの熱演と緻密に練られた演出は細かい齟齬を力業でねじ伏せる。破壊的な情熱をフィルムに焼き付けたかのような物語は、園子温監督の魂を投影しているかのよう。一人の少年の肉欲をめぐる彷徨はまさに波乱万丈、それがピュアな愛として昇華されるラストには清明なカタルシスさえ味わえる。映画は人間の内奥に迫り、容赦なくむきだしの感情を抉り出す。
高校生のユウは性悪女・カオリにこっぴどく振られた神父の父に懺悔を強要される。懺悔のネタを作るためにユウは不良仲間と盗撮を始め、そのスキルを磨いていく。そんなとき、死んだ母にもらったマリア像ソックリの少女・ヨーコと出会い恋に落ちる。
ユウがみせるカンフーのような盗撮テクニックや、十数人を相手にケンカするヨーコの舞うような身のこなしが美しい。一方でセックスに溺れる破戒僧である父親とユウの噛み合わない会話や、サソリというユウの別人格に心酔しているヨーコとのやり取りなど、ベタなセンスがかえって笑わせてくれる。そしてコイケという白装束の女のいやらしいまでの不気味さ。さらに後半は新興宗教に洗脳されたヨーコを奪還するためにユウが命がけで教団に潜入するのだが、そこに至ってはもはや彼の行為は崇高な自己犠牲に思えてくる。
女性に性的な興奮を覚えず、唯一ヨーコの白いパンツにのみ勃起するというユウは、自分が変態であることを積極的に肯定する。彼女と同じ家で暮らすことになっても、その興味はあくまでパンツ。変態ゆえに歪んでいるが変態ゆえに純粋でもある。ヨーコがどんなに変わり果てた姿になっても、どんなに否定されても、彼女の救出をあきらめないユウ。ストーリーはさまざまな変遷をみせるが、ユウの変態としてのアイデンティティとヨーコへの思いという一貫したテーマだけは決してぶれない。それは人の原罪を突き詰めれば、その正体は「愛」であることを宣言しているようだ。
(福本次郎)