◆難病ものというよりも経済映画、バディ映画として観たい(65点)
92年作品の『ロレンツォのオイル/命の詩』は、難病の息子を持つニック・ノルティとスーザン・サランドンの夫婦が、「まだ効果が証明されていない」と渋る医師を説得して新薬を試させるという物語だった。日本だったら「功名心にはやる医師が親の反対を押し切って新薬を試す」ということはあっても、その逆はあまり考えられないので、大いに文化の違いを感じたものだ。『小さな命が呼ぶとき』も、『ロレンツォ~』と同様、実話をもとにした物語。ただしこちらの父親は、我が子の治療薬を開発するためだけに、なんと製薬会社を作ってしまう。
エリート・ビジネスマンのジョン(ブレンダン・フレイザー)は、8歳の娘と6歳の息子を難病のポンペ病に冒され、焦りを募らせる。ストーンヒルという学者(ハリソン・フォード)が有望な研究を行っていることを知ったジョンは、安定した職をなげうち、バイオ・テクノロジーのベンチャー企業を共同起業するのだが……。
安直なお涙ちょうだい劇かと思いきや、新会社の設立→ベンチャー・キャピタルの獲得→大手製薬会社への身売り→そこでの主導権争いと、ジョンがロールプレイング・ゲームさながらに新薬開発を押し進める姿が興味を引く。経済小説というのはよくあるが、これはあまり見る機会のない「経済映画」。強い熱意と執念で時には患者の全国組織を立ち上げ、時には大会社の慣例まで変えていくジョンを、フレイザーは等身大に演じきった。
対するストーンヒルは、研究者としては優秀ながら、プライドが高くて人づきあいがヘタ。年長のストーンヒルが大きな子どもで、年下のジョンが交渉術に長けた大人という、年齢とキャラクターの逆転現象が面白い。それでもオイシい役のオファーしか受けないフォードのこと。製作総指揮を兼務した本作では、「いいとこあるじゃん」と思わせる場面を随所に作り、ストーンヒルをちゃっかり儲け役に変えている。
難病の娘のキャラがあまりカワイくないのが難点だが、あえてそこには目をつぶろう。なぜなら本作は、難病ものとしての側面よりも、バディ映画としての側面の方がずっと魅力的だから。片や我が子の命、片や研究資金を求めて運命共同体となったジョンとストーンヒルが、互いに譲れないゴールを目指して二人三脚で突っ走る。もちろん二人三脚だから転倒も不可避。2人の関係がどれほど事実に即したものなのかは知る由もないが、脚本のロバート・ネルソン・ジェイコブスは少なくともいい「ドラマ」を書いた。
(町田敦夫)