◆精神分析学の講義の様な映画(70点)
映画は夢物語ではない。映画こそ私たち自身なのだ。『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド(原題:THE PERVERT’S GUIDE TO CINEMA)』のプレゼンターであるスロバキア人精神分析学者/哲学者のスラヴォイ・ジジェク氏はそう私たちに教えてくれる。タイトルに「pervert=変態」と付いていると、なんだかドキッとさせられるが、彼は『めまい』『エイリアン』『マトリックス』等40にも及ぶいわゆる名作と呼ばれる映画を分析し、それらのシーンについて解説する。そう、これは精神分析学の講義の様な映画なのだ。
レイフ、マーサの妹、そしてジョセフの姉であるソフィ・ファインズが監督を手掛ける本作の中で、ジジェク氏は「映画とは、人々の欲するモノを与えるのではなく、いかに欲するかを教える究極の変態芸術」と定義する。そしてジジェク氏はその変態芸術について3つのパートに分けて解説してゆく。
パート1は、わたしたちの欲望がどう引き起こされるのかや、どうやって無意識の欲動へとわたしたい自身を連結させ、享楽を得るかを検証する。ここでジジェク氏はまずジークムント・フロイトが言う自我、超自我、原始的衝動、と呼ばれる精神的区分を鍵とし、マルクス兄弟の『いんちき商売』におけるチコを自我、グルーチョを超自我、ハーポを原始的衝動と定義する。これはアルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』のベイツ家の1階、2階、そして地下にも同じ事が言えるという。また死の衝動にも触れており、ジジェク氏は『サイコ』やフランシス・フォード・コッポラの『カンバセーション…盗聴…』は人間には残酷な本能があるという証拠と距離を保つために作られたものであると説明する。
パート2は映画におけるセックスと空想で、性の欲求と空想は何故連結しているのかと問いかける。ここではデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』、イングマール・ベルイマンの『ペルソナ』、ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』等が紹介され、空想によりわたしたちは満たさせると共に本質的に不安になるなってしまい、わたしたちは空想によって性的行動を可能にしているのだという。それゆえ、映画自体がわたしたちを不安から守っているのだ。
そしてパート3では外観について触れている。ヴィクター・フレミングの『オズの魔法使い』のドロシーと旅の仲間はオズの魔法使いがただの老いた男性であったと知るが、彼が魔法を使えると信じ続ける。幻想は継続し、わたしたちはその中で現実を見出そうとするのだ。
ジジェク氏は『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』の中で、『鳥』のボデガ湾や『めまい』のゴールデンゲートブリッジのふもと等、解説する映画のローケーションを訪れ、またセットを作る等し、ユーモアを交えながら語る。ジジェク氏が時に面白可笑しく解説してくれる事が映画の中に埋もれている隠された言葉がわたしたちの頭にスッっと入って来る所以なのだろう。
映画は偶然の産物ではない、物語は人間の深層心理が生み出す必然的なモノである。よって映画を観る事は人間を知る事であり、自分自身を知る事でもあるのだ。一度『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』を観ると、映画に対し違う見方をしてしまうようになるだろう。本作は2時間半という長丁場の講義だが、わたしたちの脳を刺激してくれる隠れた1品である。
(岡本太陽)