様々な恐怖演出のつるべ打ちだが新鮮さがなく、怖くない。「呪怨」のファイナルはJホラーのファイナルを感じさせる(点数 60点)
(C)2015「呪怨 ザ・ファイナル」製作委員会
清水崇監督がJホラーの流れを変えた「呪怨」シリーズの最終章である。
1999年のオリジナル・ビデオシリーズから、劇場版が作られ、清水監督が自らリメークしたハリウッド版は日本人監督として実写で初めての全米興行成績第1位を記録した。
これまでビデオシリーズを含めて8作品があり、伽椰子や俊雄はJホラーを代表するキャラクターとなった。
この完結編は、昨年公開の「終わりの始まり」に続いて「感染」の落合正幸監督がメガホンをとっている。
ストーリーは「終わりの始まり」とつながっていて、前作を見ていないとやや分かりにくいかも知れない。
製作側もそれはわかっているのか、冒頭は「終わりの始まり」のダイジェストのような映像で始まる。
今度は、前作の主な登場人物たちの周辺の人々が襲われる。
前作で呪われて失踪した女性教師(佐々木希)の姉・麻衣(平愛梨)とその恋人、伽椰子一家の親戚の母と娘(おのののか)らが、次々と奇怪な出来事を体験していく。
これまでのシリーズ同様、登場人物の名前をタイトルとした短いエピソードごとに分けられているが、各エピソードは互いに関連しながらつながっている。
また、平愛梨やおのののから、旬の女優を起用し、彼女らが恐怖におののくシーンを楽しめるのもこれまで通りだ。
前作もそうだったが、落合監督の演出は相変わらずうまいと思う。麻衣の恋人である地下鉄職員が、ただ駅構内を歩いているだけの場面でも、様々にカメラのアングルを変え、飽きさせず、雰囲気を盛り上げていく。
イカ墨スパゲッティーを髪の毛のように見せて、中から目を覗かせたり、天井に首から上をめりこませて吊るしたり、様々なユニークな恐怖演出も面白かった。
だが、さすがに9作目となると、もはや様々な幽霊の登場の仕方が前にも見たような気がしてしまう。伽椰子や俊雄にも飽きてしまったのである。
「呪怨」のオリジナルビデオ版や、劇場版1、2作目にあったような怖さは、もはやない。
伽椰子も俊雄もすっかりキャラクター化してしまい、幽霊というよりはモンスターのようになってしまった。
襲ってくる伽椰子を、ガラス戸を閉めて防ぐ場面がある。伽椰子が中に入ることができず、ガラスの向こうでわめいているのにびっくりした。
幽霊なのに扉が超えられないのか、と思ったのである。
扉の向こうで入ろうとしてもがく幽霊は、もはや幽霊ではなくゾンビ、モンスターだろう。
落合監督は意図的にそうした物理的恐怖を加味しているのだと思う。
彼がハリウッドで「シャッター」を撮ったとき、ただ佇んでいるだけの幽霊をアメリカ人たちは怖いと思わず、物理的に暴力を振るわれる恐怖を求められたと聞いた。
落合監督は「終わりの始まり」でもただ怖い幽霊が出てくるだけでなく、様々な物理的恐怖を演出していた。
Jホラーのテイストと、物理的な恐怖を融合させようとしているのだと思う。
今回もそのような演出になっているが、両者の融合は失敗している。
物理的恐怖は幽霊の理屈を超えた恐怖を薄めてしまい、理屈を超えた怖さは、なんでもありになってしまって、物理的な怖さも薄めてしまう。
幽霊をはっきりと見せず、理屈を超えた怖さを表現しようとしたJホラーは、どんどん幽霊を見せて怖がらせる清水監督の「呪怨」で新たな進化を遂げたが、それはJホラーの終わりの始まりでもあった。
「呪怨」のファイナルは、Jホラーのファイナルなのかも知れない。
(小梶勝男)