イラクから帰還した息子の死の真相はまさに狂気。重い人間ドラマだが見応えがある。(75点)
2004年、元軍人警官のハンクは息子のマイクがイラクから帰還後に失踪したとの知らせを受ける。女刑事エミリーの助けを借りてマイクを探すハンクだったが、予想外の真実と息子の心の闇を知ることになる…。
PTSD(心的外傷ストレス障害)という言葉がある。衝撃的な出来事がトラウマになり、後に様々なストレス障害を引き起こす心の病だ。原因は、地震、火事のような災害、事故、戦争といった人災、テロ、虐待、レイプなど犯罪による被害と、多様で複雑だ。この物語が描くのはイラク戦争の帰還兵を蝕む深刻なPTSDで、実際に起こった殺人事件が基だという。
映画は、いなくなったマイクを探すミステリーとしてスタートするが、彼の行く末は早々に観客に明かされる。マイクはむごい殺され方で遺体となって発見され、そこから物語は犯人探しへと移行。調査の過程で、マイクがイラクで何を見、何をしたのかが明かされるあたりから、ストーリーは凄みを増していく。携帯の動画、ペットの虐待、悲痛な電話の声。計算された緻密な脚本によって、ジワリジワリと近づく望まない真実は、ボディーブローのように効いてくる。父親として軍人として、ハンクが知ることになる息子の姿はショッキングだが、マイクを殺した犯人の淡々とした告白はそれ以上の衝撃だ。「本当に申し訳ありません」と丁寧に謝るその目は、とっくの昔に死んでしまっている者のそれなのだ。正常な人間が戦場で暴力に呑み込まれ、狂気と共に帰国する。なぜこんな事が起こるのかと問うことさえ苦しくて出来ない。
思えばアメリカ映画界には、自己告発や自己批判の伝統がある。特に戦争が人間性を破壊するとの主張はアメリカン・ニュー・シネマ以降、顕著だ。ベトナム戦争に行く前の訓練から殺人マシーンになってしまう「フルメタル・ジャケット」、湾岸戦争を真正面から取り上げた「戦火の勇気」など、枚挙に暇がない。だが、愚かで悲惨な争いは繰り返される。秀作映画がどれほど作られても、抑止力などないのだと思うとやるせない。トミー・リー・ジョーンズがいぶし銀の名演で演じる実直な父親ハンク同様に、米国の現実を思い知らされる。
ただ、かすかな光を感じるとしたら、シングルマザーの女刑事エミリーと彼女の幼い息子の存在だ。男社会の中で奮闘するエミリーと、暗闇の恐怖を自ら克服しようとしている少年。この母子に希望を見出すことを、作り手はきっと許してくれるだろう。
この映画には、分かりやすい答や救いはない。だが劇中に2度登場する、アメリカ国旗を揚げる場面が作品のメッセージを象徴している。逆さまの星条旗は、国家の救難信号の意味だ。米国は今、逆旗をあげねばならない状況にある。名手ポール・ハギスは大上段に構えて反戦を訴えず、あくまで個人の悲痛な体験をとらえた。救いを求める息子からの信号に応えられなかった父親の、深い絶望の表情にあらゆる思いを託して。
(渡まち子)