台北に舞う雪 - 山口拓朗

◆“善意”頼りの物語は一見美しいが、一方ではリアリティの欠如を招きやすい(50点)

 ある日突然、声が出なくなった女性新人歌手のメイ(トン・ヤオ)は、記者会見前に姿を消し、台北郊外の菁桐(ちんとん)という町にやって来た。その町でメイは、町の人のために一所懸命働く青年モウ(チェン・ボーリン)と出会う。ふたりはお互いの身の上を話すうちに、少しずつ打ち解けていくが……。

 都会で精神的に疲弊した女性が、田舎町に住む青年の優しさに触れながら、少しずつ心の傷を回復させていく再生の物語。日本でも2008年に似たようなエッセンスをもつ「天国はまだ遠く」が公開されたが、「疲弊」と「癒し」は、社会が複雑化、多様化するアジア先進諸国に共通するテーマなのだろうか?

 癒しの処方薬となるのは、「天国はまだ遠く」同様、素朴な青年の優しさと一所懸命さだ。恵まれない家庭環境に身を置きながらも、町の人たちに対して献身的に生きるモウの姿が、自信と目標を失っていたメイの目に新鮮に映る。モウの勧めで漢方を試したメイは、少しずつ元気を取り戻していくが、本当に効いたのは「漢方」ではなく、モウの「献身」ではなかったか。

 惜しむらくは、脆弱なドラマ展開と人物描写だ。たとえばメイとモウの出会いの場面。ふたりは出会った瞬間から互いにある種のシンパシーを感じてしまっている。「芸能界でスターを目指す金の卵」と「郊外の田舎町でつつましく暮らす青年」という対比があるにもかかわらず、この映画は、両者のあいだに存在するであろう溝を描かない。そうなると「情緒あふれる菁桐の町」と「ネオンサインがビル群を包む都会」という映像対比でさえ生きてこない。“善意”頼りの物語は一見美しいが、一方ではリアリティの欠如を招きやすい。

 メイが思いを寄せる音楽プロデューサー・レイのキャラクター造形も薄っぺらく、それによって、メイが最後に下すある重大な決断も説得力を欠いた。"におわせる演出"が悪いとはいわないが、それが深みのない人物描写の弁解になっているようでは本末転倒だ。唯一、モウの母親の失踪とメイの失踪がオーバーラップする二重構造が、天涯孤独なモウのはかなげな心情を際立たせ、観客のカタルシスをほのかに誘う。

 天灯(台湾の旧正月で飛ばす紙風船のようなもの)が夜空に舞い上がるシーンや、あるものを雪に見立てるアイデアには、風土を美しく撮ることに長けたフォ・ジェンチイ監督の才腕が感じられるし、メイを演じたトン・ヤオとモウを演じたチェン・ボーリンの透明感のある演技も作品の背骨になっている。それゆえ表層にとどまったお安いドラマが悔やまれてならない。

山口拓朗

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