南極料理人 - 小梶勝男

◆ドラマとしての深み(80点)

 南極観測隊員として、南極ドームふじ基地で調理を担当した西村淳のエッセイ「面白南極料理人」を映画化。監督はこれが商業映画デビューの沖田修一。主演の料理人を堺雅人が演じている。他の隊員たちに生瀬勝久、きたろう、高良健吾ら。

 この映画の最もユニークな点は、南極観測隊員という仕事を、「冒険」や「ロマン」ではなく、1年半の「単身赴任」として捉えていることだろう。しかも、基地での暮らしは、「男だけの寮生活」として描かれる。そして、その中心に料理を据えることによって、南極というこれ以上ない「非日常」な舞台が、「日常」として浮かび上がってくる。

 デンマークの心理学者ルビンが発表した「ルビンの壷」という図がある。「壷」と「向き合う2人の顔」という、2つの絵が描かれているのだが、「壷」を「図」として見ると、「地」である「2人の顔」は見えない。逆に「2人の顔」を見ると、「壷」が見えなくなってしまう。「図地反転図形」と呼ばれている。

 映画は一般的に、「冒険」や「ロマン」、すなわち「非日常」を描くものだ。そこに「日常」は見えてこない。例えば、刑事もののカー・チェイスで、巻き添えでたくさんの車が派手にクラッシュしても、その後の煩わしい事故処理や、それで何人の罪のない人々が死傷したか、などは通常は描かれない。「地」は見えないのである。

 南極という明らかに「非日常」の舞台で、あえて「日常」を描くことで、「図」と「地」の両方が見えてくる。そこが、この映画の面白さではないだろうか。

 観測隊員としての仕事の場面は少ししか出てこない。オーロラなどのダイナミックな自然の映像もない。その代わり、食堂での日々の食事が繰り返し映し出される。最初は個々人の皿に分けた料理。それが大皿になり、中華の回転テーブルも登場する。食卓の変化は、隊員たちの人間関係の変化をも表現する。実に細やかな演出だ。

 くせ者ぞろいの役者たちも、「南極の日常」というヒネリの利いた設定を与えられ、それぞれのキャラクターを生き生きと演じている。個々の場面はコントのようでもあるが、それがつながっていくと、次第にドラマとしての深みが生まれてくる。

 登場する数々の料理も見どころだ。特に手打ちラーメン。限界状況で供されるラーメンは、何とも美味しそうだった。淡々とした本作のクライマックスは、この場面かも知れない。

 1年間の基地生活を終えた隊員たちは、「南極の日常」から、「それぞれの日常」へと戻っていく。堺雅人が演じる主人公もまた、当然ながら帰宅する。1年前と何も変わっていないように思えて、自宅の部屋は、微妙に変わっている。ブラウン管だったテレビが、液晶になっているのだ。ここにも細やかな演出がある。

小梶勝男

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