倫敦から来た男 - 小梶勝男

◆ジョルジュ・シムノンの原作をハンガリーの鬼才タル・ベーラが映画化。通常のドラマを否定したキャメラによる「観察」で、人生の現実に迫る傑作(92点)

 冒頭、キャメラは窓越しに巨大な客船を捉える。非常にゆっくりとしたパーン。船上でのやりとり、そして、船を下りて列車に乗る人々を、キャメラが移動しながら、どこまでも窓越しに追う。窓枠をまたぎながら、いつまでもカットは変わらない。その異様な緊張感は、本作が普通の映画ではないことを物語る。長いワンカットは、観客にドラマを見ているのではなく、もっとリアルな「何か」を観察しているような気にさせる。

 舞台は北フランスの霧深い港町。制御室から港と駅を監視している鉄道員のマロワン(ミロスラヴ・クロボット)は、ある日、殺人を目撃する。殺された男が海に落としたトランクを拾い上げると、大金が入っていた。金を追って、ロンドンから刑事がやって来る。マロワンの平凡だった人生が、狂っていく。

 キャメラは画面が真っ暗になっても、いつまでもその闇を映し続ける。まるで、見えない何ものかが映り込むことを期待しているかのようだ。泣いている女優の顔を撮って、普通ならカットが変わるタイミングになっても、カットは変わらない。キャメラはいつまでも女優の顔から離れない。「演技する女優」の顔は、その向こうにある女優自身、さらに、人間自身に見えてくる。

 原作はメグレ警視シリーズで有名なジョルジュ・シムノン。だが、本作は探偵ものではない。ハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督は、キャメラによる「観察」によって、通常のドラマを否定する。まるで、登場人物たちを追う視線が、人間ではなく、虫や植物を観察するような冷徹さなのだ。

 「映画は自惚れ鏡である」という映画評論家・佐藤忠男氏の名言がある。だが、タル・ベーラは極端なワンカットの長回しによって、その自惚れ鏡の奥にある人生の現実に迫ろうとしている。

 主人公のマロワンは大金を手にして、自分の娘を仕事場から連れ帰り、毛皮の襟巻きを買ってやる。それを妻に「無駄遣い」と怒られ、娘は襟巻きを店に「返してくる」と言う。自惚れ鏡から「自惚れ」を取り去った、ただの「鏡」に映る人生は、ざらついていて苦々しいが、深く心を打つ。

 マロワンの娘役のボーク・エリカの暗い表情がいい。ティルダ・スウィントンもタル・ベーラの世界に見事にはまっていた。

 情緒的表現を排した簡潔さをハードボイルドというなら、本作ほどハードボイルドという言葉にふさわしい作品はないだろう。その一方で、湿った空気がスクリーンから流れ出してくるような霧の描写や、光と闇が織りなすモノクロームの映像の美しさは妖しいほどに魅力的だ。傑作といっていい。

小梶勝男

【おすすめサイト】