◆一見、ニール・サイモン風の恋愛会話劇に見えながら、叙述トリックで驚くべき展開を見せる。夫婦にとって互いの存在とは何かを問う、「喪失感」がテーマの秀作(81点)
小説に「叙述トリック」という言葉がある。ある事実をわざと隠すような書き方をして、読者に間違った先入観を持たせて驚きの展開に持って行く手法で、アガサ・クリスティーの「アクロイド殺人事件」などがその代表作だ。本作にはその叙述トリックが実に巧みに使われている。最初はニール・サイモン調のユーモラスな恋愛会話劇のように思えるが、中盤で驚くべき展開を見せる。そこから、前半の場面の様々な意味が全く変わってくる。
北見俊介(豊川悦司)はかつて売れっ子カメラマンだったが、今は写真を撮ることが出来なくなり、ぐうたらな生活を送っている。妻のさくら(薬師丸ひろ子)は夫に文句を言いながらも共に暮らしている。さくらの留守中、バーで知り合った蘭子(水川あさみ)が北見を訪れ、オーディション用の写真を撮って欲しいという。北見は蘭子を誘惑しようとするが、蘭子がシャワーを浴びている間にさくらが帰ってきてしまう。
――などとストーリーを説明しても、余り面白そうに思えないかも知れない。だが、日常の細々とした描写が、中盤の一種のどんでん返し以降、圧倒的に意味を持って迫ってくる。そして、夫婦にとって互いの存在とは何か、を真摯に問いかけてくる。叙述トリックによって、登場人物たちの「喪失感」が観客にも実に生々しく伝わってくるのである。
ただ、どんでん返し以降の水川あさみと濱田岳の恋愛劇や、北見家に出入りするオカマ(石橋蓮司)らとのクリスマス・パーティーの場面がだらだらと長すぎて、せっかくの「喪失感」が薄まってしまった。豊川と薬師丸のカップルに若いカップルを対比させ、物語に重層性を持たせようとしたのだろうが、単純に夫婦の話に絞った方が感動は大きかったと思う。
それにしても、豊川と薬師丸はとても良かった。特に豊川は、表面的には軽薄に見えて、実は心に深い喪失感を抱えている男の役を、完璧に演じていたと思う。薬師丸もさすがに年はとったが、昔と変わらずチャーミングだった。
叙述トリックの部分を書けないので本作の良さを伝えにくいのだが、役者の演技の醍醐味も、ストーリー上の仕掛けの驚きも、そして感動も味わえる秀作としてお勧めしたい。
(小梶勝男)