◆太宰治の著名な原作を、「赤目四十八瀧心中未遂」(2003)の荒戸源次郎が監督、ジャニーズJr.の生田斗真が主演した話題作。鈴木清順風の映像は悪くないが、原作の表面をなぞって、その奥まで届かなかった印象だ(66点)
「人間失格」を映画化するのは、大変難しいと思う。個人的には、太宰治の本質は文体にあると思っている。「何が書かれているか」よりも、「どう書かれているか」の方に魅力があるのではないか。その文体をどのように「映画」として視覚化するのか。私には想像がつかない。もちろん、映画はいつも、私の貧弱な想像など軽々と超えてゆく。今回もそれを期待したのだが、残念ながら、そうはならなかった。
監督は、かつて鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」を製作して成功させた荒戸源次郎。確かに映像は鈴木清順風だ。だが、鈴木清順の映像が見事に「文体」となっているのに対し、本作の映像は非常に端正で魅力的ではあるが、「文体」となるまでに至っていないように思う。
津軽では有名な資産家の息子、大庭葉蔵(生田斗真)は、わざと「道化」として生きていることを、クラスメートに見抜かれてしまう。上京して高等学校に入った葉蔵は、遊び人の堀木(伊勢谷友介)と共に放蕩の生活を送り、次々と女とつきあいながら、酒浸り、そしてモルヒネ中毒の、破滅の人生を突き進んでいく。
葉蔵を巡る女たちを演じる女優たちが豪華だ。寺島しのぶ、小池栄子、石原さとみ、坂井真紀、室井滋、大楠道代、そして三田佳子まで、次々と登場する。その顔ぶれを見ているだけで飽きないのだが、主人公の葉蔵を演じる生田斗真の印象が薄い。原作では極めて重要な「道化」としてしか生きていけない青年の内に秘めた緊張感が、十分に描かれていないと思う。
本作のストーリーを表面的に解釈すれば、日本が国家としての「近代的自我」を求められた時代に、あえて前近代的な「甘え」の世界に生きることで、自分の内なる「近代的自我」に徹底的に逆らう男の話だと見ることが出来る。だが、あえて近代的自我に逆らい、自滅していく男の悲壮感と、悲愴故の純粋さが、切実に伝わって来ない。荒戸監督の絵作りの上手さは認めるが、心に響くものは少ない。それ故に、最後の三田佳子の演技が、奇怪に見えてしまった。
(小梶勝男)