人生に乾杯! - 町田敦夫

◆抱腹絶倒の強盗を重ねる老夫婦が、社会に一石を投じる(70点)

 エミルとヘディは大恋愛の末に結ばれた夫婦だったが、結婚から半世紀が過ぎた今では出会った頃の思いなどどこへやら。体調は悪くなる一方だし、生活も困窮。ついにアパートの電気さえ止められた。だが、ヘディの宝物だったダイヤのイヤリングが差し押さえられるに及び、エミルは20年ぶりに愛車のハンドルを握って郵便局に乗りこんでいく。そう、強盗をするために……。

 愛情も枯れ果て、いがみ合っていたかに見えた老カップルが、差し押さえの執行官の前で見せるうるわしい夫婦愛にまず感動。エミルの愛車とヘディのイヤリングは、それぞれの手元に残った唯一の宝であり、人生の誇りでもあるようなのだが、夫婦は互いに「そんな物は売り払え」と毒づき合っていた。ところが執行官がエミルの愛車を持っていきかけると、ヘディは思わずイヤリングを差し出すのだ。妻の宝を守ってやれなかったエミルの方も、自分の甲斐性のなさに意気消沈。2人の心情、察するに余りある。

 だから強盗、という飛躍もすごいが、何より傑作なのはエミルの素人犯罪者ぶりだ。郵便局での脅し文句は、あくまでも紳士的。そうかと思えば、銀行では声をひっくり返して「金を出せ」と叫び、窓口に誰もいないのがわかると、すごすごと引き上げていく。「次は人の多い、忙しい時間帯に出直してこよう」って、あなた……。

 そんなエミルの雄姿(?)を見て、ヘディは忘れかけていたときめきを思いだす。エミルも宝石店を襲撃し、ヘディの大事なイヤリングを取り戻す。だが、年老いたボニーとクライドの行為は、本人たちに2度目の蜜月をもたらしただけではなかった。虐げられていた弱者たちが紳士的強盗に快哉を叫び、政治批判の声を上げ始めるのだ。このあたり、寓話的な部分と現実的な部分を、うまくバランスさせた作品ではある。

 だが、いくら紳士的とはいえ強盗は強盗だ。老夫婦の末路に、そう多くの選択肢はない。2人が30年前に亡くした息子の墓を訪ねるに至って、私たちは彼らの「目的地」を薄々察し始める。追いつめられて「海を見たかった」と口にする2人が、最後にどんな行動に出るのかは、あえて語るまい。ただ、ひとつのどんでん返しが待っているとだけ言っておこう。

 終盤になって気づいたのは、これは“もうひとつの『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(97)”なのだということ。同作は長瀬智也主演の『ヘブンズ・ドア』(09)の元ネタともなったドイツ映画で、不治の病に冒された2人組が、珍妙な犯罪を繰り返しながらまだ見ぬ海を目指すという話だ。死を目前に突きつけられる点で、老いは不治の病にも等しい。だからこそ、エミルとヘディは自分たちの来し方行く末を真摯に考えた。もちろん、その距離は相対的なもので、私たちの誰もが死を運命づけられていることに変わりはないのだが。

町田敦夫

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