満ち足りた生活を送っているのに、漠然とした不安を感じている。それは、代わり映えしない日常に埋もれてしまったことに対する絶望的な虚無。主人公が抱える「人生はこんなはずじゃなかった」という思いが非常にリアルだ。(70点)
家族と仕事、そして立派な家と車。何不自由のない満ち足りた生活を送っているのに、未来には漠然とした不安を感じている。それは、かつて自分たちは「特別な存在」と思い込んでいたのに、いつしか他人と同じような代わり映えしない日常に埋もれてしまったことに対する絶望的な虚無。そんな、もう若くない夫婦が再び夢を追いかけようとして、さまざまな障害にぶつかっていく。夫の諦観、妻の焦燥、ふたりが抱える「人生はこんなはずじゃなかった」という後悔が非常にリアルだ。
平凡な会社員フランクは妻のエイプリルと閑静な住宅地に居を構え2人の子にも恵まれている。フランクが30歳の誕生日に家に帰ると、エイプリルが突然今の暮らしを捨ててパリに移住しようと言い出す。躊躇するフランクだがエイプリルに気押され、パリ行きを決心する。
もっと違う生き方があったのではというわが身への疑問は誰もが心の中に抱いているが、気付かぬ振りをして現状に甘んじている。だからこそ再出発を試みるフランクたちを同僚やご近所は興味津々で見つめる。そのあたりの人間の心理描写が繊細で、彼らの視線にはフランクたちを見守る半面、失敗を期待する気持ちが入り混じっている。そして、真実を忌憚なく言い当てる精神を病んだ男の言葉は、フランクだけでなく人生を妥協したすべての観客の胸に突き刺さる。
エイプリルの感情の振幅がぞっとするほどおそろしい。芝居をめぐってフランクとケンカした後、笑顔で出迎えたり、パリ行きが怪しくなって大喧嘩した翌朝も朝食を作って上機嫌でフランクを送り出す。おそらく彼女自身、抑制が効かなくなるときがあるのだろう。特にフランクをはっきりと拒絶した二度目の怒りの爆発の翌日は、もはや人格が入れ替わっているとしか思えないほどの穏やかな表情を見せる。それは、女優としての夢が破れ、夫との再起にも挫折し、ついに感情の行き場をなくした彼女の壊れやすい魂の最期の決意。現実とうまく折り合いをつけられない不器用な彼女が哀れだった。
(福本次郎)