◆「キリシタン・アクション」認定第2弾(第1弾は「ザ・ウォーカー」)。天使の軍団と人類との戦いを描いているが、スケールは実に小さい(66点)
キリスト教は文化として全世界に広がっている。キリスト教的な世界観をバックグラウンドとしない映画を探す方が難しいだろう。しかし、キリスト教そのものをテーマとしたアクション映画は、それほど多くないと思う。本作や「ザ・ウォーカー」(2010)を見て、「キリシタン・アクション」というジャンル名を提唱したくなった。なぜ「クリスチャン・アクション」ではないのかというと、普通の日本人には納得しがたいテーマを扱っている「違和感」を、江戸時代のキリスト教という「異質なもの」の呼び方で表現したかったのだ。
砂漠のドライブインに、武器を持ったミカエル(ポール・ベタニー)という男が現れ、神が人間を見捨てたと告げる。人類を駆除するために天使の軍団がやって来るので、自分は神の命令に背いて人類を守るのだという。ドライブインの店主(デニス・クエイド)とその息子(ルーカス・ブラック)、妊婦のウエートレス(エイドリアン・パリッキー)、店の客らは、ミカエルと一緒に天使と戦うことになる。
冒頭、ミカエルが空から舞い降りて武器庫を襲う場面は、「ターミネーター」(1984)そっくりだ。天使に操られてゾンビ化した人間たちがドライブインを襲う場面はジョージ・A・ロメロのゾンビ映画や「ミスト」(2007)「フィースト」(2008)などを思わせる。天井を這い回る老婆は「エクソシスト ビギニング」(2004)のようだし、ハエの大群は「エクソシスト2」(1977)のイナゴや、「悪魔の棲む家」(1979)、不気味なアイスクリーム売りがドライブインにやってくるところは、トム・ホランドのテレビ用作品「アイスクリーム殺人事件」(2006)を思い出させる。天使の軍団が襲ってくるというストーリーは珍しいが、どれも見たことのあるような場面ばかりだ。
そもそも「神」や「天使」という形而上的な存在を、思い切り形而下の存在として描いているのが可笑しい。天使の翼は鋼鉄製で弾丸をはね返し、回転して相手を切り裂く。棒の先にトゲトゲの鉄球が付いた武器を振り回すのも笑える。神や天使なら、そんなことをしなくても、一瞬で人類を滅ぼすことが出来そうなものなのに、とどうしても思ってしまう。現に本作の中でも、以前、神が人類を見放した時は洪水を起こしたことになっている。それは「ノアの箱船」のことだろう。今回も天変地異で一気に片づければよいものを、ドライブインの人々に対しては、ゾンビ化した人間をチマチマと送り込んだり、アイスクリーム売りの刺客に襲わせたり、やる気が感じられない。「仮面ライダー」の悪の軍団ショッカーが、世界征服をたくらみながら、実際には近所の花屋を襲っていたのと同じくらいのトホホ感がある。
それに、天使の軍団対人類という、壮大な戦いのわりには、描かれるのは砂漠の真ん中のドライブインでの攻防がほとんどなのだ。これは日本の「デビルマン」(2004)が、悪魔対人類の戦いをテーマとしながら、商店街の中で話が完結していたのと同じである。大スケールの話が実に小スケールで描かれる。 最後は天使対天使の一騎打ちとなるが、これも人間同士のアクションと余り変わらない。殴り合いの肉弾戦なのだ。
ストーリーに変なところが多すぎて、首をひねりっぱなし。妙にシリアスな雰囲気が良くない。もっとお笑いを強調すれば、首をひねる代わりに笑い声を上げることが出来たのかも知れない。それでも、それなりに楽しめたのは、本来は精神的な戦いを徹底して肉体的なアクションに変換して表現したバカバカしさのおかげだろう。「キリシタン・アクション」認定にはふさわしい作品だ。
(小梶勝男)