本当の身分を失ってまで隠さなければならなかった真実に驚愕 (点数 86点)
(C)2012 TCYK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
今作は元過激派で、殺人罪で指名手配されているが現在は別人に成りすまし弁護士として生きる男をロバート・レッドフォードが演じ、クリス・クーパー、サム・エリオット、ニック・ノルティなどいぶし銀の俳優が多く出演しているのも見どころ。
スーザン・サランドンも元過激派役で出演し冒頭に、取調室で新聞記者に語って聞かせる印象的なカットがあるなど見せ場も多い。
当時の活動家達の心情にチューニングすることが出来れば面白さも倍増するだろう。
また、この映画は上述したように往年の大スターが集結しているあたり『エクスペンダブルズ』の社会派サスペンス版とも言える。入力が違うだけで設計コンセプトは同じ。『R.E.D』もそうだったが最近では一昔前の大スターが活躍する映画が多い。高齢化社会の一端を表わしているのだろうか。
尾崎豊の歌で校舎の窓ガラスを割って回ったというフレーズにもあるように、80年代半ばまでは大人が戦うべき権力の象徴でありえた。今の40代までは権力に楯突くメンタリティをどうにか持っていると思うが、公の敵の存在が曖昧になり、自分が置かれた境遇の責任を負わせる明快な敵がいなくなった今、それは運命であるなどの何かスピリチュアルなものへと意識が向かう。そのような理由から保守化している若者にはこの活動家が熱く語る檄文を他人事のように感じてしまうかもしれない。
日本では学生運動が下火になりこの映画にあるような過激派の運動に共感する人は少なくなったように思う。権力と戦うという身体的な経験をしたのは40代以上くらいからではないだろう
か。国家という分かりやすい敵は影を潜め、時代が下るにつれて民衆の敵は曖昧模糊となり現在では電力会社やブラック企業が敵意の標的になるのだけれど、電力会社を批判しようともその安価な電力を利用している住民は控えめに言っても共犯関係であり、ブラック企業ではそこで嬉々と働く同僚が居て、またその安い製品を買っていたりするのだ。現代の敵は自分の疚しさを抜きにして批判出来る分かりやすい敵ではない。
だが、アメリカに実在する”ウェザーマン”という過激派は横暴な国家権力と闘う市民という分かりやすい善悪の判断が機能した時代に居たのだった。なので、この作品に共感するには思考のレイヤーをもう一つ下げて観る必要がある。
マスコミは第三の権力として昔から控えめに批判され続けていたが、今回もシャイア・ラブーフ演じる新聞記者の立場もそれほど好意的には描かれていない。『市民ケーン』もそうであったように、マスコミのセンセーショナリズムを暗に批判している。映画とは関係無いが誰かを敵に見立てて攻撃するマスコミの商法はジャーナリズム開闢以来ずっとその手法は続いてきた。この錬金術に乗せられる市民がいつまでいるのだろうか。
いい加減その仕組みに組み込まれている事に気付いて飽きられてしまうのではないだろうか。
閑話休題。
準主役であるシャイア・ラブーフ演じる名声欲に取り憑かれた新聞記者の心境の変化も物語を牽引する重要なファクターなのだが、FBIの追跡をかわし逃亡を続ける主人公の目的が次第に明かされてエモーションのアンサンブルにクライマックスは否が応にも高まる。鑑賞者の関心を惹き続けるストーリー展開も良かった。
(青森 学)