彼女の人生を語るのに上映時間105分は少し短か過ぎたか?!一日乗車券で名所を巡ったようなもったいなさが残る。(点数 83点)
(C)2011 Pathe Productions Limited , Channel Four Television Corporation and The British Film Institute.
誰しもが各々の正義を持っている。11年間イギリスの政界に君臨してきたサッチャー首相も今でこそネオリべの批判を受けているものの保守思想の擁護者として国を良くするべく”自助”を旨として支出を絞り財政の健全化を図ってきた。だが、一方で労働組合を解体し、フォークランド紛争ではその強行な主戦論を展開してアルゼンチンと徹底抗戦し、共産主義に強固な反対の態度を表明してソビエトのメディアには「鉄の女」と言わしめたほど彼女のタカ派ぶりに多くの文化人には根強い反発を買った。
炭坑の閉鎖で破壊される中産階級を背景にした『ブラス!』『リトル・ダンサー』、サッチャー政権の下で失業に喘ぐ中産階級の青年がドラッグに溺れる『トレインスポッティング』など彼女の政治を痛烈に批判した名作も多く製作されている。皮肉の意味でマーガレット・サッチャーはこれら名作映画の『母』でもあった。
映画の冒頭で老後を静かに暮らすサッチャーが描かれるのだが、会話の相手になる夫が陽気に彼女に語ってはふとした瞬間には煙のように消えている。それは認知症を患ったサッチャーの幻覚なのであることはすぐに映画の中で説明される。夫はとうの昔に他界している。そして、終盤でサッチャー女史がアパートの玄関で幻影の夫を見送るシーンがあるのだが、夫は裸足のまま外へ出掛けて行く。これは夫の死のメタファーなのである。
ビートルスのアルバム『アビイロード』のジャケットで、横断歩道を渡るポール・マッカートニーが写っているのだが、彼が裸足で歩いているのを世間ではポールの死を予言しているものとの噂が流れた。イギリスの国民間では裸足で歩くことは死者を暗示するものらしい。認知症が進行しているサッチャー女史だが、このシーンでは夫の死を深層心理でも受け入れたことを意味しているのだろう。
おしどり夫婦というのが前提でこの愛する夫の幻影が現出しているのだろうけれど、映画の中では彼女の夫との馴れ初めのエピソードが殆どなく駆け足で彼女の人生が語られていく。なので、母としての彼女のプライベートはあまり描かれることがなく、主に鉄の女として政界での辣腕ぶりとそれに対する国内外でのプレッシャーについて時間が割かれているので、夫の存在が妙に浮いたように感じたのが残念だった。
彼女の政治理念に反感を覚えた人間が多くいたのは先にも述べた通りだが、誰もが自分なりの正義、信義を持っていて、それがぶつかり合って世界が成り立っている。サッチャリズムを批判した映画も多く作られてきたが、このような信念を持つひとりの人間としてのマーガレット・サッチャーを描いた映画が生まれてきたことにある種の感慨を覚えずにはいられない。こういう多様性を認めることが出来るからこそ映画はまた素晴らしいものなのだと云える。
(青森 学)