マダム・マロリーと魔法のスパイス - 青森 学

異なる食の対立を通して描く、民族の融和 (点数 87点)


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村の長になる資格として村人を飢えさせないこと。なにか諍い事があれば当事者に腹いっぱいメシを食べさせて落ち着かせる。「食」は平和の別名である。
食べることは人の心を平和にする。料理は心を穏やかにするちからがある。
音楽に国境が無いように、料理も易々と国境を越える。
中国は世界を支配したわけでは無いが中華料理は政治の枠を飛び越えて世界を席巻している。それだけ食というものは普遍的でグローバルな要素を持っている。

フレンチもインド料理も基本は振る舞う客の安息と喜びを提供するのは同じで、マダム・マロリー(ヘレン・ミレン)もハッサンの父親(オム・プリ)も立場は違うが志すものは同じなのである。
当初は向かい合うフレンチ料理店とインド料理店が軒を競うのだが、この文化摩擦を「食」が包含するというストーリーは普遍的で多くの人の共感を得られるだろう。

厳密に言うと郷土料理というのはその土地で最適化されたものなので、映画の後半でマダム・マロリーの店で提供している料理が地元で採れた食材を使っているからこそミシュランから星を獲れるくらいの味を出せることにハッサン(マニッシュ・ダヤル)が気付く描写があるので明白なことなのだが、ハッサンのインド料理店も地元の食材に合わせて料理がカスタマイズされていくと思う。
そうやって、国々の料理はその土地に根をおろし新しい味を産み出していく。

この作品にあるものは、個々の国の文化が棲み分けていくモザイク文化を予言しているのではなく、古代アレキサンダー大王が推し進めていた、民族融和というコスモポリタン的な文化を予言している。
この映画の云わんとしていることは結構ラジカルな事柄について述べている。

映画の中盤で繁盛しているインド料理店に業を煮やした排外主義者がハッサンの店を焼き討ちにしようとするのだが、その店の石垣に落書きされた文句は”フランスはフランス人のもの”なのだけれど、イギリスは名誉革命で緩やかに民主化されたのと違って、フランスの場合は血の代償を払って革命を成し遂げたフランス人にとっては熱烈な愛国者が居ると思う。
フランスはたしかにフランス人のものなのだろうが、そういう所有欲を愛国心に重ねるのは今後、激動する世界情勢において通用しなくなる考え方だ。
最近、移民への反感からフランスでも保守右派が選挙で多くの議席数を獲得したが、そういったムーブメントは安価な労働力を当てにして移民を受け容れていたのとトレードオフの関係にあるはずなのだけれど、そういったいいとこ取りの考えはいずれ破綻すると思う。
保守というのは時間が未来へ向かって流れている以上、懐古に傾倒するのは宿命的に不利なのである。
お互いの文化を尊重しながらも世界は均質化していくのが世の趨勢である。この映画のように異質の文化が対峙して衝突し、そして新たな次元へ昇華していく。
この作品は料理を通して文化のあらましと向かうべき方向を、寓意を込めて指し示した作品なのである。

付け加えるに、映画の終盤でハッサンがパリのレストランで修業していた“料理を科学する”創作料理は分子ガストロノミーというもの。
分子ガストロノミーについては、Cooking for Geeks(オライリー社刊)で詳しく説明されているので、興味を持たれた方はご一読ください。

青森 学

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