◆高校生の娘にかいがいしく世話を焼く父親は、彼女にボーイフレンドの手配までする。そんな彼らから少し距離を置いている母親の姿が対照的。第二次大戦をはさんだ激動の時代を生きぬいた親子を通じて、家族の絆とは何かを問う。(60点)
高校生にもなった娘にかいがいしく世話を焼く父親は、彼女にボーイフレンドの手配をして楽しい青春を過ごせるように気を使う。普通の父親ならば結婚前の一人娘に男が近寄るのを快く思わないはずなのに、クラスメイトの少年を買収してまで彼女に接近させる。あらゆるものを犠牲にしても娘に無償の愛をそそぐ父親と、彼らから少し距離を置いている母親の姿が対照的だ。映画は第二次大戦をはさんだ激動の時代を生きぬいた親子を通じて、家族の絆とは何かを問う。
ボローニャの美術教師・ミケーレは情緒不安定な娘・ジョヴァンナをいつも心配している。ある日、彼女の友人が殺される事件が起き、ジョヴァンナは容疑者として逮捕され、犯行を自白する。
ミケーレの妻でありジョヴァンナの母であるデリアはジョヴァンナに対しどこか冷めた態度。わが子を愛していないわけはないのだが、一方で彼女の病気のせいで苦労をしていると思っている。それは彼女が美人ゆえ。デリアは美貌に自信を持ち、人生から己の美しさに見合った報酬を得たかったのだ。「こんな男と結婚しなければ、こんな娘がいなければ」という思いを心の奥に抱いている。だからこそ権力を行使できる立場のセルジョについて行ったり、逆にセルジョが解放後ファシストとして処刑された時も我が身かわいさから救おうとせず、戦後も別の男を見つけている。娘のために妻をあきらめる決意をしたミケーレだが、ジョヴァンナもまた母の関心がどこにあるかを敏感に感じ取っていたのだ。
ミケーレとジャヴァンナの話ならば、別に戦争を背景にしなくてもよかったはず。あえてムソリーニ政権とその終焉という世の中の大変動を舞台に選んだのは、デリアの生き方を鮮明にするためなのだろう。容姿を最大限に利用し、夫や娘よりも自分の幸福を優先する。父と娘の愛情物語の裏で、ひとりの女のしたたかさを浮き彫りにする立体的な構成が映画に奥行きをもたらしている。それでも最後には父娘のところに戻るデリアの選択に、この家族の再生を予感させる希望が灯っていた。
(福本次郎)