『ホテル・ルワンダ』は、奇妙な経緯をたどった映画作品だ。もともと作品の評価は高かったが、オスカーレースに絡んだため買い付け価格が上昇、日本における人気スターなど皆無の地味な社会派作品だったため、採算が取れないと判断され、日本公開はこれまで実現しなかった。
ところが、インターネットを中心にした公開嘆願の署名運動が行われ、ようやく公開が決まったというわけである。署名規模は数千名と、絶対数自体は少ないものだが、観てもいない映画の公開を求める人がそれだけいるというのは、ある意味すごい事である。そして、この作品が、その人たちの期待を裏切ることは、まずないだろう。良い映画である。
1994年、アフリカのルワンダ。主人公のポール(ドン・チードル)は、この国でもトップクラスのホテルの支配人だ。彼は、妻や子供たちを愛する心やさしい家庭人であり、優秀なホテルマンでもある。奇麗事だけではすまない現実を、しっかりと見据えている彼は、政府軍、反乱軍双方の重要人物に付け届けも欠かさない。
当時のルワンダは、多数派のフツ族と少数派のツチ族の内戦がようやく終結をみせたころ。ラジオのプロパガンダ放送では、フツ族の過激派が連日、対立を煽るような放送を続けていたが、ポールは楽観視していた。妻の兄夫婦が、「やつらによる、ツチ族への虐殺が起こる」と警告にきても、本気で取り合うことはなかった。しかし、フツ族の大統領が暗殺された時から、その歴史に残る大悲劇は始まった。
『ホテル・ルワンダ』は、94年のルワンダ大虐殺事件を描いた社会派の人間ドラマだ。だが、その本質は、平凡な人間のサバイバルドラマであり、いわゆる退屈な歴史お勉強映画ではまったくない。これほどスリリングで息詰る、面白いストーリーをもつ映画はあまりない。
虐殺にいたるまでの民族対立や、ルワンダの社会環境についても、冒頭で非常にわかりやすく説明されるので、本作を楽しむためには、何の予備知識も必要ではない。この映画自体が、「なるべく多くの人に虐殺の歴史を伝える」ことを第一目的に作られたものであると思われ、問題を理解しやすく、噛み砕くことに相当な力を注いでいるのだ。個人的には、このコンセプトは全面的に支持したい。この優れた作品を観たことがきっかけで、ルワンダに興味を持つ人々は少なくあるまい。
ポールの勤めるホテルは、ヨーロッパ(ベルギー)資本であり、ジャーナリストや国連軍もいるため、虐殺初期には一種の安全地帯である。ところが、ポールの妻は虐殺の対象となっているツチ族。ポール自身はフツ族だが、もしこの事が過激派連中にばれたら、一族まとめて殺されてしまう。
このサバイバル劇は、ポール一家が、過激派どもの追求を潜り抜け、安全地帯であるホテルにたどり着けるのかというところから始まるが、そこから先はもう、綱渡りの連続だ。何しろこの状況は、主人公側にとって圧倒的に不利。なにしろ敵は、民族抹殺が目的であるから、何一つ譲歩が期待できない。圧倒的な武力を持つ相手とは、戦うことも不可能だ。
だがポールは、それでも必死に抗うほかない。彼の武器は、長年この地で培った人脈による情報と、このホテルだけだ。いつ、誰に、どんな品物、金額を渡せば切り抜けられるのか、そうした判断能力だけを頼りに、ときには下手に出、ときには脅し、彼は生き残っていく。政府軍、過激派民兵組織、国連軍、この3者の権力バランスを的確に見抜き、その隙間を行き来してたくましく生き伸びていくのである。
結果として彼の肩には、ホテルに集まってきた1000人以上の難民の運命までかかってくる。だが、そんなポールにしても、最初から大勢を救おうと考えていたわけではなく、あくまで成り行きでそうなったにすぎない。しかし彼には、隣人や家族を見捨てない人間としての心があった。そこが共感を呼ぶ。
『ホテル・ルワンダ』は、この手の作品にありがちな、虐殺の残酷さやセンチメンタルな感情を描いたものではなく、たくましく生きる男の姿と、家族への熱い愛情を賛美した、希望に溢れる作品だ。難しいことは考えず、とにかく観てみてほしい。
(映画ジャッジ)