謎の病の発生により人間の本性がむき出しになる心理パニック・サスペンス。メイレレスの手腕が見事。(90点)
街角で若い男性が突然視力を失う。それから各地で失明者が続出し、白い闇の病“ブラインドネス”は驚異的なスピードで拡大した。発症者は強制的に療養所に隔離されるが、そこは無法地帯と化し、人々から人間性を奪っていく…。
物語の場所や時代は特定されていない。性別、年齢、人種が異なる登場人物には名前はなく、ただ、医者、医者の妻、バーテンダー、最初に失明した男というふうに記号化されている。この物語で注目すべきテイストは、普遍性とボーダーレスな世界観だ。そんな作品にふさわしく各国の実力派俳優が集まった。日本からは伊勢谷友介と木村佳乃が重要な役で参加。高い演技力を披露し、豪華キャストの中でしっかりと存在感を示している。監督はブラジルの俊英フェルナンド・メイレレスだ。派手なアクション・ヒーローものやゾンビ系ホラーにもできるところを、深みのある人間ドラマに仕上げて見事な実力を見せる。
その奇病が奪うのは視力だけではない。見えないことによって皮膚の下に隠れていた本性が丸見えになり、人間性を奪っていくパニック劇に背筋が凍る。療養所を支配したのは、拳銃を入手して権力を握ったグループだ。彼らは、食料と薬の代わりに金品を要求。ついには食料の対価として「女を出せ!」と言い放つ。略奪、レイプ、殺人。さながらそこは生き地獄だ。これは、見えない世界に出現した凶暴な格差社会である。このストーリーは、今までとまったく違うルールの中で生きねばならない人間の、モラルを問う寓話だ。
だが、一人のマイノリティが無秩序な世界から人々を救う役割を担う。全員が失明しているはずの収容所の中に、一人だけ“見えている”人間が紛れ込んでいた。失明した夫を守るため、見えることを隠して病棟に入った医者の妻は、虐げられるグループでリーダーとしての責任を果たすことに。だが、視力は彼女にメリットを与えず、逆に、見えないことを共有する人々の中で孤立し、夫の裏切りにさえ遭う。見えることが強烈な孤独につながる展開は、ゾクリとするほどシニカルだ。しかも彼女の苦悩を理解してくれる人は誰もいない。
それでも彼女を中心にしたグループが、収容所内のサバイバルをくぐりぬけ、外界に出て行くことができたのは、異種である彼女が理性と希望を失わない強さを持つ人間だからだ。外界は想像以上の荒廃ぶりだが、命の危険にさらされつつも、食料と安全が確保できる医者の自宅を目指す。閉ざされた恐怖から開かれた絶望へ。白い闇の中を行進する男女の行く末には何が待つのか。
見えることとはいったい何だろう。ひょっとして私たちは、何か大切なものを見失っているのではないか。一列に並び前の誰かの肩に手を置いて進む人々はあまりにも弱々しい。その中で、ふと何かにぶつかっただけで列から離れ、まったく違う方向へ一人で離れてしまう人間がいるのが象徴的だ。結んだ手を簡単に離してはいけない。離れた手で空中を模索し再び温かい肩に触れたときの喜びを、忘れてはいけないのだ。善悪の臨界点をハードな内容で描きながら、信じあうことが出来れば希望はあると物語は提示する。ラストのまぶしい光から、新しい一歩が始まると感じたならば、この映画は福音となろう。
(渡まち子)