腐敗が日常と化したNY市警で繰り広げられる悪対悪の戦い。悪人同士の友情や裏切り、駆け引きがリアルでB級作品だが拾い物(点数 67点)
(C) 2011 GEORGIA FILM FUND THREE, LLC
古くはシドニー・ルメットの「セルピコ」やロバート・アルドリッチの「クワイヤボーイズ」、2000年代に入ってもアントワーン・フークアの「トレーニングデイ」など、警察の腐敗を描いた映画は数多くあった。
それらには、腐敗に対する驚きや嘆きが込められていたように思う。この作品では、もはや腐敗は、当たり前の「日常の風景」になっている。
主人公たちも正義ではない。悪人同士の友情や裏切り、駆け引きはリアルで、制服は着ていても、ヤクザ映画そのものだ。
ストリート・ギャングからニューヨーク市警の警官になったジョナス(カーティス“50セント”ジャクソン)、A.D.(マルコム・グッドウィン)、ルーカス(ライアン・オナン)の3人。
だが、市警は麻薬王の手下として働くほど腐敗していた。ジョナスもまた悪に染まっていくが、警官だった父親の死の真相を知ると、市警で麻薬ビジネスを仕切るサルコーネ(ロバート・デ・ニーロ)やラルー(フォレスト・ウィテカー)らに反旗を翻す。
タイトルといい、ストーリーといい、よくあるB級アクションを思わせる。
確かに派手な見せ場はなく、作家性とも無縁な作品だが、新人警官とその指導係とのセリフのやり取りなど、ちょっとした部分に生々しさがあって面白い。
悪対悪の構図は、余計な倫理観が入り込まない分、登場人物たちの行動に説得力があり、スリリングだ。ハッピーエンドにならないラストまで、B級作品としてよく出来ていて、拾い物と言えるだろう。
デ・ニーロ、ウィテカーの名優2人が出演しているが、彼らはブルース・ウィリスらと同じく、B級作品に出すぎて、もはや作品の格を上げるより、下げる方の要因になってしまった。
だが、それでもB級作品に出演し続けることで、最近はバイブレーヤーとしての風格が出てきたように思う。
「なぜこんな映画に出ているのか」という違和感がなくなったのである。
この作品のデ・ニーロ、ウィテカーは、なかなかの貫禄と迫力を見せて、さすがだと思わせた。
それにしても、こういう映画を作られてニューヨーク市警は抗議しないのだろうか、と思う。
(小梶勝男)