ビラルの世界 - 青森 学

人間がほんらい持つ生きる力に気付かせてくれる、賦活のドキュメンタリー(点数 85点)


(C) son et lumiere

コルカタ。植民地時代のイギリス人に「この宇宙で最も汚いところ」と言わしめた土地。

コルカタに住む3歳の男児ビラルを中心に家族の日常を追ったドキュメンタリーだが、障がい、借金という困難を抱えつつもビラルの家族は希望を捨てない。生活苦や日常に埋没しそうになってもまた前に進もうとする家族のたくましさに心を動かされる。

世界の片隅で生きることにここまで執着する人たちが居る。

現在の日本社会とは対照的なコミュニティが一つの世界で同時進行している。

日本のように自ら死を選ぶような人が依然多いなか、このように生きることに臆面もなく執着する人たちが居る。本当の幸せとはなにかビラルの家族が知っているのかは定かではないが、毎日の喧騒のなかで生活に追われながらも人生の意味を見失っていない。

ビラルの両親は盲目のため就業が難しく親戚友人の援助に頼って生活している。福祉の手が届いていないのかコミュニティの繋がりが彼らのライフラインである。

日本の場合は生活困難者になると、親戚縁者の支援が期待出来ても先んじて福祉に頼る傾向がある。しかしそれが、孤立した「個」を増やし、相互扶助の精神を蝕んでいく。財政的理由から福祉の充実に異議があるだけではなく、本来、人間が形成するコミュニティを破壊してしまうことに問題を感じる。

コルカタの片隅に住むビラルの家族の周辺にはまだこのコミュニティが機能している。国の福祉を当てに出来ない環境のなかで、皮肉なことだがそのために助け合いの精神が生きている。ビラルの家族がどこか孤独ではないように見えるのは人の絆が感じられるからである。

そして父親はふたたび家族を養うため働き始める。決して楽な道では無いのだが、それでも家族のために毎日働きに出掛ける。本人は気付いていないかもしれないが人間の崇高さが伝わる場面である。生きることへの根源的なちからを見せられた思いだった。映画の終盤でビラルが割礼をしていたようだが、そういった生命力の象徴としてそのシーンを挿入したのだろう。

映画はとくに起伏のあるストーリーは無いのだが、彼らの日常を活写することで生きることの尊厳や愛おしさを浮き彫りにしていく。

幼いビラルの瞳を覗き込むと強い意志のちからを感じる。そこには生きることにメランコリックになるような心の隙を作ることなく、食べ、寝て、排泄し、弟にちょっかいを出し、只生きるという原初的な情緒のみに支配されて行動する。それがミケランジェロの彫刻のように素材から余分なものを“カメラ”という鑿で削り、剥き出しの魂をあらわにしていく。

観ているだけで明日を生きるちからが湧いて来るようなドキュメンタリーである。

青森 学

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