パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 - 福本次郎

◆自らの知力と体力と仲間を信じて若者は旅に立ち、途中に立ちふさがる様々な困難を、友情と信頼、勇気とアイデアで乗り越える。映画は、ギリシア神話と現代米国文化を巧みにコラボさせ、壮大な特殊効果で最後まで見せ場が続く。(50点)

ネタバレ注意! この批評は結末に触れています。

 自らの知力と体力と仲間を信じて若者は旅に立つ。途中に立ちふさがる様々な困難を、友情と信頼、勇気とアイデアで乗り越えて、冒険の終わりにはひと回りもふた回りも成長する。それは大人への通過儀礼、英雄になる将来が約束されている少年には避けて通れない道なのだ。映画は、海神の子が現代に生まれるファンタジーの中、ギリシア神話と現代米国文化をコラボさせ、壮大な特殊効果で最後まで見せ場が続く。愛、憎しみ、怒り、嫉妬、権力、そういった人間的感情が人間よりも強いギリシアの神々が己の欲望のために動く姿は皮肉が効いている。

 さえない高校生・パーシーはゼウスの稲妻を盗んだ犯人と疑われ、先生からポセイドンの息子という事実を告げられる。早速神と人間の間に生まれた「デミゴッド」のキャンプに入所し実技訓練を受けるが、母をハデスにさらわれたと知って、友人のアナベス、グローバーとともにキャンプを発つ。

 ギリシア神話が一般教養となっている階層に向けて作られているのだろう、iPhoneの裏面にメドゥーサを映して闘ったり、ロトス菓子で放蕩にふけるグローバーの蹄にネイルアートを施したり、ハデスがロッカーの風貌で現れるシーンなど、本来は笑うべき場面のはず。しかし、元ネタとなるエピソードは知っていても生活に密着した素地がないと、面白さはなかなか伝わらない。そのあたりの普遍性のなさが欧州文化に馴染みの薄い日本人にはウケない原因だ。

 パーシーたち3人の行程は、冥界からの復路切符となる青い真珠を求めての北米大陸横断。質素な暮らしをしていた彼らが次第に文明の毒に侵されていく過程が視覚を楽しませてくれる。人々が享楽に溺れるラスヴェガスは退廃の象徴、さらにハリウッドを地獄の入口にするのは米国映画人の自虐的ギャグなのだ。そのユーモアのセンスは頭では理解できるものの、やはり共感を抱くまでには至らなかった。また、パーシーがほとんど鍛錬もしていないのに水に触れただけで巨大なパワーを使いこなすのも疑問が残る。厳しい修行に耐える様子をきちんと描かないと成熟した観客は納得しないはずだ。

福本次郎

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