◆自虐ネタと本格的スペクタクル(85点)
ギリシャ神話をネタに思い切り遊んだ『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』は、ほとんど確信的な「突っ込みどころ満載」映画といえる。
ぱっとしない高校生パーシー(ローガン・ラーマン)は、学校では勉強ができず、家では母の暴力的な再婚相手に悩まされる受難の日々を送っている。とはいえ彼は、何分間も水にもぐれたり、古代ギリシャ文字がなぜか読めたりといった、あまり役に立たない個性も持っていた。そんなある日、彼の平凡な日常は突如現れた化け物に襲われる形で幕を閉じる。どうやら世界は、パーシーのあずかり知らぬところでとんでもないことになっているらしい。
本作の世界観では、現代ニューヨークにしょっちゅう神々が遊びにきたり、あるいは住んでいる事になっている。頑強な肉体を持つ神様のこと、かわいい女性やイケメンがいればあっという間にメイクラブ。アダム徳永並のスーパーテクでオーマイゴッドと虜にさせ、たくさんの人神ハーフを生み出している。主人公のパーシーも、そうして生まれた一人というわけだ。
しかも彼の父親はオリンポスの中でも高位の神。本来なら、鳩山兄弟よろしくおぼっちゃんになるべき立場である。ところがパーシーは、最高神ゼウスからあらぬ疑いをかけられてしまう。そこでやむなく知恵と戦いの女神アテナの血を引く美少女戦士(アレクサンドラ・ダダリオ)らと共に、疑いを晴らす旅に出るという展開。
一番面白いのは、主人公パーシーが自分の正体を知るまでの流れ。何も知らない彼を横目に周囲の連中が真剣な表情で世界の終わりを案ずる様子は、リアル中二病を見ているような状況で、こちらも笑いが止まらない。このあたり、冒頭に書いたように確信的に演出するクリス・コロンバス監督はさすがで、映画から距離を置いて苦笑している観客に好意を抱かせ、その後の本筋に引き込んでしまう。
人間、いっぱいいっぱいの監督の作品は直感的にわかるものだ。だから本作のようにバカ映画的要素を作り手が自覚したうえでギャグにしており、しかし見せ場は本気を出すよ、といった映画を見ると「お、わかってるね」とうれしくなるのである。
難読症の主人公をわずかワンシーンで描くなど、演出技術も安定。人間描写に余分な時間を割かず、しかし手抜きもしないのはこの手のテンポ重視の映画ではきわめて重要なポイントである。
全米縦断のロードムービー的面白さも兼ね備えており、その終点(悪どもが落ちる冥界)が存在する地名でまた笑わせる。さらに不況ネタを織り込む自虐的センスもまた楽しい。最初から最後まで、冗談でできているような愉快な映画といえる。
しかし「本気を出す」スペクタクルシーンには、他を寄せ付けぬキレがあり、ギリシャ神話でおなじみの怪物ヒドラとのバトルなどは大いに盛り上がる。
笑いとスリルを交互にはさんだミルフィーユ構造。そのどちらも一流かつゴージャスという、まさにアメリカらしいアメリカ映画。
とくにギリシャ神話好きな方には、これほど笑えて楽しい作品はほかにない。久々の元気いいハリウッド映画の登場であり、万人にお勧めできる気楽な一品である。
(前田有一)